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開き直って [雑感]

  5月13日夜、布団の中で左耳が痛くなり、中耳炎になったのかと思い、耳に触れてみると、どうも外耳道に湿疹ができており、暗い中、たどってみると、湿疹は下顎まで続いているようです。「アッ、これは帯状疱疹だ」と気づいたので、翌朝、クリニックを受診し、抗ウイルス薬と鎮痛剤を処方してもらいました。


 服薬すると翌日には痛みは改善した気がし、1週間ほどすると発疹はカサブタになりました。ただ、左耳から頬、下顎にかけて、シビレがきれた時のようなジンジンする痛みと、時にチクッとする痛みが続いています。昨日からカサブタが取れ始め、シビレの範囲も縮小しつつあるようです。今日で発症から 17日目です。1日1回、鎮痛剤を飲んでいます。


 いつかはなるだろうと思ってはいましたが、ヤレヤレです。罹ってみて分かったのは、帯状疱疹は発疹が目立ちますが、患者にとっては皮膚の病気というよりは神経の病気です。舌も左半分が痛みます。


 むかし母親が「あんたは、はしかも、おたふく風邪も、水疱瘡もしてない」と言っていましたが、帯状疱疹になったからには水疱瘡には罹っていたのでしょう。団塊の世代で子供の多い中で暮らしていましたので、一通りの流行病には遭遇していたはずです。水痘にいつ罹っていたのかは不明ですが、約 70年、ウイルスもよく神経節に潜伏していたものです。


 70年体内に居たウイルス遺伝子といえば、もう親から引き継いだ遺伝子と大差なく、身内みたいなものです。そう思って不快感を飼いならしながら、しばらくは帯状疱疹と付き合っていく他ありません。



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季節の句歌 [読書]

 今年は早い梅雨入りで、うっとうしい日が多いようです。巣ごもり状態だったうえ、たまの散歩もままなりません。気晴らしに『句歌歳時記 夏』(山本健吉編著 新潮社)を眺めています。


   五月雨(さみだれ)を集めて早し最上川 (松尾芭蕉)


      五月雨や大河(たいが)を前に家二軒 (与謝蕪村)

 

 芭蕉は川の力強さを主に詠っていますが、蕪村は水を恐れる人間に目が向いています。二人の資質の違いが際だっています。それでも芭蕉あっての蕪村という気がします。



  水の上五月のわかきいなびかり (大野林火)
 
 
      泰山木天にひらきて雨を受く (山口青邨)
 
 
  泰山木の句には「落ちざまに水こぼしけり花椿(芭蕉)」、「椿落ちてきのふの雨をこぼしけり(蕪村)」が意識されている気配があります。
 
         昼ながら幽(かす)かに光る蛍一つ
       孟宗の藪(やぶ)を出でて消えたり (北原白秋)
 
 
     なめくぢも夕映えてをり葱(ねぎ)の先 (飴山実)
 
 
     みじか夜や毛虫の上に露の玉 (与謝蕪村)
 
 
   小動物に視点を定めている人間の存在が浮かび上がります。虫を詠んでいるようで、それを観ている人のことが気になります。
 
         口をもて霧吹くよりもこまかなる
        雨に薊(あざみ)の花はぬれけり (長塚節)  
 
 
     青梅の臀(しり)うつくしくそろひけり (室生犀星)
 
 
   植物を眺める人は、虫を観る人に比べ、少し自足した雰囲気が感じられます。虫は作者の身代わりとなりやすいのかも知れません。
 
 『句歌歳時記』は山本健吉が「週刊新潮」に昭和 31年から連載した囲み欄「句歌歳時記」の 30年分を四季別に四巻に編集したものです。季節に因んだ俳句と和歌・短歌のアンソロジーとなっており、季節のものを机上に置いておけば三ヶ月楽しめます。いつのまにか三十年来の愛読書となっています。
 
 

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大阪人の高慢と偏見 [読書]

  関西には「いけず」という言葉があります。ちょっと意地悪とでもいったニュアンスです。逆には「いける」という言葉があり「イケメン」は日常語です。かっては「イカス」という言葉もありました。関西の「いけず」という微妙な雰囲気の言葉はどこから生まれたのでしょう。


 ふと、そんなことを思ったのは、『細雪』という小説の朗読を聴いていて、「いけず」な目線が感じられたからです。東京人の谷崎潤一郎が関西人の「いけず」の世界を書いてみたという風に。


 昭和十年代、大阪船場の、今は没落した大店の四人姉妹、長女と次女は、派手好きな父親の存命中に婿を取り、本家と分家を構えています。物語は内気な三女と奔放な四女の結婚相手選びを中心に展開しています。


 かっては、どんな相手と結婚するかは洋の東西を問わず一大問題でした。19世紀のイギリスでは J.オースティンが五人姉妹の結婚をめぐる『高慢と偏見』という小説を書いています。『細雪』にはどこか、大阪人の「高慢と偏見」という雰囲気があります。


