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武漢のこと [雑感]

   新型コロナウイルス感染症のアウトブレークで、武漢という都市がマスコミに連日取り上げられています。また、なぜ、こんなにたくさんの武漢の人が、日本に来ているのかと不思議に思っていましたが、武漢は人口一千万人以上の巨大都市だそうで、武漢都市圏でみれば三千万人もの人が住んでいるそうです。


 一年ほど前、横浜に住む姪と話していると、自動車会社に勤めているご主人はスペイン、ロシア、韓国などへ転勤し、姪もそれに付いて行っていたそうですが、今は武漢の近くに居るのですが、環境が良くないので、家族は帯同できず、ときどき姪が武漢のホテルまで出かけて行っているとのことでした。(現在は、ご主人も帰国しているようです。) その時、武漢という名前を初めて聞いたような気がします。


 中国には 14億人が住んでいますが、P.モーランド『人口で語る世界史』によれば「死亡率が低下し人口が増えたのちに出生率が低下して人口が安定するという、典型的な人口変化の経過をたどっている」そうです。1945年から平均寿命は毎年6カ月ずつ伸びた計算になるようです。


 ただ、一人っ子政策もあり、少子高齢化が進み、2030年までに中国の人口は 15億人くらいで頭打ちとなり、減少し始めると予測されるそうです。それに対し、2020年代半ばにインドが中国を追い抜くそうです。


 SARSにしろインフルエンザ、今回の新型コロナウイルスにしろ、なぜ中国なのか ? という疑問があります。とてつもない人口が野生動物と密着して暮らしているという生活形態が関係しているのでしょうか ?  いずれにしても早く効果のある薬を特定してほしいものです。




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冬至も過ぎて [雑感]

  毎年、冬至が過ぎると「これからは日が永くなる」と、何かうれしくなるのですが、今年はいつまでも暖かい日が多いので、歳末の気分にはなりません。ナンキンといえば最近はハロウィンですが、日本では冬至に食べる習慣があるようです。


 先日、柚子湯と称して、風呂に柚子を浮かべてみましたが、皮膚が弱くなったのか、ピリピリして我慢できません。皮脂欠乏症なのでしょう。以前、有馬温泉に入ったときのようでした。龍神温泉のような重曹泉がまったりと皮膚にやさしいようです。


 備中高梁には「ゆべし(柚餅子)」という柚子の香りのする菓子があります。こどものころ、親戚のひとがよく土産に持って来てくれました。親たちの時代は親戚との付き合いも親密だったような気がします。わたしも折にふれて気軽に泊めてもらっていました。北海道のおばさんなどは、やって来ると一ヶ月ほど逗留していました。


 昭和までは濃密な付き合いが柚子湯のように身体を温めていたのかもしれません。ひととの接触が淡白になり、かかわりの少ない水臭い関係をよしとする社会にしてきたのは、わたしたち自身だったに違いありません。それは何かの後遺症だったのでしょうか?





 

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言葉なんて [雑感]

 先日、四人目の孫が誕生しました。女児です。名前はまだ付いていないようです。名前がないと、まだ社会に属していない無垢な赤ん坊の感じがします。なんと呼びかけようか、とまどいます。あらゆるものに名前がある社会に、生まれ出たまだ名付けられていない生命体です。


 名前を付けることによって、社会に紐付けされます。星々を結びつけて星座ができ、ブリ起こしと称ぶことによって雷も社会に組み込まれます。漱石の猫には名前がないので、世間の埒外から、世の中を眺めます。


 「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」というのは詩人の嘆きですが、「初めにことばがあった」と言われてしまえば、嘆いてもせんないことです。陳腐で月並みな言葉であふれた世界に、新しい星座を描くように、新しい関係を発見する・・・詩人の栄光です。


 新しく生まれた赤ん坊はぼんやりと目の前の世界を眺めています。これから、この世界とどんな風につながっていくのか? わたしにもそんな眩しい一瞬があったはずですが、いまは思い出せません・・・。

 

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誕生日も近い [雑感]

  もうすぐ誕生日です。あぁ、両親より年上になったという感慨があります。両親の写真を見て、このころは今のわたしよりも若かったんだと不思議な気分になります。わたしは末子なので、他の兄弟にくらべて親と一緒に暮らした時間は短い。


 こどものころ、兄が「コイツばかり甘やかされて!」と訴えると、祖母は「この子は親と暮らすのが短いんやから・・・」となだめていたのを憶えています。そういえば当時、祖母は今のわたしくらいの年齢だったはずです。


 誕生日はこどものころはずっと 18日だと思っていました。中学に入るとき住民票を見ると 17日になっています。母親に聞くと「そうだったかなぁ」でおしまいでした。「いままでの 18日は何だったんだ」とイイカゲンさに憤慨しました。


 母親はそんなところがあり、旅行に備えて毛糸のセーターを編んでくれるのですが、袖がまにあわないので、チョッキ(ベスト)で着ていけといいます。やるせない気持ちになります。

 

