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神戸のこと [雑感]

 先日、甥の結婚式があって、久しぶりに神戸に出かけてきました。淡路島生まれの人間にとって神戸は県庁所在地であり、買い物や進学、就職など繋がりの強い街です。わたしの母方の曽祖父も家内の父親も神戸で生まれています。わたしの兄たちも家内も阪神間の高校や大学へ進学しています。



 わたしがこどもの頃の昭和30年代は神戸の中心は元町で、連れていってもらう百貨店は元町の大丸でした。その後、ひと駅東の三宮が賑わうようになり、昭和40年に三宮に地下街(さんちか)ができました。高校生の時、三宮駅前のそごう百貨店に「太平洋ひとりぼっち」の堀江謙一さんのヨット「マーメイド号」が展示されていたのを憶えています。駅横の新聞会館では「ドクトル・ジバゴ」などの映画を見ました。映画を見終わって島へ帰ろうと港へ行くと、濃霧で船が出ず、翌日の定期試験にまにあわなかったこともありました。



 神戸からの来客のお土産は、小学生の頃は亀井堂「瓦せんべい」、高砂屋「きんつば」などが多く、その後は風月堂「ゴーフル」、ユーハイム「バウムクーヘン」、モロゾフのチョコレートなどに変わったように思います。子供のとき食べた「きんつば」が懐かしく、食べたいと思っているのですが、機会が訪れません。



 街を歩くと、いろんな思い出が蘇りますが、小学生低学年の頃、両親に連れられて神戸で昼食を食べていたとき、母親が突然、「あなたはいつも、今日はどこそこのレストランでなになにを食べて美味しかったと言ってるのに、なぜ今日はラーメンなの!」と怒りだした光景が記憶に残っています。当時、両親は40代だったのでしょうが、母親としては、久しぶりに神戸に来たのに! という憤慨の気持ちが爆発したのでしょう。どこの夫婦にでもありがちな一幕だろうと、今なら苦笑します。



 そんな神戸ですが、1995年の阪神淡路大震災で、ビルが倒壊し、火災が広がり、高速道路が倒れている姿には驚嘆しました。あれから28年がたち、街は表面上、復興していますが、なんとなく以前の活気がなくなっているように感じられます。わたしが高齢になり、街が発散する刺激を受け止める感受性が鈍ってきているせいかもしれませんが・・・。



#「木枯らしの散歩」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2015-10-26

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散髪屋さんのこと [雑感]

 久しぶりに理髪店にでかけました。この間、髪が長くなると家内に切ってもらっていました。家内はYouTubeで散髪の仕方を研究していました。コロナが下火になり、来月には甥の結婚式もあるので、そろそろ出かけてもいいかなという気持ちになりました。



 この散髪屋さんはわたしが大学生の頃からの行きつけで、もう 50年以上になります。先年ご主人が亡くなり、息子さんに代替わりしています。



 わたしが若かった 1960-70年代は、長髪が流行ったので、少々髪が伸びても気にならないせいか、元々、散髪は年に数回しか行きませんでした。わたしの父親は、毎週理髪に通う習慣だったので、学生の頃は帰省のたびに「散髪に行け」と叱られていました。



 父親の行きつけの故郷の理髪店には、わたしの小学校の同級生がいて、よく一緒に遊びました。その子の母親はお好み焼き屋をしていて、時にご馳走してくれました。また祖父は興行師のような仕事をしていて、旅回りの劇団などを差配していました。床屋の離れには人形浄瑠璃の女師匠さんが暮らしており、友達の父親もわたしの父親もそのオショハンについて義太夫を習っていました。「日も早や西に傾きしに・・・」などと父親は「一谷嫩軍記」の一節を道を歩きながらよく唸っていました。郷里の島では人形浄瑠璃が盛んでした。



 散髪屋の友達は左官さんになったのですが、酒浸りとなり、帰省のおりによくない噂を聞くようになりました。50歳になった年に、故郷で小学校の同窓会が開かれたのですが、幹事をしてくれた同級生が、「あいつが亡くなったので、同窓会ができるようになった」と言っていました。飲んで暴れる状態だったようです。



 剛毛であったわたしの髪も年とともに細くなり、柔らかく白くなっています。共に遊び学んだ悪童たちの、その後の生い立ちが知りたいような気がします。




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4年ぶりの子どもたち [雑感]

 春休みで千葉に住む長男一家が、4年ぶりに帰省しました。成長期の子どもたちは身長が伸び、上の子どもはわたしを見おろすようになっていました。4月から高校生で、大人の冗談にも切り返すようになりました。自分の高校生時代を思い出し、まあ、大人への階段を登り始めているのだろうなと微笑ましく思えました。わたしの本箱にあった英語版のチャーリー・ブラウンの漫画を見つけて、「これ、もらうよ」と抜き出していました。下の子は得意げにトランプ手品を見せてくれました。



