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食事と雑談の楽しみ [雑感]


 3年半ぶりに、かって一緒に働いた人たちとの食事会に、南紀へ出かけてきました。天気も絶好のドライブ日和で、道も良くなり、かけていたCDが終わらないうちに宿泊所に着きました。16年住んだ土地なので、なにか帰って来たような気がしました。



 家内は、この町は、買い物も郵便局も銀行も食べ物屋も駅も歩いて行ける範囲にあり、魚が美味しく、海も山も近く、住みやすい町だったといつも懐かしがっています。


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 食事会はわたしたち夫婦を含めて8人というこじんまりした集まりですが、互いの近況を話したり、職場の最近のようすが話題になったり、高齢者は持病や睡眠具合を持論を交えて語ったり、魚料理を食べながらの和やかな時間となりました。高齢者にとっては一期一会という言葉が想い出されます。



 その夜は、同い年の元同僚ご夫妻と同じ宿に泊まり、翌日は熊野古道沿いの村に行き、小麦が食べられないわたしに付き合ってもらい、予約しておいたグルテン・フリーの店でハンバーグを昼食にしました。小さな村ですが、次々に客が来るのには驚きました。



 元同僚ご夫妻はともに話題が豊富で、道の駅のオープン・カフェのテーブルで、ウグイスの鳴き声を聴きながら、泉のように溢れてくる話しを楽しませてもらいました。最近読んだ高橋敬一さんの本のこと、映画「ゴジラ」のこと、ドングリで森を再生する活動、リビング・ウイルの手続き、ジェフ・ベックのギター、都はるみがアカペラで唄った、カレーの作り方・・・何事も成り行き任せのわたしたち夫婦とはまた違った生き方だと刺激を受けました。



 ここ数年、コロナ禍と持病のために、ほとんど人ごみに出ず、家内以外と話す機会の無かったわたしには、なんとも楽しい2日間でした。社会へ戻るリハビリとなったようです。そろそろ外食や旅行にも出かけてみようかとこころが弾んできました。




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桜の句歌など [雑感]


 今年は桜のもとでの入学式になったようです。近年、桜の開花が早くなって、人々は季節感のずれにとまどっていたようですが、今年はなんとなく安心したような雰囲気が感じられます。



   離れては見るべき物と見つつおもふ

      桜の花よ雲のごとく咲け (窪田空穂)



   咲きいづるや桜さくらと咲きつらなり (荻原井泉水)


 桜の花に対する、特別な感情が滲み出ています。季節が過ぎれば目立たない木に戻るのに、雲が湧くように一斉に開花する力に感歎しているようです。



   清水(きよみづ)へ祇園(ぎをん)をよぎる桜月夜(さくらづきよ)

      こよひ逢ふ人みなうつくしき (与謝野晶子)



 桜には「みなうつくしき」と思わせる霊力があるようです。梶井基次郎は、< ・・・桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この一、二日不安だった。しかしいまやっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。> と桜の美しさの秘密を開示しています。




   春風の花を散らすと見る夢は

      覚めても胸のさわぐなりけり (西行)



 西行は「吉野山梢の花を見し日より 心は身にもそはずなりにき」とも詠んでいます。桜に取り憑かれた思いを、ストレートに歌にしてしまうのは、天性の資質なのでしょう。そして「花の下にて春死なん」と願い、その通りになったのには驚かされます。 



   四方(しはう)より花吹入れて鳰(にほ)の海 (松尾芭蕉)





 近江の膳所にての詠。「鳰の海」は琵琶湖の古称で鳰はカイツブリ。琵琶湖の春の風景を大きく詠って愛でています。芭蕉には「行春(ゆくはる)を近江の人とおしみける」という句もあり、近江は愛着のある土地だったのでしょう。


   さまざまの事思ひ出す桜かな (芭蕉)




   

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球春となって [雑感]


 3月になって外光がすっかり明るくなりました。プロ野球もオープン戦の時期となりました。昨年の10月に始まった持病の治療も、予定の6サイクルが先週に完了しました。昨年のクライマックス・シリーズから日本シリーズは病室のテレビで観戦したので、今年のオープン戦は新しいシーズンの始まりという感がひとしおです。