 わたしが帰郷して「そろそろ帰るわ」というと、「巻き寿司を食っていけ」という。家内は迷っているが、台所を見ると、まだこれから米を洗うという。


 父親はキッチリした性格で、帰郷するとまず「いつ帰る」と聞きます。帰る当日になると「明るいうちに早く帰れ」といい「帰り着いたら電話しろ」といいます。叔父の家で話し込んでいると、「早く返ってこい」と電話をかけてきます。


 両親が年下になってしまったというのは、ある意味、気楽になった気がします。こどもや孫たちがわたしをどんな風に感じたり、思ったりしているのかは不明ですが、反面教師としてでも何らかの影響は及んでいることでしょう。幸いなるかなです。




 

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上弦の月 [雑感]

 昨夜は、花火大会があって、上弦の月の澄んだ秋空に、打ち上げ花火が見られました。ベランダから眺めていると、花火との位置関係で、月が案外、速くうごくのに気づきます。

 

   上弦の月だったっけ

   ひさしぶりだな 月見るなんて


 岡本おさみの作詞で 1972年に流行った唄ですが、最近はゆっくりと月の運行に見入ったことがなかったと思い当たります。弦月と花火を交互に見ながら、いつのまにか夜気が涼しくなっているのに気づきます。


 月を見上げたので思い出すのは、1969年7月20日に、アポロ 11号のアームストロング船長が月面に降り立った頃に、わたしはお城の堀沿いの道を歩きながら、「あそこにヒトが立ったのか」と昼の月を眺めた記憶です。そういえば、ちょうど 50年前のことで、あの日も上弦の月だったような・・・。

 

    月見する坐にうつくしき顔もなし (芭蕉)

 



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お盆の台風 [雑感]

  台風10号が足摺岬の付近に近づいているようです。当地では昼頃から雨が降ったり止んだりしています。お盆の行事や、帰省など人の移動の多い時期なので、影響が大きそうです。


 わたしも先日、兄の初盆に出かけてきました。8歳年上なので、最も古い記憶でも兄はもう高校生でした。思い出すいくつかは、町の映画館に連れて行ってもらい、どんな映画だったかは憶えていませんが、西部劇の予告編があったのだけ記憶に残っています。


 須磨の水族館にも連れて行ってくれました。どんな魚が泳いでいたのかは覚えていませんが、その時、ソフトクリームを食べさせてもらって、こんな美味しいものがあるのかと感激しました。


 小学校高学年の夏休み、大学生の兄のアパートに泊まり、銭湯の帰りに西宮球場の外野席で初めてプロ野球のナイターを観戦しました。芝生の鮮やかな緑が目に焼き付いています。


 わたしが中学生になり、祖父が腕時計を買ってくれました。兄はそれを見ると、「おまえにはもったいない、オレのと変えろ」といって新品を取り上げました。その時計がわたしに返ってきたのは、わたしが高校生になったときでした。


 1965年、兄は結婚し、神戸に住む兄の家を足場に、高校生のわたしは三宮にでかけ、『サウンド・オブ・ミュージック』や『ドクトル・ジバゴ』といった映画を観ました。


 それからも、いろんな事があった・・・と兄の生きてきた行路を振り返ります。1995年の阪神淡路大震災では、兄たちの住んでいたマンションが被害を受け、建て替えを余儀なくされました。その後、兄の勤めていた会社は他社と合併してしまいました。


 兄弟というのは、近いだけにいろいろな葛藤のあるものですが、過ぎてしまえば、まあ、しょうがないかと納得するほかありません。


 今度の台風は、なんとか被害が少なく通り過ぎてほしいものです。予想進路の足摺岬や宿毛、大洲へは十年程前に出かけたことがありますが、大洲は昨年、洪水の災害にあったばかりです。


 「寅さん」映画では、嵐寛寿郎が大洲の殿さん役で出ていました。古くは連続テレビ小説「おはなはん」の舞台にもなった城下町で、あのテーマ曲を耳にしながら高校へ通いました。そういえばあの歌は後年の「さくら」が唄っていました。


 やれやれ・・・窓の外から、当地の山間部の温泉地に川の氾濫の危険性があり、避難勧告がでたという放送が聞こえてきました。山では雨が続いているようです。


 

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セミの鳴きかた [雑感]

  千葉から小学1年生の孫がやって来ました。朝、玄関ドアを開けたとたん、「セミがうるせィんだよ!」と顔をしかめています。近年、クマゼミの棲息地が北上していて、伊豆半島から横浜や東京都内へ侵入しているそうですが、彼の住んでいるあたりには、騒がしいクマゼミはいないようです。


   自我ありて泣くこゑ蝉に敗けてゐず (鷹羽狩行)


 キリギリスやコオロギは翅と翅を擦り合わせて音を出しているのに対して、セミは発音板を叩いて音を出しているのだそうです。<日高敏隆『春の数えかた』(新潮文庫)>


 氏によるとアリストテレスは、「セミの夫たちは幸せだ、なぜなら彼らの妻たちはしゃべらないから」と言っているそうです。最近、ますますクマゼミが増えて、アブラゼミやミンミンゼミが減っている気がします。当地では、今日、ツクツクボウシが鳴いたそうです。






