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ささいな事で [雑感]

 1年ほど前から長く歩くと足の母趾が痛くなって、見ると爪の横が炎症を起こしていました。巻き爪になっているようです。数日すると治ってしまうので、放置していましたが、だんだん痛みの頻度が増し、化膿してきたので先日、整形外科を受診しました。


 早速、巻き爪矯正の処置をしてくれました。爪の左右の角に細い針金を引っ掛け、引っ張って、針金を接着剤で爪に固定したようです。痛みもなく10分ほどで終わりました。翌日には巻いていた爪が平坦になっていました。爪が生え変わるまで、数ヶ月は経過観察する必要があるようです。


 巻き爪の原因はいろいろあるようですが、私の場合、引きこもり生活で歩行量が少なくなり、足底への圧負荷が減ったのが主原因ではないかと思われます。ちょうどコロナ禍や病気やらで、ここ数年はすっかり外出が少なくなっていました。


 巻き爪矯正処置を行ったので、これからは時々出かけようと思っていますが、コロナは第7波の兆しが見られます。毎日、薬を服用している身なので、弱毒化しているとはいえコロナに感染した場合の病状の予測がつきません。


 3年前、長兄、三兄が相次いで人工呼吸器に繋がっているのを見舞いに行ったので、肺炎はかなわんなと思います。


 爪の湾曲が少しきつくなっただけで、トゲが刺さるように痛んで歩けなくなってしまう。ささいな事が原因で簡単に日常生活はさし障りを受けます。


 普段、何気なく暮らしていて、いつのまにかのちょっとした変化が、ある日、困り事として現れるというのは、誰でもよく経験することです。蛇口から水が漏れ出したり、車の窓が動かなくなったり、水管橋が崩落したり、日頃のメンテナンスは大切ですが、際限がなく、いき届かないのが日常というもののようです。


「からだで生きている」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2018-10-15

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子供という種族 [雑感]

 昔のスライド写真をスキャナーで取り込んでいると、子供たちが生き生きと休みなく動きまわっている姿が現れます。どこで撮ったのか記憶にない写真がたくさん出てきます。ふざけたり、木に登ったり、道に転がったり画面からはみだすような活動ぶりです。長男が10歳、次男が6歳の頃です。


IMG00035.jpg


 大人たちは憮然と立っていたり、すましていたり、微笑していたり、あまりエネルギーの発散は感じられません。


 先ごろ読んでいた作家のサロイヤンが、< 子供という人種は元気で熱心で、物を知りたがり、無邪気で空想力に富み、健康で信念に充ちている。これに反して大人という種族はだいたいにおいて萎びて無気力で空想力がなく、不健康で信念を持っていない。 >* と書いているのを読んで、苦笑しながらも同意せざるを得ませんでした。


 いま取り込んでいる色褪せたスライドは 34年前のものなので、ちょうど一世代が経過して、画面の子供たちは父親の年になり、新しい子供たちが活躍するようになっています。萎びて無気力で不健康な世代は過ぎ去った時間の中に想いを馳せます。


*『ウィリアム・サローヤン戯曲集』(加藤道夫/倉橋健 訳 早川書房)

#「セピア色の画像」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2022-06-04

#「読み比べも楽し」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2022-04-08

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セピア色の画像 [雑感]

 デジタル・カメラを使い始めた2004年より前は、旅行の記録はカラー・スライドで撮っていました。プロジェクターで見ると大きく鮮明な画像が多人数で楽しめました。ただ現像ができて初めて見る時はいいのですが、後でちょっと見るには用意が億劫で、あまり見なくなります。


 息子たちが独立し、それぞれ子供を持つ身になっているので、昔の家族旅行のスライドをデジタル化して渡そうと思って、スライド・スキャナーを買ってみました。


 手始めに 1973年にわたしが大学生の夏休みに友人と出かけた南九州・奄美大島旅行のスライドをスキャンして SDカードに取り込みました。出来具合を見て唖然としました。画像は劣化し、セピア色になっていました。


