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日本シリーズの出来事 [スポーツ]

 プロ野球の日本シリーズが始まりましたが、スワローズのホームラン攻勢にバファローズは守勢のようです。しかし、短期決戦は意外な事で風向きが変わったりします。過去にはいろいろありました。


 思い出すのは、南海ホークス・巨人戦での9回裏、ホークスの一塁手、寺田の落球です。いつのことだったのかと調べてみると、昭和36年(1961)10月29日の後楽園球場でした。凡フライで、あぁ試合終了と思ったのですが、ポトリと玉が落ちたのです。


 打者はわたしの大好きだった藤尾で、投手はスタンカだったそうです。その後、長嶋が内野安打、エンディ宮本がヒットを打って、逆転サヨナラになりました。結局、巨人が4勝2敗で勝ちました。わたしは中学1年生だったことになります。テレビで見た落球の映像が、60年以上経っても脳裏に蘇ります。


 また、1989年の日本シリーズ、近鉄バファローズ対巨人では、バファローズが3連勝した10月24日、東京ドームで勝利投手の加藤が「巨人はパ・リーグ最下位のロッテより弱い」と言ったということで、巨人ナインとファンの怒りを買い、その後、バファローズは3連敗しました。


 そして、第7戦は再度、加藤が登板したのですが、駒田にホームランを打たれるなどして、バファローズは敗北し、初の日本一を逃しました。加藤投手の河内の球団らしいヤンチャな口ぶりが記憶に残っています。


 何があるか分からない。人によって、印象に残る日本シリーズの出来事はさまざまでしょうが、何と言っても、ひいきチームの活躍が一番でしょう。わたしは子供の頃からの巨人ファンでしたが、意外なことから7年前にバファローズに変わりました。それにしても、2年連続最下位だったチームどうしが、2年連続、日本シリーズを戦っているのは不思議な気がします。


 ひいきは別として、子供心に、すごい選手として思い出すのは、南海ホークスの杉浦忠投手です。巨人相手の日本シリーズに杉浦は4連投して、巨人に4連勝しました。杉浦はその年、入団2年目で、38勝4負というトンデモナイ成績でした。昭和34年のことで、私は小学5年生で野球部に属していました。杉浦の細身でメガネをかけたサイドスローの投球フォームが目に焼きついています。


 今年の日本シリーズにはどんなドラマが待っているのでしょう? 両チームの秘術を尽くした熱戦を期待し、ハラハラしながら楽しんでいます。


#「プロ野球の楽しみhttps://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2021-06-04

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幻の月山 [読書]

 鳥海山は秋田へ出かけたおり、レンタカーで友人たちと中腹まで行きましたが、山形県の月山は見たことがありません。大学生のころ、奥羽本線の夜行列車の暗い窓を覗き、昼間なら月山が見えるのだろうか? と、口惜しく思った記憶があります。


 森 敦の小説『月山』には < 月山はこの眺めからまたの名を臥牛山(がぎゅうざん)と呼び、臥した牛の北に向けて垂れた首を羽黒山(はぐろさん)、その背にあたる頂を特に月山、尻に至って太ももと腹の間の陰所(かくしどころ)とみられるあたりを湯殿山(ゆどのさん)といい、これを出羽三山と称するのです。> と書かれています。


 そして、夕焼けのの月山を < すべての雪の山々が黒ずんでしまった薄闇の中に、臥した牛さながらの月山がひとり燃え立っているのです。> と描写しています。


 また、元禄2年(1689)、松尾芭蕉は『おくの細道』で、 < 六月三日、羽黒山に登る。(中略)/八日、月山に登る**。木綿注連(ゆふしめ)身に引きかけ、宝冠に頭(かしら)を包み、強力といふものに導かれて、雲霧山気の中に氷雪を踏んで登ることハ里、更に日月行道(じつげつぎやうだう)の雲関に入るかとあやしまれ、息絶え身凍えて頂上に至れば、日没して月あらはる。笹を敷き篠を枕として、臥して明るを待つ。日出でて雲消ゆれば、湯殿にくだる。/ 谷の傍(かたはら)に鍛冶小屋(かぢごや)いふあり。この国の鍛冶、霊水を選びて、ここに潔斎して剣(つるぎ)を打ち、つひに「月山」と銘を切つて世に賞せらる。> としています。そして・・・