 4年前にも半年ほど同様の治療を受けていますが、今回とは薬の組み合わせが異なっています。薬によって副反応の様相が違いました。前回は投与後4、5日間の食欲不振、シャックリなどでしたが、今回はそのような症状はなく、まず指先がシビレ、腸の動きが低下し、目がかすんだようになります。4、5日経った後に倦怠感が出現しました。音楽でも聴きながら午睡しているほかありません。



 7日経つと腸が動き出し、倦怠感もなくなります。白血球数は10日目に1/10程に低下しますが、数日で元にもどり、目のかすみも晴れ、散歩にも出かけられるようになります。もちろん吐き気止めや白血球を増やす薬などの効果のおかげで症状が軽減されてているのだと思います。



 前回はなかったのですが、今回は脱毛が著明でした。1サイクル後にシャワーを浴び、洗髪すると、指に多量の頭髪が絡みつき、びっくりしました。見ると排水口は毛髪で詰まっていました。防寒対策に毛糸の帽子が必需品になりました。おかげで130日ほど朝のヒゲ剃りが不要だったのですが、いつから生えてくるのか楽しみにしています。



 持病との付き合いはもう9年目になるのですが、これでまた何年かは維持できるでしょう。医学は日進月歩とまでは言えませんが、数年ごとに新しい治療薬が開発されているようです。待つといえば・・・今年の春の甲子園には和歌山県から田辺高校と耐久高校の2校が選ばれています。またプロ野球ではタイガースのアレンパは可能なのか? 山本由伸のいないバファローズはどうなるのか? いろいろ興味深い球春がやって来ました。



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記憶のミルフィーユ [雑感]


 このあいだから読んでいた『映画の木洩れ日』*の「あとがき」で、著者・川本三郎はこんなことを書いていました。< ミルフィーユというお菓子がある。「千枚の葉」の意で、薄いパイを何層にも重ねた菓子。私の文章は、このミルフィーユに似ている。/ 二〇二二年に七十八歳になった。この年齢になると、映画体験がいくつも層になって作られている。一九五〇年代から六〇年代の、十代の頃に見た映画。二十代に見たアメリカン・ニューシネマの時代の映画。評論家として、批評を書くようになった七、八〇年代の映画。そして現代の映画。/ さまざまな時代の映画が、まさにミルフィーユのように重なり合っている。現代の映画を語っているうちに次第に下の層の十代の頃に見た映画にたどり着く。>



 なるほどと思います。わたしのように長いあいだ映画を見ていない人間にも、彼の映画の本がおもしろいのは、近い世代として、1950-60年代という共通の基盤の上で生きて来たからなのでしょう。



 こんなことは映画に限ったことではなく、流行歌やファッション、事件、災害の記憶でもそうでしょう。今回の能登半島地震の映像は、熊本城の崩れた石垣の映像に重なり、東北の津波に重なり、阪神・淡路の横倒しになった高速道路の映像に重なり、地震の記憶を重層化させます。そして、社会人になった年に能登半島に旅行し、土産に輪島塗の茶匙を母親に渡した時、母は嬉しそうでしたが、「私の流儀とは違うのよ」と笑っていた記憶も蘇ります。



 人が生活している限り記憶は増え続けます。そして記憶を共有する度合いによって、親しみが深まります。「同じ釜のメシを食う」といった言葉で、人はその辺の事情を表現してきたのでしょう。



 新しい映画を観れば、昔の映画を思い出すように、何につけても過去と比較できるのは長く生きて来た者の特権です。記憶はミルフィーユのように何層にもなり、味わい深いものになっています。


*川本三郎『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)2023年刊




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春を待つ熊野 [雑感]


 2月になると節分、立春となり、やっと冬至から春分までの中間点を過ぎたと、何か一山越えた気分になります。紀南では梅林の開花も報じられています。この時節になると、いつも2月6日に行われる新宮市・神倉神社の「お燈まつり 」が気になります。昨夜、4年ぶりに無事、挙行されたようです。



 わたしは行事には参加したことはありませんが、二度見学に行ったことがあります。山の上の巨石のある神倉神社から、夜闇のなかを、松明を掲げた白装束の男たちが二千人も駆け下ってくるのは勇壮かつ異様な光景で圧倒されます。熊野という土地の神話的な姿があらわになる一日です。



 新宮を舞台にした小説はいろいろあるのでしょうが、辻原登『許されざる者』、中上健次『千年の愉楽』、野口富士男『なぎの葉考』などはそれぞれ新宮の一面を捉えた読み応えのあるお話しです。どういうせいか新宮の人は他の和歌山県人とは違い、いわゆる標準語的なアクセントで話す気がします。陸の孤島といわれる僻地ですが、海路で他郷に開けていたのでしょうか?