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たかが野球、されど 5人 [雑感]

  素人からみると、将棋のプロ棋士とかプロ野球選手などは天才に属する人種なのだろうと思います。全国に名の知れた高校球児が、プロ野球に入ってもなかなか活躍できません。新人でライオンズの 4番を打った清原などは、別格と言える存在でしょう。今年も大船渡の 球速160キロの投手が話題になっています。


 『プロ野球史上最高の選手は誰だ?』(宝島新書)はプロ野球 OB 107人に取材して、各人に投手、野手の上位 5人を選んでもらって載せています。誰が誰を選んでいるか? 眺めていると、いろいろ楽しめます。歴史上の成績を含めて選ぶ人、自分自身が対戦した経験から選ぶ人、先輩への忖度が感じられる人など、基準はさまざまです。


 野手について見てみると、野村克也は( ①山内一弘 ②榎本喜八 ③落合博満 ④中西太 ⑤松井秀喜 )を挙げています。王も長嶋も張本も入っていません。張本勲は( ①大下弘 ②川上哲治 ③王貞治 ④落合博満 ⑤イチロー )です。福本豊は( ①王貞治 ②野村克也 ③落合博満 ④張本勲 ⑤門田博光 )を選んでいます。誰もミスターは入れていません。


 ところが、投手だった人は、山田久志は( ①長嶋茂雄 ②王貞治 ③落合博満 ④張本勲 ⑤福本豊 )で、江本孟紀( ①長嶋茂雄 ②王貞治 ③野村克也 ④山内一弘 ⑤中西太 )と長嶋を一番に挙げています。


 打者から見た打者と、投手から見た打者の違いなのか、記録より記憶なのか、あるいは、「最初はグー!」のように、とりあえず、ご挨拶に頭に置いただけなのか、いろいろ考えられます。


 ちなみに掛布雅之は ( ①田淵幸一 ②加藤秀司 ③藤田平 ④前田智徳 ⑤若松勉 )だそうで、ON とイチローと松井秀喜は除かないと、5人のうち 4人が決まってしまていて、ひと枠しかないからとのことです。


 投手部門の 5人の人選も、それぞれ人によって面白いものがあります。野球を観る楽しみに満ちています。たかが野球と笑われそうですが・・・それはそれとして、60年以上の付き合いです。その間、勉学に励んでおれば・・・と思わないでもないですが。


 

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ウミガメの産卵 [雑感]

  今朝はセミが元気よく鳴いていました。曇天の日が多く、セミもとまどっていたのかも知れません。


 昨日、海辺を歩いていると、砂浜の一角に棒を立てて、注意書を付けていました。7月15日にウミガメが上陸し産卵しているので、9月まで見守ってほしいとのことでした。このあたりの砂浜には、毎年、アカウミガメが産卵にやってきます。


 初夏の朝に浜辺に行くと、波打ち際からヒレを使って上陸した跡が見られることがあります。産卵せずに戻って行ったのもあります。何か条件が合わなかったのでしょう。


アカウミガメ上陸跡.jpg


 漁師さんによると、船縁を海亀が泳いでいくことがあるそうです。クジラが湾内に迷い込んできたり、シカが川を渡ってきたり、動物が身近な土地です。農家のおばさんはサルやシカ、最近はアライグマに作物を荒らされてご立腹です。


 浦島太郎といえば丹後半島が有名ですが、あの辺りでも海亀が上陸するのでしょう。玉手箱を開けなくても、充分に白髪のお爺さんになってしまった身でも、いつまでも海亀がやって来れる砂浜であってほしいと願っています。

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今日が開幕 [雑感]

  今日はオリックスの宗佑磨君が一軍登録され、即、中日ドラゴンズ戦に 8番センターで出場しています。彼にとっては今シーズンの開幕戦です。第一打席はセカンド・ゴロ・アウトのようです。


 先日、近くの球場であった広島カープとのファームの試合を観戦しましたが、彼は調子がもうひとつのようで、心配していましたが、最近、数試合はヒットが出だし、ホームランも打ったので、そろそろ一軍昇格と期待していました。


 わたしも小学生のころ野球部に入っていて、五年生はピッチャーでしたが、肩を壊し、六年生では一塁手でした。試合でヒット打った記憶がないので、まったく打たなかったのかもしれません。


 初めてプロ野球を観たのは小学生高学年で、西宮球場のナイターでした。阪急ブレーブスの足立投手がアンダースローで投げていました。今でもライトに映えた芝生が綺麗だった印象が残っています。


 大人になって、西武球場で近鉄ー西武戦を観戦したことがあります。後期の開幕戦で鈴木啓示と東尾修の投げ合いでした。今から思えば夢のような対戦です。甲子園で田淵クンのホームランを見上げたり、長嶋監督の采配を見た記憶は焼きついています。


 こどもの頃から野球に親しんで、いまだに関心が続いているので、これは一生ものなのでしょう。選手は生ものなので、その時代の名選手のプレイが見られるかどうかは時の運です。そのうち、また球場へ出かけようと思います。

 

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