   雲の峰いくつ崩れて月の山 


・・・などの句を書き留めています。『芭蕉文集』*の頭注では < 炎天下の入道雲が次々と崩れ去って、夕空には、中天高く聳(そび)え立つ月下の月山の威容だけが眼前に迫って来る。> と解説しています。


 三百年後、芭蕉の全紀行を追いかけた嵐山光三郎は『芭蕉の誘惑』(JTB)で、この句について、< 夜の山道を歩くと、目前に雲の峰が現れては消え、突然雲の峰が崩れて、その奥に月光に照らされる月山が見えた、という動きがある句である。> と解釈していました。


 そして嵐山は、< 私は三十年前にこのコースを歩いたが、かなり険しい山道で、へとへとに疲れたことを覚えている。> とのことで、今回はバスで月山八合目の弥陀ヶ原まで行くことにしたと言い、随行した < 曽良の『旅日記』によると、芭蕉は弥陀ヶ原で昼食をとり、一気に月山に登った。「難所成(なんしょなり)とある。私は弥陀ヶ原を少しばかり登っただけで、引きあげることにした。月山は標高一九八四メートルで、芭蕉が生涯登った山のなかで一番高い。命がけであったろう。> と書いています。


 関西に住んでいると、みちのくは遠く、出かける機会が少ないですが、いつか、わたしも白雪の月山を麓からでも眺めてみたい気がします。


 ちなみに、このあいだ読んだ恩田侑布子の本***では前句について、< 「雲の峯」は積乱雲で夏の季語。男性原理をあらわす。対する「月の山」は、次のような五つの入れ子構造をなしていよう。/ 一つは、現に登拝している月山。二つは、秋季の月に照らされた山。三つは、麓の刀鍛冶の銘「月山」。四つは、天台止観でいう真如の月(羽黒山・月山とも当時、本山は天台宗寛永寺)。五つは、女性原理の暗喩である。> と分析していました。


 どこかに行ってみようと思うのは、その場所になんらかの思い入れが生まれた時なのでしょう。日本海を眺めながら、北へ汽車旅に出かけたいものです。


*『新潮日本古典集成 芭蕉文集 富山奏 校註』(新潮社)

**随行した曾良の『旅日記』では、月山に登ったのは六日で、頂上の角兵衛小屋に泊まったとあります。

***『渾沌のラマン恋人』(春秋社)




月山

月山

  • 作者: 森 敦
  • 出版社: 河出書房新社
  • メディア: 単行本

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女二人の抱腹絶倒 [読書]

 今は古本屋さんに出かけなくとも、ネットですぐ手に入るので、古い本も簡単に読むことができます。家内が有吉佐和子『女二人のニューギニア』を読んでみたいと、注文しましたが、二日ほどで届きました。1985年出版の文庫本ですが、原本は 1969年に出た古い旅行記です。


 小説家・有吉佐和子が友人の文化人類学者・畑中幸子の誘いにのって、ニューギニアに出かけた話です。


 <「東京は騒がしゅうてかなわん。私はもう疲れてしもうた。早うニューギニアへ帰りたい。ニューギニアは、ほんまにええとこやで、有吉さん。私は好きやなあ」/「そう、そんなにニューギニアっていいところ?」/「うん、あんたも来てみない? 歓迎するわよ」> ということで、有吉佐和子は翌年(1968)、ニューギニアに出かけました。


 ニューギニアはオーストラリアの北側にある熱帯雨林の島ですが、日本国土の約2倍の面積があります。


 ウイワックという島北部の空港で待っていてくれた畑中さんは、< 私を認めると彼女は走ってきて、/「あんた、やっぱり来たわねえ。よう来たわねえ。まさか、まさかと思ってたのに」> と大歓迎してくれます。


 < どのくらい歩くのですか」/「二日です」/「一日にどのくらい歩きますか」/「はい、十一時間です」/(中略)/「誰が歩くの?」/「あんたと私」/(中略)/「あんたが疲れたら、三日にしてもええけどね」> とんでもない話になります。