 長男は年度末で多忙とかで、帰省中も別室でテレビ会議をし、家族より先に帰って行きました。40代で働き盛りなのでしょう。わたしが子どもたちが成長期であった時代も、仕事に熱中していたなと振り返る思いでした。



 千葉へ帰る日になって、下の子どもが「のどが痛い」と言い出し、鼻水も出しています。「うむ、熱は?」と聞いても、しんどそうに横になっています。慌てて薬局へコロナ抗原検査キットを買いに走り、神妙に家内と嫁が検査したのですが、陰性で、一同安堵しました。帰るのを1日延期してようすを見ましたが、発熱もなく、痛みも改善して、今日は無事に帰りました。



 もう、そろそろ子どもたちだけでも、やって来れそうです。次は夏休みにでも来て、わたしの本箱や CDラックを荒らすようになればと、楽しみにします。4年ぶりの子どもたちの成長に驚いた5日間でした。



#「セミの鳴きかた」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2019-08-06

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隣の人々 [雑感]

 ロシアがウクライナに侵攻して1年になりますが、どんな国が隣にあるかによって、災厄を受ける度合いが異なってくるようです。歴史的にウクライナ、ポーランドなどはロシアの侵略を被りやすいようです。



 ひるがえって日本を見れば、豊臣秀吉の朝鮮出兵など、日本は朝鮮半島に関心があるようです。朝鮮の人々は、何百年かごとに日本が攻めて来るという警戒心を無意識にでも持っているかも知れません。



 ロシアといい日本といい何か国力膨張時の地政学的な行動パターンがあるようです。言うまでもなく、日本とロシアも隣国どうしで、日露戦争を戦った間柄でもあります。



 日本国内に目を向ければ、たとえば東北地方は歴史上、常に征伐され続けている地域です。平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂による征服、源頼朝による奥州藤原氏の討伐、明治新政府軍による奥羽越列藩同盟軍の討伐などと征服が繰り返されています。東北の人々はいつも攻めて来る西方の人々に対して、何らかの心情を抱いているかも知れません。 



 こういった歴史的な行動様式は変更することができるのでしょうか? 迷惑な隣国への対処方法、また迷惑な国にならないための方策を考えるのは、千年単位の課題だと思われます。



 ただ、人類学者のエマニュエル・トッド*は、こども達が結婚しても親と同居する「共同体家族」であるロシアや中国では、父親の権威の下で暮らしているので、政治的にも権威者に従う社会になるというようなことを書いていました。結果、「核家族」で自由主義である米・英とは齟齬をきたす。その国の伝統的な「家族のかたち」が、政治体制に影響を及ぼすとするなら、その国の政治的な行動様式を変更するには、多大な時間を要するのかも知れません。


 

*エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(文藝春秋)


#「ユーラシア漂泊」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2022-02-26


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早春の歌 [雑感]

 日差しが明るくなっていますが、風が冷たく散歩に出かけるのをためらいます。梅林の開花やプロ野球のキャンプの話題が伝えられ、春が近づいている気分にはなります。新型コロナの第8波も収まりかけているので、これでいつもの春がやって来るのかと、やや安堵した気持ちになります。


  しみじみとけふ降る雨はきさらぎの

     春のはじめの雨にあらずや (若山牧水)


 毎年、この季節になると、一雨ごとに暖かくなり、湿度も増し、インフルエンザが消退していく気になっていました。新型コロナも呼吸器感染なのに、季節性が無いのは不思議です。


  風さむき早春の街用のあるごとく

     無きごとくあゆめるあはれ (佐藤佐太郎)


 近頃は、特に用もなく出歩くことが増えました。行ってもいいし、行かなくてもよいといった自由さです。時間に縛られないという気楽さは、幼児のとき以来かも知れません。あまりの自由さにとまどい自嘲する気持ちも感じられます。


   わが心に光さしくるこの朝け

     一花(いつくわ)ひらきて春はいたらむ (安田章生)



 昨日は海岸に出かけましたが、海辺は思う以上に風が強く、帽子が飛ばされるほどで散歩はできませんでした。路傍に水仙が咲き始めていました。近くの漁港で太刀魚やアカイカ、ヒイカ、モンゴイカなどを買って帰りました。春の食卓の気分です。

 
 

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日本シリーズの出来事 [雑感]

 プロ野球の日本シリーズが始まりましたが、スワローズのホームラン攻勢にバファローズは守勢のようです。しかし、短期決戦は意外な事で風向きが変わったりします。過去にはいろいろありました。