 東京みたいな所に住みとうないわ、豊橋みたいな田舎はいやや、その人、月給いくらですやろ、花見はやっぱり京都やな、と大阪人の生活感情が活写されています。分家のある芦屋や神戸近辺の暮らしぶりも詳細に書かれています。一見優雅に、そして「いけず」に、したたかに生きる大阪人が浮かび上がります。


 何回か映画化されていますが、1983年の市川崑監督のものでは、岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子の四姉妹で、婿養子役は伊丹十三、石坂浩二です。丁寧に作られていますが、市川崑流の解釈が少し目につきます。


 いわば『細雪』は失われた時代の想い出のようなものです。大阪人のいけずな高慢と偏見が細雪のように消え去ろうとする過程を見詰めています。





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いい湯だな [読書]

昔の作家たちはよく温泉宿に長期逗留しています。それというのも、当時は東京の下宿代より宿賃の方が安かったそうです。川端康成などは学校へはあまり出席せず、伊豆湯ヶ島の湯本館に滞在することが多く、大学の仲間からは「伊豆の守」と呼ばれていたそうです(嵐山光三郎『ざぶん 文士放湯記』講談社)。


 そういえば私の学生時代の昭和40年代でも、東北や信州では素泊まりなら700円で泊まれました。下北半島では宿の人が700円の素泊まりなのを忘れて、イカの糸造りを食べさせてくれたことがありました。現在とは宿賃の感覚が違っています。ただ当時、私は温泉にはまったく興味がありませんでした。


 『ざぶん 文士放湯記』は明治・大正の作家たちの温泉や入浴にまつわる逸話を集めています。「あとがき」にはこんなことが書いてあります。


 <晩年の芥川(龍之介)の顔はいつも垢で汚れていた。菊池寛にならって、顔を洗わなかった。そのため髪には雲脂(ふけ)がたまり、細い指先も黒ずみ、躰全体から異臭が漂っていた。芥川が自殺する三日前、内田百閒(ひゃっけん)が訪ねてきたが、芥川は睡眠薬で半醒半酔の状態で、口がよくまわらなかった。百閒は、/「近くの温泉でも行くか」/と芥川を誘った。芥川の躰があまりに臭かったからである。それに、温泉につければ、躰の睡眠薬が少しでもぬけると思ったのである。/「馬鹿、このくそ暑いのに湯などに入れるか。入るのなら海がいい。このまま海に入れば、溺れて死ぬことができる」/と芥川は答えたという。> 龍之介が好んだのは修善寺温泉・新井旅館だそうで、師漱石の影響のようです。


 私が初めて入った温泉はどこだったろうと思い返してみると、こどもの頃に親に温泉へ連れて行かれた覚えはないし、そうすると中学の修学旅行で泊まった箱根・小涌園だったかも知れません。昭和38年だったと思いますが、勿論どんな温泉だったかは記憶にありません。


 大正13年、大学を卒業した川端康成は震災後の東京を避け、湯ヶ島温泉で半年暮らしました。翌年は1年間湯ヶ島に滞在しました。しかし高校時代に出会った旅芸人の踊子には結局、再会できませんでした。康成が『伊豆の踊子』を書き出したのは、この年のことです。当時、2歳年下の梶井基次郎が結核療養のため湯ヶ島に滞在しており、『伊豆の踊子』の校正をしたそうです(嵐山光三郎『文人悪食』マガジンハウス)。






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音楽の可能性 [音楽]

 音楽も同じジャンルのものを聴き続けていると、飽きてしまって、心に届かなくなることがあります。この間うちはクラシックばかりを聴いていましたが、音が遠くで鳴っているように感じはじめ、止めました。


 今日は久しぶりにジャズを聴きました。マイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』です。新鮮な音が解毒剤のように心地よく体に響きました。トランペットの音が吹き矢のように心に刺さります。


 音楽ジャンルでいえばロック、歌謡曲、フォーク、ブルース、ラテン、シャンソンなどといろいろに分かれていますが、ひとつの分野にしばらく浸っていると、何か表現の限界のようなものを感じるようになり、飽きてしまいます。


 ジャズも続けて聴いていると、どれも同じように思えてきます。聴く方がそうなんだから、演者はもっと強く感じることでしょう。そういう意味ではマイルス・デイヴィスが次々と演奏スタイルを変えていったのは、表現の領域を拡げようとしてのことだったんだろうと納得します。それで彼は壁を突き崩せたのだろうか?


 振り返ってみれば時代によって音楽ジャンルも消長し、流行り廃りがあります。ただそれを牽引し表現の可能性をおし拡げていったのはジャイアントと言うべき個人でした。そして何百年経ってもやっぱりバッハには聴くべきものがあるし、何十年経ってもマイルス・デイヴィスは新鮮に心に響きます。


 家内に言わせると、このごろ何か変わったものを聴いてるなと思えば、そのうちにまたモーツァルトに戻っているとのことです。そうなのか、そうかも知れない・・・と何十年来の繰り返しに苦笑します。





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