 畑中さんのフィールド・ワークの拠点のあるヨリアピという所まで、ジャングルの中を、山をいくつも越え、川を渡り、野宿しながら行くのです。


 < これがジャングルか、私は、あらためて周りを見回した。たしかに木がいっぱい生えている。それが次第に深くなって、もう空が見えない。(中略)私は軍手をはめた手を伸ばしては、目の前の枝につかまり、よいしょッと腕に力を入れて這い上るようになっていた。>


 < 「畑中さん、足の爪が痛いの」/頂上に着いてから、私が言い出すと、/「当然よ!」/畑中さんがはたき返すように答えた。/「私なんか一往復する度に指の爪はがれてるわ。今は三度目のんがはえかわりや」/そんなことを東京で一度でも聞いていれば私はニューギニアに決して出て来はしなかっただろう。(後略)>


 <三日目の朝、私は起き上がれなかった。> という訳で、< ものの五分とたたないうちに、二本の手ごろの木が切って運ばれてきて、その間に私を寝かせると蔓草を器用に巻きつけて、私を縛りつけ、つまり仕留めた野豚をかつぐのと同じ要領で、彼らは私をかつぎあげたのである。>


 畑中さんが手配したシシミン族の人たちにかつがれ、著者は畑中さんの小屋があるヨリアピにたどり着きます。シシミン族というのは 1965年に発見された種族で、畑中さんの研究対象です。手に手に弓矢を持ち、首に竹と貝のネックレスを巻きつけている者、鼻に野豚の牙をさしている者、ビーズ玉を頭にも首にも飾っている者、みんな草を腰蓑のようにしているか、ヒョウタンを前にはめています。


 こうして有吉さんのニューギニア滞在が始まります。最初は1週間ほどの予定でしたが、足の爪が剥がれかけており、とても、また空港まで3日間歩き続ける気力も体力もありません。とりあえず爪が治るまでと、女二人、シシミン族の中での日々が続きます。


 畑中幸子さんは 1930年生まれで有吉さんより1歳年長で、和歌山県立田辺高校を卒業しており、ともに和歌山にゆかりがありました。1967年に『南太平洋の環礁にて』という岩波新書を出版し、その稿料でニューギニアにやって来たそうです。


 < 乾パンとコンビーフとトマトしか材料がないのでは、どう知恵を絞っても思いつく料理の数は知れている。(中略)/「シシミンはサツマイモの他に何を食べているの?」/「鳥と野豚やな。釣りの習慣がないからね、それと蛇や」>


 < 私は望郷の念しきりで、子供のことばかり考えていて、吾が子よ、この愚かな母を許せと、そんなことをぶつぶつ呟(つぶや)き、なんとかして歩かずに、あの山々を越す法はないものかと、思えばさらにぐったりして、なんで出て来てしまったのだろう、どうして誰も止めてくれなかったのかと、またしても恨みであった。>


 有吉さんは手に入れた野豚を料理したり、パンツを手縫いしてシシミンに与えたり、女二人の楽しい悪戦苦闘を書き綴っています。


女二人のニューギニア (朝日文庫)

女二人のニューギニア (朝日文庫)

  • 作者: 有吉 佐和子
  • 出版社: 朝日新聞社
  • メディア: 文庫


 帰国のチャンスは突然出現します。上空にヘリコプターが現れたのです。驚いたシシミンたちが奇声をあげ、有吉さんも必死で叫び、手を振りました。地図を作っていた「聖書を各国語に訳す団体」のヘリコプターだったのです。急遽、便乗させてもらいヨリアピ脱出に成功しました。


 やれやれですが、まだ続きがあります。日本に帰国後、有吉さんは高熱発作に襲われ、三日熱マラリアと診断され入院するはめになります。後日、学会出席のため一時帰国した畑中さんは < 「なんでやろなあ。私は、なんともないのに、あんただけなんでマラリアになったんやろか」/不思議でならないと首を傾(かし)げていた。> そうです。


 1984年に有吉さんは他界されましたが、畑中さんは 2013年に『ニューギニアから石斧が消えていく日 人類学者の回想録』(明石書店)を出版しています。


「紀伊半島の一隅で」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2022-05-19

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一句を読み解く [読書]

   何ヶ月かまえ、毎日新聞の書評欄で渡辺保(演劇評論家)が「斬新な日本文化論が現れた」として、恩田侑布子『渾沌のラマン恋人 北斎の波、芭蕉の興』(春秋社)という本を紹介していたので、取り寄せてみました。渡辺さんの書評はだいたいにおいていつも興味深く読んでいます。”斬新な日本文化論”とはどんなものだろう?


