秋の散歩 [徘徊/旅行]
やっと秋らしい爽やかな気候になったので、午後、数ヶ月ぶりに志原海岸を散歩しました。歩いても汗もかかず、海からの風が気持ちよく感じられます。波の音が規則的に聞こえ、沖に大きな船が間隔をおいて連なっているのが小さく見えます。
波打ちぎわには 30メートル程おきに 10人ほどの釣り人が立っています。この季節、アオリイカでも狙っているのかもしれません。道にはこの間からの台風のためか枯れ松葉が敷き詰めたように落ちています。歩くたびに松の香りに包まれます。
頭上ではトンボが群れて、不規則に飛んでいます。空はうす青く、雲は水平線のほうにしか見えません。目の前を蜂が横切っていきます。
歩くにつれて、少し夕焼けになってきました。帰り道では風が顔にあたります。道のそばの民家の庭には昼顔が咲いています。少し休憩していると、あたりはすっかり暗闇になっていました。まだ 5時半でした。釣瓶落としといっても通じなくなっているかもしれませんが、暑い、アツイと言っているあいだにも、いつのまにか秋は進行していたようです。
人に似て猿も手を組む秋の風 (浜田洒堂)
出かけてみたい場所 [読書]
どこかへ出かけようと思ったとき、どんな判断で行くところを決めるかは、人それぞれでしょう。いつも決まった場所に出かけるひと、いままで行ったことのない所から選ぶひと。また、何か対象を決めて、鉄道を乗りまわるひと、街道・古道・細道を歩くひと、お寺巡りをするひと、城をめぐるひと。
むかし、レンブラントの絵をすべて観てしまうつもりだという人と旅行で一緒になったことがありました。その後、年賀状のやりとりをしていましたが、毎年、各地の美術館に出かけ、何年かして、年賀状に全部観たと書いてきました。45年ほど年賀状だけの付き合いが続きましたが、一昨年だったか、出した年賀状が返ってきました。どうしたのか・・・。
イラストレーターの安西水丸(1942-2014)の『ちいさな城下町』(文春文庫)は「旅の楽しみの一つとして、何処か地図で城址を見つけ、そこを訪ねることがある。」とし、北は天童市から南は新宮市、東は三春町から西は朝倉市まで、21の城下町に出かけた旅行記です。「ぼくの城下町の好みは十万石以下あたりにある。」というように村上市、行田市、土生町、西尾市、沼田市といった、あまり城下町としての印象も、場所もはっきりしない町の話が、彼の挿画や身辺雑記とともに載っています。
飯田市(長野県)の項は <父親は女のことで母を困らせたという。祖父を継いで建築家になった父は、建築家よりも画家になりたかったらしい。子供の頃から絵を描くことが好きだったぼくに、母は口を酸っぱくして言った。/「お願いだから絵を描く人にだけはならないでくださいね」> といった話から始まり、父親の残した絵のなかに赤穂浪士の赤垣源蔵を描いた絵があったことにおよび、源蔵が飯田藩士の子として生まれていることから、彼の生誕地を訪れる旅になる。
ちなみに、源蔵は藩主の国替えで播磨竜野に移り、次男だったので後に、浅野家家臣赤垣氏の養子になり、赤穂浪士の事件に行きあう巡り合わせとなったそうです。
安西水丸は本名、ワタナベ ノボルだそうです。どこかで聞いたような名前です。「三春町・二本松市」の稿が2014年2月号の雑誌に載り、同年 3月に彼は他界しています。『ちいさな城下町』(文藝春秋)が刊行されたのは没後です。この本には彼の生い立ちの話がたくさん出てきます。思うところがあったのでしょうか。
海峡の街 [徘徊/旅行]
瀬戸内海の西の出入口を見てみたいと、下関に行ってきました。何回か電車で九州へは出かけていても、列車は海底トンネルを通るので、海峡をゆっくり眺めたことがありませんでした。思った以上に幅が狭く、600mほどで、こんな水路で外海とつながっているのかと驚きました。潮の流れが勝敗に影響したという源平合戦の壇ノ浦の話(1185年)が思い出されました。
海岸の近くに、龍宮のような赤間神宮があります。明治以前は阿弥陀寺といって、海に没した安徳天皇と平家一門を祀っていたのですが、神仏分離で神社になり、「波の下にも都あり・・・」とのことで龍宮造りになっているそうです。境内には安徳天皇陵、七盛塚、芳一堂などがあります。ラフカディオ・ハーンの「耳なし芳一」はここの話だったのかと納得します。
この辺りは赤間関または赤馬関ともいったそうで、下関は馬関ともいわれます。赤間神宮のそばには 1895年、日清戦争の講和会議の場となった春帆楼があります。李鴻章と伊藤博文、陸奥宗光らが集い、下関条約を締結した所です。だんだんとキナ臭い時代になってきます。
水路のような海の向こうは九州です。各駅停車で下関の次は門司で、次は小倉、15分ほどで着きます。この海峡を遣唐使船や北前船、軍艦などが行き来していた姿が思い浮かびます。
上弦の月 [雑感]
昨夜は、花火大会があって、上弦の月の澄んだ秋空に、打ち上げ花火が見られました。ベランダから眺めていると、花火との位置関係で、月が案外、速くうごくのに気づきます。
上弦の月だったっけ
ひさしぶりだな 月見るなんて
岡本おさみの作詞で 1972年に流行った唄ですが、最近はゆっくりと月の運行に見入ったことがなかったと思い当たります。弦月と花火を交互に見ながら、いつのまにか夜気が涼しくなっているのに気づきます。
月を見上げたので思い出すのは、1969年7月20日に、アポロ 11号のアームストロング船長が月面に降り立った頃に、わたしはお城の堀沿いの道を歩きながら、「あそこにヒトが立ったのか」と昼の月を眺めた記憶です。そういえば、ちょうど 50年前のことで、あの日も上弦の月だったような・・・。
月見する坐にうつくしき顔もなし (芭蕉)
世界を震撼させる [音楽]
10月になっても夏の名残の暑さに、うんざりします。なんだか春と秋が短くなって、四季ではなく二季になっていくようです。夜長に音楽でもというわけでもありませんが・・・。
ここ何年か、コパチンスカヤというヴァイオリン奏者とクルレンツィスという指揮者の評判が、あちこちで目につきます。特にコパチンスカヤについては激賞するひとと、拒絶するひととがいるようです。つい気になって両者が共演した、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の CDを取り寄せて聴いてみました。
一聴、チャイコフスキーってこんな音楽だったかな・・と、なにか別の音楽を聴いたような気分になりました。音の強弱の変化やリズムの強調、テンポの速さ、草原を疾走する騎馬民族を見たような感じでした。ハチャトゥリアンの「剣の舞」のような・・・どうなんかなぁと違和感が残りました。しかし、実演では求心力が強く、圧倒されるのかもしれません。
クラシック音楽の楽しみは骨董趣味のようなもので、聴き終えると「これはいいものです」とか「これはいけないもの」とか、自分なりに自然と判断がでてきます。「なんでも鑑定団」みたいなものです。音楽を聴きながら自分の耳を試している、そのスリルが楽しみとなっています。
だんだん演奏者が若くなって、いつのまにか新しく出る CDはほとんど年下のひとの演奏です。コパチンスカヤは1977年、クルレンツィスは1972年の生まれです。21世紀の音楽なのでしょう。そういう意味では世界を震撼させる 21世紀の「作曲家」の出現が待望されます。