 思い出すのは、南海ホークス・巨人戦での9回裏、ホークスの一塁手、寺田の落球です。いつのことだったのかと調べてみると、昭和36年(1961)10月29日の後楽園球場でした。凡フライで、あぁ試合終了と思ったのですが、ポトリと玉が落ちたのです。


 打者はわたしの大好きだった藤尾で、投手はスタンカだったそうです。その後、長嶋が内野安打、エンディ宮本がヒットを打って、逆転サヨナラになりました。結局、巨人が4勝2敗で勝ちました。わたしは中学1年生だったことになります。テレビで見た落球の映像が、60年以上経っても脳裏に蘇ります。


 また、1989年の日本シリーズ、近鉄バファローズ対巨人では、バファローズが3連勝した10月24日、東京ドームで勝利投手の加藤が「巨人はパ・リーグ最下位のロッテより弱い」と言ったということで、巨人ナインとファンの怒りを買い、その後、バファローズは3連敗しました。


 そして、第7戦は再度、加藤が登板したのですが、駒田にホームランを打たれるなどして、バファローズは敗北し、初の日本一を逃しました。加藤投手の河内の球団らしいヤンチャな口ぶりが記憶に残っています。


 何があるか分からない。人によって、印象に残る日本シリーズの出来事はさまざまでしょうが、何と言っても、ひいきチームの活躍が一番でしょう。わたしは子供の頃からの巨人ファンでしたが、意外なことから7年前にバファローズに変わりました。それにしても、2年連続最下位だったチームどうしが、2年連続、日本シリーズを戦っているのは不思議な気がします。


 ひいきは別として、子供心に、すごい選手として思い出すのは、南海ホークスの杉浦忠投手です。巨人相手の日本シリーズに杉浦は4連投して、巨人に4連勝しました。杉浦はその年、入団2年目で、38勝4負というトンデモナイ成績でした。昭和34年のことで、私は小学5年生で野球部に属していました。杉浦の細身でメガネをかけたサイドスローの投球フォームが目に焼きついています。


 今年の日本シリーズにはどんなドラマが待っているのでしょう? 両チームの秘術を尽くした熱戦を期待し、ハラハラしながら楽しんでいます。


#「プロ野球の楽しみhttps://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2021-06-04

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異能な人たち [雑感]

 外に出る  と風が爽やかで、秋だなと実感されます。この二年半ほど、ほとんど人混みには出かけず、週に1〜2度、川の堤とか、お城の周囲を散歩するだけで、あとは本を読んだり音楽を聴いたりするだけの、気ままな生活を送っています。 


 テレビも見たいと思う番組が少なく、夜はネットでプロ野球を見たりしています。バファローズは今年はお疲れ休みかと思っていましたが、終盤になって、にわかに浮上し、優勝を争うまでになっています。前半戦調子の良かったチームも、1年を通してみれば、それなりの成績に落ち着くようです。誰だったか解説者が言っていましたが、5勝4負でシーズンを通せば優勝でき、4勝5負なら最下位になるとのことでした。確かに勝率は5割5分6厘と4割4分4厘となるので、その程度の順位差が生まれそうです。


 今年はスワローズの村上宗隆選手とマリーンズの佐々木朗希投手が一番の話題でしょうが、大谷翔平選手や将棋の藤井聡太五冠、9歳の囲碁プロ棋士・藤田怜央さんといい、どこの世界でも天才的な人が現れるものです。


 昨日からメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲を聴いていましたが、いい曲だなと思って解説を読んでみると、なんと 18歳時の作曲でした。そういえば彼の「真夏の夜の夢」序曲は 17歳の作でした。モーツァルトをはじめ音楽の世界でも、若くして才能の開花する人たちがいます。


 大相撲では最高齢優勝の玉鷲が話題ですが、音楽ではブルックナーが晩成です。彼の交響曲が一般に評価されたのは 50歳になってからのようです。ブルックナーは長年、教会のオルガニストとして働いてきたせいか、音の響きが深々として、聴いていると音に浸っているような気持ちになります。これは年の功ともいうべきものかも知れません。早熟とはまた違った晩成もまた天賦の才なのでしょう。


「たかが野球、されど5人」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2019-07-22




(第3楽章)

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海馬と遊ぶ [雑感]

 ウクライナの戦況をテレビで見ていると、「正露丸」のことを思い出しました。特有な臭いのする丸薬を子どもの頃に呑まされました。大人になって知ったのですが、明治時代、日露戦争に出征する兵士に、食あたり水あたりの薬として携帯させたそうで、「征露丸」という名前だったそうです。