 著者は 1956年、静岡生まれの俳人・文芸評論家とあります。一読、元気な、すこしヤンチャなおばさんといった感じで、やや思弁的ですが、日頃の思いをまとめて書き綴ったという熱量の高さを感じました。今回は、文化論はさておき、取り上げられていた俳句の解釈がおもしろかったので、いくつか抜き出してみます。


 プロローグでは、< 芭蕉は女のひとを恋したことがあったのかしら。 > と書き出していました。そして、芭蕉が尾張で出会った杜国との別れにおくった・・・


    白げしにはねもぐ蝶の形見哉 (芭蕉)


・・・について、< 白げしの花びらに分け入って蜜を吸っていた蝶が、みずから白い翅(はね)をもぎ、わたしを忘れないでと黙(もだ)し与える。(中略)もうあなたのいない空など飛べない。飛びたくないという激情が潜む。杜国二十七歳、芭蕉四十一歳の恋である。> と読み解いています。< 芭蕉は精神的にも深い衆道(しゅうどう)を好み、市井の女性に燃えることはなかったと思われる。 > と解説しています。



   命二ツの中に生(いき)たる桜哉 (芭蕉)


 < 芭蕉は郷里の伊賀で俳諧の手ほどきをして二十年前に別れた、かつて九歳の少年であった土芳(どほう)と、近江の水口でゆくりなき再会を果たした。いま、ふたりの前にはひともとの桜が咲きほこっている。不思議なことが起こる。見下ろす大桜の黒々とした幹にも枝にも、満開の花という花にも、鏡像のように二人のいままでの歳月が脈打ち、息づきはじめるのであ。枝もたわわに花びらはさざめき交わす。互いを思う気持ちは憑りうつり、なりかわり、芭蕉・土芳・桜木という三者三様の入れ子構造となって、花明かりのなかに変幻し合うのである。(後略) >



   ゆめにみし人のおとろへ芙蓉咲く (久保田万太郎)


 < 夢にみた恋しいひとに、歳月を隔ててゆくりなくも再会した。だが、そのひとははっとするほど年を召されていた。(中略)/芙蓉は一日花である。夕べには、絵巻を丸めたような姿で地に落ち、色を深める。しかしいま秋気(しゅうき)のかすかに通う日差しに、花のあどけないかんばせは、わずらいの影もなく風にたゆたう。忘れられないあの日の頰のように。ひとの世の何十年が、芙蓉の一日に凝縮され、目の前に咲きゆらぐ。(後略)>



   短夜のあけゆく水の匂かな (久保田万太郎)


 < あっけなく明ける夏の夜、あっけなく終わるひとの一生を暗示する興の俳句である。いのちのはかなさは季語の「短夜」に託され、万人の五体に染み付いたなつかしい「あけゆく水の匂(にほひ)」にとかしこまれる。ほのかにやさしい人肌のようなやまとことばの調べにのせて無常をそこはかとなく嘆いている。(後略)>


 やや過剰ぎみですが、こんな風な解釈を読んでいると、一句から世界が広がります。ふだん何気なく眺めている言葉に豊かな情感が立ち昇ってきます。本書の帯に詩人の荒川洋治が「詩歌の全貌を知るための視角と、新しい道筋を、鮮やかな絵巻のように描き出す。重点のすべてにふれてゆく、大きな書物だ。」と推薦文を寄せているのも、ある程度、納得できました。




渾沌の恋人(ラマン): 北斎の波、芭蕉の興

渾沌の恋人(ラマン): 北斎の波、芭蕉の興

  • 作者: 恩田 侑布子
  • 出版社: 春秋社
  • 発売日: 2022/04/19
  • メディア: 単行本

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