 なんとなく印画紙のカラー写真は経年変色しても、スライドは大丈夫と思い込んでいたので、画面に映る画像にはショックを受けました。49年経つとこんなになるのか・・・と、生きてきた記録が失われた気がして気分が落ち込みました。


 毎日何十枚かずつスキャンするとして、30年分でいつまでかかるのか? 何年前のものから劣化が少なくなるのだろうか? 不安になってきます。


 それでも画像を見ると忘れていたことが思い出されます。南九州に一緒に行った友人は一人息子で、今まで旅行したことがないので、連れていってくれということで同行することになったのでした。


 西鹿児島まで夜行列車で行き、桜島、佐多岬、枕崎、指宿、霧島、青島と巡りました。この間、友人は毎日、家に電話しているので意外に感じました。わたしには旅先から親に連絡する習慣はありませんでした。日常のしがらみから解放されるのが旅の楽しさと思っていました。今から思えば、友人にとって毎日電話するのが、息子の旅行を心配した親の旅行許可の条件だったのかも知れません。


 愉快な毎日だったのですが、友人はどういう訳か宮崎で、もう帰ると言い出し、あっさり宮崎空港から飛行機で帰宅してしまいました。その後、わたしは鹿児島港から船で奄美大島へ渡り、加計呂麻島などへ行きました。お金を使い果たし、帰りは 13時間飲まず食わずの汽車旅でした。


 翌年、わたしたちは共に就職しました。社会人として希望に満ちていた二年目の夏、友人は職場の懇親旅行で海水浴に行き、水難事故で他界しました。47年も前のことですが、セピア色に変色したスライドの中で、友人がにこやかに笑っているのを見ると、当時のことが鮮明に思い出されます。


 褪色はしょうが無いかと諦めながらスライドのスキャンを続けていましたが、ちょうど長男から電話があったおりに、スライドの劣化のことを話題にすると、長男は事もなげに「画像修復ソフト」があるから大丈夫と言います。


 調べてみると確かにフリーの画像ソフト(GIMP)で、ある程度の修復は可能なようです。何事もひとに話したり、ネット検索することで思わぬ情報がみつかるようです。それにしても記録と記憶の整理とでもいえる厄介な作業を始めてしまったものです。



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顔の記憶 [雑感]

 どういうわけか数日前、頭の中でかすかに旋律の一部が繰り返し聞こえ始めました。これは何か聞いたことのある唄だなと思いましたが、思い出せません。一時間ほどして、ふと、”春風にのって” だったかなと思いついて、YouTube で検索してみましたが、該当するものはありませんでした。


 また一時間ほどして、ふと ”そよ風にのって” かな? と YouTube を見てみると、有りました。マージョリー・ノエル「そよ風にのって」でした。Wiki.で調べると、1965年に流行ったフレンチ・ポップスでした。確かに私が高校生だったころ、ラジオからよく流れていました。


 それにしても、57年も前の曲がなぜ耳の奥で鳴り出したのかは不思議です。何か記憶を呼び覚ます誘引があったのでしょうか? 思い当たりません。


 記憶というのは不思議なものです。数年前、列車に乗っていると、後方から中年の女の人が近づいてきて、「 Aさんですね」とわたしの名前を呼んで、親しげに話しかけてきました。怪訝な気持ちで相手の顔を見ていると、「〇〇で一緒に仕事をしたアヅミです」と言います。確かに、わたしも〇〇で働きましたが、安住さんという名前に記憶がありません。しげしげと風貌を眺めましたが、思い当たる人がありません。「どうも思い出せません・・・、15年も経つと、女性は姿かたちが変わるんでしょうね、申し訳ありません」と謝りました。女の人は納得できないようすで、後方に戻っていきました。


 自宅に帰ってから、当時の職員名簿を繰ってみました。安住さんは見当たりません、が、アッ!、渥美さんというのが有りました。渥美さんならなんとなく記憶に残っています。あの人は渥美さんだったに違いありません。失礼なことをしてしまったと、落ち込みました。わたしが「アツミ」を「アヅミ」と聞き違え、「安住さん」と勝手に思い込んで迷路に入り込んだようです。


