おどろくバファローズ [スポーツ]
今年のプロ野球は、この時期になっても両リーグとも優勝チームが決まらないという混戦で、ファンにとっては楽しくも気のもめる日々です。7年前からバファローズを応援するようになって、今年初めて上位争いに加われたのは望外の喜びです。
バファローズはシーズン最終戦を山本由伸投手の完封で勝利し、1位で終了しました。ただ優勝できるかどうかは、あと3試合残っている2位のマリーンズの結果次第です。マリーンズが2勝1分け以上であればマリーンズ、1敗すればバファローズの優勝という接戦です。
2年連続最下位であったバファローズが、こんな位置にいるとは不思議ですが、首位打者の吉田正尚、ホームラン王の杉本裕太郎、最多勝利の山本由伸を擁していることから考えれば、至極当然とも思えます。
1番・福田周平、2番・宗佑磨がともに打率2割7分台と安定し、得点力向上につながりました。19歳の遊撃手・紅林も攻守に目立っていました。ベテランの T-岡田、安達も時々、びっくりするような働きをしました。
数年前に2度、バファローズのファーム・チームが、近くの球場でカープと試合をしたので観戦しました。当時、ファームで真っ黒になって戦っていた選手が、いま一軍の主力選手になっています。もしかすると今の中嶋聡監督も、当時は2軍監督で指揮をとっていたのかも知れません。今年はコロナ感染で球場には行けませんでしたが、来年はぜひ大阪ドームで選手たちの溌剌としたプレイを見たいと思っています。
地球の果てから [雑感]
街中に出かけることが無くなったので、先日、onlineで CDを注文しましたが、発送予定日が12月16日と2ヶ月も先になっていて驚きました。地球の果てからでも、もう少し早く届きそうに思いますが、まあ急ぐものでもないので待つことにしました。
自分で出かけなくても大抵の物は宅配で届くので、家内はコメとか水など重い物は宅配で頼んでいるようです。また、たまにはお取り寄せのおやつを食べさせてくれます。
おかげで出歩くことが減ったせいか、筋肉量が減少したり、母趾が巻き爪になったりと影響が色々出ています。ほとんど家内としか口をきかないので声もかすれ易くなった気がします。意識的にする体操程度の運動では、無意識に動く、かっての日常生活の活動量には及ばないようです。そのうち「巣ごもり症候群」とか言われるようになるかも知れません。"ネット依存”、”筋力低下”、”声のかすれ” が三徴候。
新型コロナウイルスは消退しつつあるようですが、CD が届く頃にどうなっているか予測不能です。一般的には 70%近い住民がワクチン接種を受けている現状では、抗体量が維持されている期間中は流行し得ないはずですが、地球の果てから、また新しい変異株がやって来ないとも限りません。
すっかり秋らしくなってきましたので、コロナ感染がおさまっているあいだ、お城でも散歩して、近くの本屋さんくらいへは出かけてみようかと思っています。
地球儀のうしろの夜の秋の闇 (木下夕爾)
音に浸る [音楽]
今日はブルックナーの交響曲第4番「ロマンテック」を聴きました。クラウディオ・アバド指揮、ウィーン・フィル(1990年)です。秋めいてきた外気のように、爽やかで芯のしっかりした演奏でした。
ブルックナーの音楽を聴いていると、音によって湧き上がってくる心象風景の中を進んでいく気持ちになります。第1楽章では森の小道を辿って行き、ふと見上げると雪を頂いた山嶺が見えたりする。
第2楽章では、夕映えの空を雲がゆっくりと流れていく。第3楽章では馬に乗って草原を駆ける心地よさを思います。第4楽章は山の頂から四周の移りゆく風景を眺めている。雲海が湧き、時に一陣の風が吹く。
耳を澄ませ音に浸っていると、いつの間にか第4楽章の中ほどから眠っていたようです。気がつくと音楽は終わっていました。
こんなに抵抗もなく深々と音の世界に入り込めるは、ブルックナーの音楽に特異的なように思います。
開高健のユトリロ [読書]
大学生のころ美術部に属していたので、先輩に連れられて「ユトリロ展」、「レンブラント展」、「モジリアニ展」を京都へ見に行きました。1967-8年のころです。
ユトリロの絵はほとんどがパリの建物を描いたもので、ひと気がなく壁面ばかりが印象に残っています。レンブラントでは妻・サスキアをモデルにした華やかなフローラ像、それに何と言っても晩年の自画像が強烈にこころに焼き付いています。なんと深い哀しげな表情か、生きるとはこんな顔になることか、と十代のわたしを恐れさせました。モジリアニは目に表情のない細い首の女性像が記憶にあります。
結局、たいして絵も描かず、数年で美術部から離れましたが、若い頃に見た絵の印象はいつまでも残っています。いまだに絵はレンブラントが最高だという気持ちがあります。
ユトリロの絵に開高健がキャプションを付けた『開高健のパリ』(集英社)という本があったので取り寄せてみました。この本は1961年に出版された『現代美術 15 ユトリロ』(みすず書房)に収録された開高の文章と彼がパリについてふれたエッセイ類を再編集したものでした。
たとえばユトリロの「街景」という絵には・・・
<ユトリロの創作力の質的な限界はだいたい一九二五年頃からである。その頃から彼は実人生においてめぐまれだし、リュシー夫人の保護をうけて、いわば、幸福な馬鹿になりだした。この時期以後の作品は数は多いが、かっての、新鮮な回生の体験がタブローごとにこめられる、というようなそのようなパレットのとりあげかたができなくなった。たわいなく、涙にうるみ、ノホホンとして郷愁だけが発達したテクニクのなかにただようばかりとなった。/ けれどこの作品には転回直前の光輝がうかがえる。雨あがりの道で女たちはうつくしく輝き、樹木も、空も、壁もぬぐいとったように新鮮で華麗である。(開高)>
とキャプションを付けています。絵と文章を見比べながら楽しめます。
ユトリロ(1883-1955)はパリに生まれ、若い頃からアルコール依存症の傾向があり、入退院を繰り返し、その治療の一環として絵を描くようになったそうです。日本でいえば志賀直哉や高村光太郎と同い年です。開高健によれば第一次世界大戦前後がユトリロの創作力のピークだったということになります。彼はアルコール依存症で兵役免除になっていますが、同時期に活躍しだした戦争帰りのヘミングウェイらのロスト・ジェネレーションと重なる部分があるのかも知れません。ヘミングウェイは「薄汚い、安直なレッテル貼りなどくそくらえだ。*」と書いていますが・・・。
* E.ヘミングウェイ『移動祝祭日』(高見浩 訳 新潮文庫)