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明け方の夢 [雑感]

  仕事をしなくなってから、明け方に再々、仕事をしている夢を見ます。いくらやっても上手くいかない。アァ困ったという状況になって目が覚めます。「・・夢でよかった・・・」と安心します。こんなことは仕事をしていた頃には再々は無かったように思います。


 仕事をやり残したという気持ちはありません。もう仕事は若い人に任せた方が良いと納得しています。おかげで勤務中に比べると1〜2時間、睡眠が長くなり、寝つきもよくなりました。平穏な暮らしです。


 困った夢は必ず明け方に訪れます。なんとなく覚醒しているような、眠っているような半眠半醒とでもいうような状態の時です。起きるには少し早いかと思いながら、目をつむっていているうち、困っている夢に起こされ、眠っていたと気づきます。


 良い方に考えれば、そんな夢を見ることで、体に染み付いた仕事人間の垢が一枚、一枚剥がれているのかもしれません。


 夏目漱石には『夢十夜』という作品があります。「こんな夢を見た。」と奇妙な夢物語を語り出します。十夜それぞれにバラエティにとんでいます。こんなに物語性の豊かな夢は見ないなと自分を振り返ります。漱石はそんな夢物語を記述することで心の何かが変化したのでしょうか。


 それにしても、いつまで仕事の夢を見続けるのでしょう。そしてこんな夢を見なくなった時、わたしはどんな風に変化しているのでしょう?



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詩人の食べもの [食物]

  嵐山光三郎『文人暴食』(マガジンハウス)は『文人悪食』の続編です。小泉八雲から寺山修司まで 37人について、各人を食べ物との関わりから描いています。著者は「あとがき」で <・・・二冊を書くために十年間(五十歳〜六十歳)を要した。それは、人間が食うことの意味を問う十年間であった。>と述懐しています。


 一人につき 10ページ程の分量なので、食事を待つ間とか、眠前などに簡単に読めますが、それでいて独特の切り口から各人の意外な人間像が浮かび上がり、読み応えがあります。


 たとえば、室生犀星(1889-1962)といえば「ふるさとは遠くにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」で始まる抒情詩が思い浮かびますが・・・。


 彼は <金沢に生まれた私生児であった。父は加賀藩の足軽頭、母ははるという女中であった。父は老年で女中に子を産ませたことを恥じ、生後七日のまだ名をつけぬうちに、近所の赤井ハツに渡した。/(中略)ハツは、人買い屋でもあり、若干の養育費を貰って事情ある子をひきとり、男ははやく勤めに出し、娘は娼婦として売って遊興費を稼いでいた。> 室生犀星の出発点です。

 姉が娼婦として売られたとき、少年犀星は号泣した。ハツは「姉を売った金でおまえが食うことができるのだ」と説明しました。犀星はひもじい少年期を過ごしました。
 
 詩人となった犀星は、山にかすみ網を張って大量のツグミをとって持ち帰り、バケツのなかで羽をむしり、肉はバターで炒め、骨はこまかく叩いて、メリケン粉と混ぜて団子とし、じぶ煮にして食べていたそうです。こんな詩を書いています。
 
 
   「小鳥を食べる」
  春さきになると小鳥がおいしくなる
  美しい柔らかい羽根をひいた裸のまま
  火に炙(あぶ)ると漆のやうに焦げる
  人間の心をよろこばせる美しい味ひと
  それを食べたあとのからだが
  ほんのりと桜いろに温まつてくる
  冬木にとまる小鳥をみると
  小ぢんまりしたからだを感じるのだ。
    (後略) 

 晩年の犀星は <庭に杏の実がなると、杏の数を勘定して、熟れすぎぬうちに植木屋に頼んでもぎとった。それを自ら台所で洗い、書斎の押入れに隠してしまい、妻のとみ子には二個しか与えなかった。娘の朝子は、犀星が留守のときにそれを盗み出してとみ子にあげた。とみ子は昭和十三年、脳溢血で倒れ、以後半身不随になっていた。帰宅した犀星は、隠しておいた杏を数え、二個足りないことを知ると、朝子をひどく叱った。「とみ子が胃痙攣をおこしたら困る」というのが犀星の言い分であった。> 