 戦後になって対外的に不穏当だろうと、「征」の行にんべんを取って「正露丸」と改名したのだそうです。


  実家が薬関係の仕事だったので、虚弱ぎみだったわたしは色んな薬を呑んだ記憶があります。なかでも熱が出て下がらなかった時に、サイの角の粉末である「犀角」というのを呑まされたのを覚えています。本当にサイのツノだったかは不明です。


 そういえば「龍角散」というのがありますが、名前からタツノオトシゴが入っているのだろうかと見てみると、杏仁、甘草などの植物性生薬で出来ているようです。


 タツノオトシゴ(hippocampus)は漢字では海馬と書かれ、薬として用いられた歴史があります。内臓を取り除き天日干ししたものだそうです。薬種商であった祖父の家の軒先にはマムシが何匹も干してありましたが、タツノオトシゴは見た記憶はありません。


 人間の脳の中にも海馬と呼ばれる部位があります。記憶に重要な働きをしており、アルツハイマー型認知症に関与していますが、部位の形がタツノオトシゴに似ているのだそうです。


 歳をとると何につけても色んな記憶が蘇ります。いわば自分の海馬で遊んでいるようなものかも知れません。



 

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島の夏祭り [雑感]

 夏になると村はずれの海岸にある神社の夏祭りを思い出します。夕暮れになると父親を「早く!」と誘って出かけました。夜店のアセチレンの明かりと臭いが小さな境内にあふれていました。ギョウセン飴をノミで割って売る店、氷と塩の中で筒を回しながら作るアイスクリン、お面を並べた店、金魚すくいなど心をときめかせました。郷里・淡路島でのことです。当時、父親は 40代だったはずです。


 神社は「枯木さん」とよんでいましたが、正式には枯木神社でした。御神体は「枯木」だと聞かされていました。その枯木につかまって静御前が流れ着いたのだと教えられたように思うのですが、どうも怪しいようです。


 「日本書紀」巻第二十二(推古天皇)には < 三年、夏四月、沈香(じんこう)が、淡路島に漂着した。その大きさは一囲(ひとかかえ)。島人は、沈香とは知らずに、薪といっしょに竈(かまど)でもやした。その煙が遠くまで薫(かお)った。そこでふしぎにおもい、献じてきた。*> と記載されています。


 枯木神社の枯木は香木の沈香だったようです。推古三年といえば 595年です。香木は朝廷に献上したとあるので、今の御神体との関係は不明です。


 何年か前の同窓会で聞いたところでは、夏祭りはもうやっていないようでした。地区の同級生は何とか孫たちに夏祭りを見せてやりたいと復活を模索しているようでした。帰郷のおり車で神社のそばを通りますが、子どもの頃、夜店がいっぱい並んでいた境内が、今見るとあまりにも狭いのに驚きます。


*『原本現代訳 日本書紀(中)』(山田宗睦 訳 ニュートンプレス)


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ささいな事で [雑感]

 1年ほど前から長く歩くと足の母趾が痛くなって、見ると爪の横が炎症を起こしていました。巻き爪になっているようです。数日すると治ってしまうので、放置していましたが、だんだん痛みの頻度が増し、化膿してきたので先日、整形外科を受診しました。


 早速、巻き爪矯正の処置をしてくれました。爪の左右の角に細い針金を引っ掛け、引っ張って、針金を接着剤で爪に固定したようです。痛みもなく10分ほどで終わりました。翌日には巻いていた爪が平坦になっていました。爪が生え変わるまで、数ヶ月は経過観察する必要があるようです。


 巻き爪の原因はいろいろあるようですが、私の場合、引きこもり生活で歩行量が少なくなり、足底への圧負荷が減ったのが主原因ではないかと思われます。ちょうどコロナ禍や病気やらで、ここ数年はすっかり外出が少なくなっていました。


 巻き爪矯正処置を行ったので、これからは時々出かけようと思っていますが、コロナは第7波の兆しが見られます。毎日、薬を服用している身なので、弱毒化しているとはいえコロナに感染した場合の病状の予測がつきません。


 3年前、長兄、三兄が相次いで人工呼吸器に繋がっているのを見舞いに行ったので、肺炎はかなわんなと思います。


 爪の湾曲が少しきつくなっただけで、トゲが刺さるように痛んで歩けなくなってしまう。ささいな事が原因で簡単に日常生活はさし障りを受けます。


 普段、何気なく暮らしていて、いつのまにかのちょっとした変化が、ある日、困り事として現れるというのは、誰でもよく経験することです。蛇口から水が漏れ出したり、車の窓が動かなくなったり、水管橋が崩落したり、日頃のメンテナンスは大切ですが、際限がなく、いき届かないのが日常というもののようです。


「からだで生きている」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2018-10-15

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