 以前は、あのあたりへ行くと「鈴焼」という菓子を買って帰るのが常でしたが、最近は小麦粉(グルテン)が食べられなくなって残念です。3月には串本からロケット(人工衛星)が射ち挙げられる予定です。もう少し暖かくなれば久しぶりに熊野へも出かけたいものです。








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わたしの昭和30年代 [雑感]


 年をとると子どもの頃のことが思い出されます。わたしは昭和30年(1955)に小学校に入っていますので、昭和30年代はちょうど成長期です。わたしは左利きですので、入学後、担任の女性教諭に右手に鉛筆を紐で括り付けられました。木造校舎で、窓の外に橙色のカンナの花が咲いていました。4年生のとき、鉄筋コンクリートの校舎に移転しました。初めて水洗トイレを見、レバーに触れ、急に大量の水が流れ出し、どうしたら止められるのかと焦った記憶があります。



 4年生から野球部に入りました。長嶋茂雄が巨人に入団した年です。最初は投手で、藤田元司のまねをしたオーバースローでした。その後は一塁手になりました。映画「瀬戸内少年野球団」のように淡路島では野球が盛んでした。ちなみに原作者の阿久悠は近隣の村の駐在さんの息子さんでした。大相撲では千代の山、栃錦、若乃花の時代で、子どもたちもよく相撲を取っていました。プロレスも大流行りで力道山の空手チョップは無敵でした。



 その頃はよく頭痛をおこし、「スピード」という置き薬を飲んで寝ていました。熱が出れば氷枕と氷嚢で頭部を冷やすのが普通でした。氷は魚屋で買いました。6年生で近視になりました。かまどで薪で炊いていたご飯が電気炊飯器に変わり、洗濯機、冷蔵庫、テレビが我が家にもやって来ました。



 小学校では講堂や運動場で映画が上映されることがありました。嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」などの時代劇でした。母や兄に連れられて隣町の映画館で観たのは梅若正二の「赤胴鈴之助」、「にあんちゃん」、加藤大介の「大番」、「「お茶漬の味」などでした。わたしが一人で映画館に行ったのは中学1年になってからで、特撮の「モスラ」でした。幕間に美空ひばりの「港町十三番地」が流れていました。



 村には一軒、貸本屋があって、よく漫画本を借りていました。「少年サンデー」、「少年マガジン」が発刊されたのは5年生の時だったようですが、近くに本屋がなく、見るようになったのは中学生になってからだった気がします。小遣いは1日10円でした。



 道に舗装はなく、算盤のようにガタガタで、バスは常に揺れていました。家にはハエが多く、ハエ取り紙が食卓の上に吊り下げられていました。夏は蚊を避け蚊帳の中で寝ました。冬の暖房は炬燵と火鉢くらいで、そのうちに石油ストーブが普及しました。子どもたちは霜焼けとアカギレに悩まされました。鼻汁を垂らした子、目やに、ハタケなど、いろいろでした。小学校の修学旅行まで、島から出たことのない子が何人かいました。



 中学校へ行くのにバスで1時間余の町に下宿しました。週末には洗濯物をカバンに詰めて自宅に帰ります。親元を離れた暮らしの始まりでした。早くから他人の中で過ごし、下宿のおばさんに世話になったので、今だに下宿人のように暮らしているのかも知れません。



 中学1年の夏休み、海水浴に行った夜、右耳が痛みだし、中耳炎になりました。その後、扁桃腺を摘出しました。初めての入院でした。



 「高校三年生」という唄が流行ったのは、わたしの中学3年の時でした。その頃は勉強しながらラジオを聞いていました。リクエスト番組に人気がありました。最近、家内はまた寝ながらラジオを聞いているようです。そういえば子どもの頃はラジオで落語、浪曲、講談などがよく放送されていました。小学生でも広沢虎造のまねとかで浪曲の一節を唸る子がいたものです。




 そして、昭和39年(1964)、名神高速道路ができ、東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催されました。わたしは高校1年生になっていました。将来、何になるかを考え始めたころです。それから 60年が経っています。思い返せば、両親や祖父母が健在で、きょうだい、叔父、叔母やいとこたちに囲まれたあの時代は、わたしが育った苗床だったと感じます。そして、次の 10年はわたしの青年時代でした。やれやれ、いろんなことがあったなぁと過ぎ去った時間の回想を一時停止させます。年頭の雑感です。