 犀星はだんだんと食べ物に執着するようになります。嵐山光三郎はこれを犀星のひもじかった少年期への復讐と捉えています。


 昭和37年、詩人・小説家として一家をなした犀星の遺作はこんな詩でした。


      「老いたるえびのうた」

  けふはえびのやうに悲しい

  角(つの)やらひげやら

  とげやら一杯生やしてゐるが

  どれが悲しがっているのか判らない。

  

  ひげにたづねて見れば

  おれではないといふ。

  尖つたとげに聞いて見たら

  わしでもないといふ。

  それでは一体誰が悲しがつてゐるのか

  さつぱり判らない。

  生きてたたみを這うてゐるえせえび一疋。

  からだぢゆうが悲しいのだ。


 <復讐をはたし終わった詩人が、余裕をもってユーモアさえ漂わせて自嘲してみせた。>と嵐山光三郎は書いています。絶品です。



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鱒鮨のこと [食物]

   わたしの父親は薬関係の仕事をしていたので、時に富山の薬屋さんへ出張していました。帰りに鱒鮨を買ってくることがありました。土産という楽しさもあり、淡い紅色の鱒という魚も珍しく、子供心に美味しかった記憶として残っています。当時、川魚など食べたこともなく、サーモンなど無かった時代です。


 大人になって家内が百貨店の催しに出ていた駅弁の鱒鮨を買ってくることがありました。子供の頃を思い出し、懐かしく食べました。30年程前、子供達を連れ立山に出かけたおり、室堂で昼食に食べた時には夏だったせいか酢がきつく、少しガッカリしました。


 15年程前、黒部峡谷に旅行したおり、JR富山駅の食堂に入ると、品書きに鱒鮨が2種類ありました。どう違うのか訊いてみると、普通のと腹身のとがあるとのことでした。腹身の鱒鮨はねっとりと脂分が舌に感じられ、今まで食べた駅弁の鱒鮨とは別物でした。店の人によると富山では何軒か鱒鮨屋があり、各人好みの店のを買うとのことでした。考えてみれば地元の人は駅弁は食べないのでしょう。わたしも最寄り駅の駅弁は食べたことがありません。


 4年前、富山の八尾へ盆踊りを見に行ったおり、思い出して富山駅へ行ったのですが、駅が建て替わっていて、先の店も分からず、結局満足に食べられませんでした。


 先日、吉田健一『私の食物誌』(中央公論社)を読んでいると「富山の鱒鮨」という文があり、<・・・富山の信用出来る店で作っているのは桶が小包で着くと嬉しくなる。それも六月頃に作るのがよくて、どういう関係かその頃の鱒が一番脂が乗り、飯にもその脂が染み込んで旨くなっている感じである。>というようなことが書いてありました。


 読んでいるとあの腹身の鱒鮨のことが思い出され、つい鱒鮨屋さんに電話して送ってもらう羽目になりました。


IMG_2073.jpg


 しっとりと鱒の身が舌にからみ、酢も柔らかく、鱒の香りがひろがります。それにしても、また自由に旅行に出かけられる時が待ち遠しくなります。食べ物もそれぞれに土地の記憶と繋がっています。


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春の音 [音楽]

 桜の便りが聞こえ始めています。天気は曇っていても冷気は感じず、冬は去ったと体感できます。


  春の木木光のうちに揺れみだれ

       きらめき騒ぐ美しさ見よ (窪田空穂)


 なんとなく陽の光が明るくなると心が弾むものです。シューマンの「春」という交響曲は高らかなファンファーレで始まります。春の訪れを宣言するような音です。聴いていてウキウキしてきます。先日はバーンスタイン指揮、ウィーン・フィルの CDをかけてみました。バーンスタインが指揮台で飛び跳ねているような演奏でした。


