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牡丹のおもかげ [読書]

 三十年ほどまえ、奈良の長谷寺へ行って、牡丹を買ってきたことがあります。玄関の横に植えたのですが、花が終わると枯れてしまいました。 花に詳しい叔母に話すと、花は切って植えないと、負担が大きくて根付かないとのことでした。


  牡丹散て打ちかさなりぬ二三片 (蕪村)


 牡丹は寺院の前栽にみかけることが多いようですが、奈良時代に中国に渡った留学僧が持ち帰ったからだとされているそうです。 白楽天は「牡丹芳」に


  花開き花落つること二十日

  一城の人皆狂(たぶ)れたるが若(ごと)し


 と詠んでいるそうです(久保田淳『古典歳時記 柳は緑 花は紅』小学館ライブラリー)。



 また同書には、古典和歌では「牡丹」という字音を避けて「深見草 ふかみぐさ」というと書かれています。


  夏木立庭の野筋の石のうへに満ちて色濃きふかみ草かな (慈円)


 初夏に清々しく、華麗に咲く花は見事です。おもいつけばまた、長谷寺か当麻寺に出かけてみたいものです。


  ちりて後おもかげにたつぼたん哉 (蕪村)



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映画音楽のこと [音楽]

 先週末、家内が見ているテレビから「Stand by me」が聞こえてくるのには驚きました。映画の一場面かと思ったのですが、英国の結婚式の中継放送でした。


 この曲を聞くと、少年たち 4人が線路を歩いている映像が思いうかびます。あの映画のころ、わたしのこどもたちもちょうど、同じような年頃でした。


 映画の中で流れる音楽は、ほとんど映画を見ないわたしでも、いろいろ思いだします。古くは『太陽がいっぱい』や『ロミオとジュリエット』のテーマ曲・・・。 意外だったのは『鉄道員 ぽっぽや』で高倉健が、江利チエミのデビュー曲「テネシー・ワルツ」を口ずさむシーン。


 川本三郎は <高倉健は、いつも詫びていた。「すまない」と頭を下げていた。こんなにも、罪責感を心に抱えたヒーローを演じた俳優は、日本にも外国にもいないのではないか。> と書いています(『映画の中にある如く』)。


 是枝裕和監督の映画がカンヌで受賞しましたが、映画を観る根気が薄れているので、たぶん見ることはないでしょう。ときには、映画の本を読んだり、映画音楽を聴いたりすることはあるでしょうが。


#「ふと口ずさむ唄」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2014-11-24

#「映画は読んでいる」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2014-09-25

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神話の住人 [読書]

 新宮市の熊野速玉大社の境内に、佐藤春夫の詩碑があります。「望郷五月歌」の一節が陶板に焼き付けられています。近くには彼の旧居も移築されています。


IMG_1664.JPG


   塵まみれなる街路樹に

   哀れなる五月来にけり

   石だたみ都大路を歩みつつ

   恋しきや何ぞわが古郷

   あさもよし紀の国の

   牟婁の海山

   夏みかんたわわに実り

   橘の花さくなべに

   とよもして啼くほととぎす

   心してな散らしそかのよき花を

   朝霧か若かりし日の

   わが夢ぞ

   そこに狭霧らふ

   朝雲か望郷の

   わが心こそ

   そこにいさよへ

   空青し山青し海青し

   日はかがやかに

   南国の五月晴こそゆたかなれ


 西脇順三郎は「文人佐藤春夫」という文章を書いています。


 <五月頃になると南仏をおもわせるマロニエの樹に花が咲き、七、八月になるとノウゼンカズラの花が咲く。 この家の主人は門弟三千人をようしたという文人であった。>


 新宮という町は背後に熊野の山々を背負い、南は太平洋にひらけていますが、隔絶された地域の雰囲気があり、神倉神社のお燈まつりなど、神話的な世界の匂いが漂っています。 佐藤春夫にもそんな種族のしるしが感じられるかもしれません。




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初夏になって [雑感]

 八十八夜も過ぎ初夏となりましたが、今日は一日、雨のようです。 連休にはこどもたち一家が帰省してきたので、家にも活気がありましたが、また静かな生活にもどりました。どういう訳か今朝は、久しぶりに腰痛がでてきました。


 10歳の男児が将棋を挑んできたので、もう勝てないかもしれないと思いましたが、2連敗のあと、2連勝して面目を保ちました。


 6歳の男児は、もっと足の爪は短く切れとか、この顔のブツブツは何だとか、いろいろ注文をつけてきます。見ていると兄弟喧嘩をしなくなっており、それぞれに学習しているようです。


 3歳の女児は、アカンベェをしたり、男児たちの行動に興味を示したり、もう少しで一緒に遊べそうです。


 こどもの頃に、共にまみれて遊んだという記憶は、重要です。何十年たっても親愛の情は薄れません。生きてゆく上で、もしかしたら最も大事な記憶かもしれません。


 家内と二人、静かだとかいいながら、また日常にもどっていきます。


  谺(こだま)して山ほととぎすほしいまま (杉田久女)




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