#「あのころの暮らし」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-08-13

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冬・新年の句歌から [雑感]


 1月も 10日ともなると日が永くなって来たのが分かります。地震や飛行機事故で始まった新年ですが、北陸は雪の季節となり、被災された人たちの健康や復興の遅れが危惧されます。無常の世の中ではありますが、穏やかな日常が戻って欲しいものです。



   老妻の叱咤(しった)の声にて年明けぬ

      一家といふはかくて保つか (筏井嘉一)


 なんとなく、何処にでもある光景と思われますが、ユーモラスに表現しています。わたしも後期高齢者となり身に沁みます。




   すずなすずしろなつかしきものみなむかし (林原耒井)


 解説で山本健吉は< 春の七草(ななくさ)の中に数えられた蕪、大根。野草としての昔の称呼が「すずな」「すずしろ」。こういう句は、ほのぼのと暖く、文句なくよい。 *>と記しています。「すずな、すずしろ」の実物を知らなかったわたしは、なるほどと納得します。



   松すぎのをんなの疲れ海苔(のり)あぶる (渡辺桂子)


 年末から正月と何かと仕事の多かった女性の松の内を過ぎたころの雰囲気が捉えられています。お疲れさまでしたと声をかけたくなります。



   毛糸帽わが行く影ぞおもしろき (水原秋桜子)


 最近、わたしも外では毛糸の帽子を被っています。何か違和感がありますが、防寒には最適です。



   吾が影の吹かれて長き枯野かな (夏目漱石)


  明治40年の作のようです。『坊っちゃん』を書き終え、朝日新聞社に入社し、職業作家となった年です。



   水涕(みづばな)や鼻の先だけ暮れ残る (芥川龍之介)


 山本健吉は<・・・『鼻』の作者は、顔の真中の隆起した部分に、何となく動物的なものの名残りを意識することが多かったのか。・・・>と解説しています。ちなみに芥川も水原秋桜子も明治25年の辰年生まれでした。



 『句歌歳時記 冬・新年』から目にとまったものを挙げてみましたが、今年の年始めの気分を反影しているのか、あまり晴れやかにはならなかったようです。梅が咲き、桜が開花する頃には明るい気持ちになれればいいのですが・・・。



*山本健吉『句歌歳時記』(新潮社)・・この本も著者が「週刊新潮」に昭和31年から30年間連載したコラムを「春」「夏」「秋」「冬・新年」の4冊に編集したものです。






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空の名残 [雑感]


 10月も中旬になって、急に季節が進んでいるようです。昨日は雨が降って肌寒く、つい暖房を入れました。冷房を止めてまだ 2週間ほどしか経っていません。なんとも変な気持ちです。



 清少納言は「秋は夕暮」と書いていますが、清々しい秋晴れの陽光も気分の良いものです。楽しかった一日が終わって、ふと夕焼けの空を見るのは、あぁ一日が過ぎてゆくと、少し淋しい気持ちにもなります。



 兼好法師は< なにがしとかやいひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、たゞ空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことにさも覚えぬべけれ。(徒然草第二十段*>と綴っています。「ほだし」とは心をひきつけ束縛するもの、「空の名残」はいろいろ解釈できるようですが、わたしには夕映えとも感じられます。「空の名残」という言葉に現代人は惑いますが、兼好には、普通に、さもありなんと深く共感できたのでしょう。



 秋はスポーツに相応しいですが、先日は愛知県に住む 3歳の孫の運動会でした。天気も良かったようで、写真や動画が送られてきました。本人は運動会というものがまだよく分からないようで、とまどっているようでした。こうして集団の中での自分の位置や振舞い方を学習してゆくのでしょう。



 そういえば今日は母の命日です。もう 40年になります。わたしは 34歳でした。やっぱり秋晴れの日だったと思い出します。今から思えば、いろいろもっと聞いておけばよかったと悔やまれますが、際限のないことでしょう。



 今年は猛暑が続きましたが、どんな秋になるのでしょう。天高く、わたしも肥える秋であってほしいものです。



*『 新潮日本古典集成 徒然草 木藤才蔵 校注』(新潮社)