 その時、その女性の名を「渥美さん」と聞き取っていれば、名前から記憶が蘇っただろうにと悔やまれました。一般に、顔は分かっているのに名前が思い出せないことは多いですが、逆に、顔認証はできなくても名前で思い出すというのもあると体験しました。記憶というのは、やはり不思議なものです。






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春の散歩 [雑感]

 すっかり春になったので、久しぶりに紀ノ川の堤を散歩しました。土手には黄色いタンポポが咲き、空ではさかんにヒバリが囀っています。川面はきらめき、河川敷では子供たちがボール遊びをしています。しばらく歩くと皮膚が焼け、ビタミンDが産生された気がします。


 今年の冬は寒さとオミクロン株で、引きこもっていました。川べりの道には同年代の同じような散歩者が行き交っていました。


  萠(も)ゆるものなべて幼く春の日の

      光のなかに紛(まぎ)るるもあり (吉植庄亮)


 本を読んだり、音楽を聴いたりしているだけでは、筋力が落ちてきます。わたしは元々、握力が 25Kgくらいしかありません。先日読んだ『「顔」の進化』*という本によれは、チンパンジーのオスは握力が 300Kgもあるそうです。人間の成人男性が 40Kg位なので < 力は「七人力」ともいわれる。実際に、京都大学教授であった、故・西田利貞氏は、野外調査で仲よくなったチンパンジーに肩をつかまれて、ポイッと放り投げられた。まるで、人間が猫を扱うように。オスのチンパンジーは体重が 55Kgほどしかないが、それにもかかわらず異常なほど力持ちに思われるのは、逆に私たちの筋力が低下して虚弱になったからと考えられる。 > と書いていました。


 なるほど、わたしたちは進化の過程で失ったものも多くあったのでしょう。そして、筋力の代わりに知力を手に入れたはずですが、世界の報道に接していると、なぜ暴力が絶えないのか不思議に思われます。しかし、基本的に「食う食われる」という動物が生きることに潜む深い闇の存在に気づき、慄然とします。


  鳴(なく)雲雀(ひばり)人の㒵(かほ)から日の暮るゝ (小林一茶)


 散歩した日は夜の眠りが深く、途中覚醒が少なくなります。失った筋力を取り戻し、知力を鍛え、日々を生き延びていきたいものです。


  *馬場悠男『「顔」の進化』(講談社ブルーバックス)



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ユーラシア漂泊 [雑感]

 やっと春めいてきて、新型コロナウイルスも感染者数が減少しつつあるようです。少し気分が安らぎます。一方、ウクライナでは風雲急を告げています。


 ウクライナで思い出すのは横綱・大鵬のことです。大鵬は1940年、樺太でウクライナのコサックの三男として生まれています。日本の敗戦によって、大鵬は日本人の母親と共に北海道へ引き揚げて来ました。父親はソ連軍に収容されたようです。


 わたしの子供時代(1960年代)、「巨人・大鵬・卵焼き」と揶揄されたように、大鵬は人気が高く、優勝32回と実力も抜きん出ていました。


 コサックといえば「ステンカ・ラージン」というロシア民謡にも唄われるように、ロシアとの関係は長年にわたって流動的だったようです。日露戦争では日本人はコサック騎兵隊に苦しめられています。ロシア革命ではコサックは皇帝側の白軍としてボリシェヴィキの赤軍と戦い、破れて弾圧・流刑されています。


 司馬遼太郎は『ロシアについて』(文藝春秋)で <コザックについては、/「ロシア人の顔をしたタタール人」/という印象が、かって存在した。(中略)しかしコザックを種族と見るのは力点の置きちがえで、かれらは歴としたロシア人ながらもロシア人一般とは文化を異にする漂泊(定住している者もいた)の辺境居住集団と見るほうがいい。辺境にいるためタタール(トルコ人やモンゴル人)とは多少の混血があったかもしれないが、(後略)> と書いています。


 ユーラシア大陸の西方からやってきたコサックの血が、相撲の力士として開花しました。そして最近、幕内に上がって来た王鵬(大鵬の孫)へと繋がっています。ウクライナの変転によって、いろんな人の人生が移り変わっています。


#「ロシアとの関わり」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2016-12-14


ロシアについて 北方の原形 (文春文庫)

ロシアについて 北方の原形 (文春文庫)

  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社: 文藝春秋


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年の始めに [雑感]

 また、一年が始まりました。年齢を重ねてくると新年の感慨も薄れてきます。もう大方のものごとは見てきたような気もします。ただ、この一年どう生きてゆくか、多少不安な気持ちも湧いてきます。


 老妻の叱咤(しった)の声にて年明けぬ

    一家といふはかくて保つか (筏井嘉一)


 今年の初夢は、どこか海のそばを車で走りながら、帰り道が分からなくなって茫然としているところで目が覚めました。どうして夢の中ではいつも困った事態に陥るのでしょう。大抵は夢でよかった・・と起き上がります。


 老いぬれば夢のゆめとも言ひつべき

    はかなき夢を多く見るかな (窪田空穂)


 雪のため遅れて、二日に次男一家が来訪しました。しばらく会わないうちに孫たちは成長しています。いつのまにか息子は中年になり、父親の分担をこまめに果たしています。ばあばはちゃっかり孫の遊び相手になっています。



 赤き実を咥(くは)へ一月の鳥日和(とりびより) (阿部みどり女)

 

 穏やかな三が日も過ぎ、また一年がめぐり始めました。やはりコロナ感染者数は増加しつつあります。今度の波はどの程度になるのでしょうか? ウイズ・コロナの生活はいつまで続くのでしょうか? 体力のあるうちに出かけてみたい場所もいくつかあります。日々、体操を欠かさず、筋力の維持に努めています。


  よみがへり芽を吹く春の来ることを

     知らぬさまにて冬木しづけし (川田 順)


  #「神社に詣でる」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2018-11-20  

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ゆく年を振り返って [雑感]

 結局、今年はどこにも出かけずに過ぎそうです。こんな事は初めてです。鉄道好きの家内も県内に閉じこもったままです。よく辛抱したものです。おかげで気になりながら読み残していた本が読め、音楽を聴く時間も充分にありました。



 年初は河口慧海『チベット旅行記』から始めました。明治時代に仏典を求め、チベットに潜入した詳細な記録です。インドからネパールへ、そして野宿しながら山岳地帯を越え鎖国中の国に紛れ込む強靭な意志と体力、国籍を偽りチベットの社会や習俗に溶け込んで暮らすようす、日本人であることが発覚し危機一髪の脱出など、異国の風俗誌とともに冒険譚としても楽しく読めました。


 春には谷崎潤一郎『細雪』を読みました。舞台が芦屋や神戸なので、子供時代に阪神間になじみがあったので親近感がありました。今は廃れた「お見合い」という制度の微妙な駆け引き、大阪・船場のボンやコイサンの行動、ロシア革命を逃れてやってきた白系ロシア人家族との交流など阪神間に住んだ人たちの生態がリアルに描かれています。


 父母たちが暮らし、わたしが生まれる前の戦前という時代の空気や風俗が物語の背景に書き込まれています。東京人・谷崎の関西潜入記とも読めます。


 音楽では夏にマーラーの交響曲を第1番から順に第9番まで聴いてみました。指揮者によって曲の印象が変わります。聴いている間はいろんな感想が浮かびました。


 しかし、先日、久しぶりに定盤の、バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルの第2番「復活」を聴いてみると、これが一番、しっくりと身に馴染みました。いろいろ聴くまでもなかったという徒労感が湧いてきました。


 今年はスポーツ観戦も楽しみました。特にプロ野球、2年連続最下位だったバファローズの大躍進には心が躍りました。それに、2月には故障で2軍キャンプにすら入れなかった宗佑磨君が、2番・サードに定着して活躍しました。夢心地の1年でした。


 過ぎていく1年、体調は服薬のおかげで維持されていました。

 来年はどんな年になるのか?

 何を読もうか、どんな音楽を聴こうか・・・。

 バファローズは?