#「ありしながらの」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2020-10-10

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秋の句歌でも [雑感]


 いつの間にか、秋がやって来ました。10月になって、日暮れが早くなり、慌てて外灯を点けたりします。早朝に目覚めても、まだ外は暗いままです。庭には萩の小花が揺れています。


  白露(しらつゆ)や茨(いばら)の刺(とげ)に一つづゝ (与謝蕪村)


 蕪村の繊細で技巧の鮮やかさには、今更ながら驚かされます。涼しくなった朝の空気が白露に結晶しています。



  (いも)の葉にこぼるる玉のこぼれこぼれ

         小芋は白く凝(こ)りつつあらむ   (長塚節)


 子供のころ、祖母の作っていた畑の里芋を思い出します。大きな葉にころがる玉の露にみとれたものです。 いまだに小芋の煮付けはあまり好物ではありませんが・・・。



  鶏頭の十四五本もありぬべし  (正岡子規)


 たしか中学か高校の教科書で知った句だと思いますが、以来六十年、ずっと頭にこびり付いたままです。以前、根岸の子規庵を訪れたおり、狭い庭を見てまず思ったのは、ここに鶏頭が植っていたのかということでした。そういう意味では、この鶏頭は立石寺の蝉と同じ程に存在感が在ります。



  こほろぎのこの一徹の貌(かほ)を見よ  (山口青邨)


 言われてみれば、鳴いているコオロギの顔は頑固そうです。一夜、いちずに鳴き続ける虫の性を思います。目の付けどころが面白い。



  さわやかに流れて来てはひるがへり

      風にい向ふ蜻蛉(あきつ)の群(むれ)は (中村三郎)


 湿度の低い秋風が感じられ、トンボの群れを目で追う楽しさにひたります。こうなれば秋本番です。中村三郎は若山牧水の門下の歌人だそうです。言葉による表現も上手くできた手品のような一面もあります。今年の秋ははどこか高原にでも出かけられればいいのですが。





句歌歳時記〈秋〉 (新潮文庫)

句歌歳時記〈秋〉 (新潮文庫)

  • 作者: 山本 健吉
  • 出版社: 新潮社
  • メディア: 文庫

  

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爛漫亭も10年目 [雑感]


 今月でブログを始めて、まる9年になりました。そもそも 2014年7月に小学校の同窓会があり、かっての同級生が自分のブログに小学生のわたしが写った写真を upしたので、了承してほしいとのことでした。見るとタブレットに見覚えのある写真が出ていました。



 帰宅後、仕事に余裕が出来た時期だったので、ふと、わたしもブログをやってみようかとこころが動き「爛漫亭日誌」を始めました。とりあえず読んだ本などの感想を記録しておこうと思いました。



 爛漫亭というのは、自宅のあたりに桜の木が多いので、「らんまん」としました。第1回は 2014年8月9日で、「イェルサンのこと」と題し、P.ドゥヴィル『ペスト&コレラ』辻由美訳(みすず書房)を取り上げました。ペスト菌の発見者であるA.イェルサンの評伝でした。読み直してみると、初回ということで緊張したのか、とても硬い文章になっていました。



 以来、週1回位のペースで upしてきましたが、年とともに視力が落ち、読書のペースが遅くなり、わたしが読むものとは別に、家内が文庫本などを朗読してくれるようになりました。幸い家内は読書好きで、1日30分ほどの朗読は苦痛ではないようです。おかげで、島崎藤村『夜明け前』、司馬遼太郎『坂の上の雲』、瀬戸内寂聴訳『源氏物語』、河口慧海『チベット旅行記』、谷崎潤一郎『細雪』などを飽きることなく聴き通すことができ、ブログの題材となりました



 いつの間にか9年も過ぎたのかと驚きますが、この間、義母や同僚、隣人、かっての同級生、兄たちが他界し、孫が二人増えました。わたしも2020年に仕事を辞め、転居し、ちょうど新型コロナ騒動と重なって、病気と付き合う歳月になりました。身辺の出来事はいろんな感慨をもたらしました。



 自由で気ままな生活に、句読点を打つように、週1回ブログを書くのが習慣になったようです。折にふれてよみがえる記憶も含め、「聴いたこと見たこと読んだことしたこと感じたことの記録」を、つれづれにまかせ、綴っておこうと思っています。


#「イェルサンのこと」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2014-08-09

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