 歳末には1年を振り返り、来年を思案します。


#「薬の効きめ」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2021-01-28
#「大阪人の『高慢と偏見』」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2021-05-12

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くる年に向けて [雑感]

 来年はトラ年ですが、前回の寅年は平成 22年で年初の首相は鳩山由紀夫さんでした。なにかもう遠い昔のように感じられます。「えと」が5回めぐれば還暦になってしまうのですから、12年はけっこう長い年月のようです。


 日本には野生の虎はいなかったはずなのに、「とら」という和語があるのは不思議です。朝鮮語由来という説があります。古来、朝鮮からの贈り物に虎皮があったそうです。そういえば、雷神さんは虎皮のふんどしだし、加藤清正の朝鮮での虎退治も有名です。


 虎という字を含む言葉やことわざがたくさんあります。「虎の子」、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」、「虎の尾を踏む」、「虎の威を借る狐」など・・・。


 また、「大人(たいじん)は虎変す。君子は豹変し、小人は面(おもて)を革(あらた)む。」という易経の言葉もあります。大人や君子は虎や豹の皮の文(あや)ように美しく日進月歩、変化していく。これに反して小人(しょうじん)は顔面だけ、上の人の意に従う態度をとる、といった意味だそうです(諸橋轍次『中国古典名言事典』講談社)。


 大人でも君子でもない身としては、面を革めながら生きてゆく他ありません。週に1度ほど和歌山城内を散歩しますが、昔の人も上役の顔色を見ながら暮らしていたのだろうと推察します。そういえば和歌山城の天守閣のある所は虎伏山と呼ばれます。


 今年も残り少なくなりましたが、来年はどんな年になるのか。オミクロン株はどうなるか? 「虎を野に放つ」ような悲惨な結果になるのか、「張子の虎」で終わってくれるのか、息をひそめて待っている感じです。


「もういくつ寝ると」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2020-12-27

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師走の句歌 [雑感]

 時雨とともに冬の気配が訪れます。今年も残り少なくなったと、何か焦るような気持ちが湧いてきます。そして初時雨には軽い驚きが伴います。

 

   ででむしのえりうつくしき初時雨 (三好達治)

 

 ででむしはカタツムリのことです。えりとは頭を出す殻の出口でしょうか? 小動物たちにも冬が待っています。カタツムリの寿命は1年程ですが、種によっては 15年も生きるのがあるそうです。

 

   いにしへを思へば夢かうつつかも

      夜はしぐれの雨を聴きつつ (良寛)

 

 遠い昔のことを振り返れば、記憶は曖昧になります。実際にあったことなのか、夢で見たことだったのか、はっきりとは区別できません。夢だったのかもしれない・・・ふと、冷気に気がつけば夜のしぐれが降っています。

 

   葱(ねぎ)買て枯木の中を帰りけり (与謝蕪村)

 

 枯木林のくすんだ色の中、ネギの緑色が鮮やかです。帰って鍋でもするのでしょうか。万象が冬枯れるとき、ネギは生気をもたらします。

 

   寂しさに堪へたる人のまたもあれな

      いほりならべん冬の山里 (西行)

 

 世俗を離れた庵住まいでも、冬の寂しい暮らしの中で、ときに談笑できる隣人を求める気持ちも湧いてきます。そんな隣人はいないものか。

 

   塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店(たな) (松尾芭蕉)

 

 正月用の焼き鯛なのか、白い歯を寒々しく見せて並んでいます。歳末の人間たちの慌ただしさをにらんでいます。

 

   年暮れて我が齢(よ)更(ふ)けゆく風の音に

      心のうちの冷(すさま)じきかな (紫式部)

 

 12月29日の夜、紫式部は内裏の局で女房たちと雑談しながらおきている。男たちが女房を訪ねる履の音が風に乗って聞こえてくる。紫式部は独り言のように、年を重ねる寒々とした心を詠んでみる。


 師走になると毎年のことながら、それなりの感慨がうかびます。何とか今年もやり過ごせそうと肩の荷を降ろす気分です。季節の句歌集をひもときながら、目に止まったものを並べてみました。多分に自分勝手な思いを重ねます。





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