 聴きほれる演奏は時間を忘れますが、気に入らない演奏は退屈で長く感じられます。だいたい歌謡曲やジャズは1曲、3~10分位で、それ位が人間が集中できる限度なのでしょう。ボクシングも1ラウンド3分、相撲も4分取れば水入りです。クラシック音楽で1楽章が 20分もあるのは余程ひき込まれる演奏でないと飽きてしまいます。


 映画『アマデウス』で音楽を聴きながら皇帝がアクビをする場面がありましたが、聴衆の気持ちがキレないような演奏をしてもらいたいものです。


 音楽を聴いてみようとした時には気分で曲を選択しますが、それが思ったほど感心できないこともあれば、予想以上に心になじむ場合もあります。また完璧な演奏で満足するかと思えば、完璧すぎて息苦しく感じることもあります。音楽と人との関係も対話のように流動的なものなのかも知れません。


 音楽という人工的な音ではなく、自然にもあちこちに春の音が聞こえています。




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訳者が変われば [読書]

 以前、ラ・ロシュフコオ『箴言と考察』(内藤濯 訳)を読んだとき、なかなか面白いと思ったのですが、どうも意味が分からない所が散見され気になっていました。原文がそうなのか、訳文のせいなのか、フランス語も分からないのでそのままになっていました。


 訳者の内藤濯は『星の王子さま』の訳で知られた人で、『箴言と考察』も1948年に岩波文庫に入り1983年に絶版になるまで三十数刷を重ねた本です。


 1989年、同じ岩波文庫でラ・ロシュフコー『箴言集』(二宮フサ 訳)が出版されています。本屋で見かけるたびに何となく気になって、あの意味の取りにくい所はどうなっているんだろうと思い、読み比べてみることにしました。


 例えばこんな風に違っていました。


 内藤訳「よい結婚はある。がしかし、食いつきたいほど美しい結婚はない。」

 二宮訳「よい結婚はあるが楽しい結婚はない。」


 家内に感想を聞くと二宮フサさんは女性なので「これは訳者の男女の差が出ているのだ」とのことです。二宮さんの簡単明瞭な訳文には感心します。


 内藤訳「偽善は、悪徳に向かってささげる讃辞である。」

 二宮訳「偽善は悪徳が美徳に捧げる敬意のしるしである。」


 捧げる相手が反対になっていますが、原文はどうなんでしょう?


 内藤訳「青年の多くは、垢ぬけもせず、しかもぶざまな人間であるにすぎないのに、自然な人間だと思い込んでいる。」

 二宮訳「大多数の若者は、単にぶしつけで粗野であるに過ぎないのに、自分を自然だと思いこんでいる。」


 40年経って青年は若者に変わっています。小説の翻訳でも主人公が「わたし」だったのが訳者が違うと「ぼく」になり、それだけでイメージが変わったりします。


 内藤訳「育ちのよい女で、育ちのよさにあきていない女は稀だ。」

 二宮訳「貞淑であることに飽き飽きしていない貞淑な女は稀である。」


 女性について女性のほうが観察が深いようです。


 内藤訳「情熱こそは、二六時中、説得を事とする無類な弁士である。自然の芸術ともいうべきで、その法則はいささかも謬(あやま)るところがない。どんなに単純な人でも、かりにも情熱を抱いている人が他を説得するとなったら、もっとも雄弁な人で情熱をもっていない人などの及ぶところではない。」


 二宮訳「情熱は必ず人を承服させる唯一の雄弁家である。それは自然の技巧とも言うべく、その方式はしくじることがない。それで情熱のある最も朴訥(ぼくとつ)な人が、情熱のない最も雄弁な人よりもよく相手を承服させるのである。」


 内藤訳に比べ二宮訳の方が頭に入り易いようです。この40年で翻訳術とでもいうものが進歩しているのが分かります。それだけに内藤訳でラ・ロシュフコオに親しんだ世代の悪戦苦闘が偲ばれます。文章の意味を理解するために何度も読み直し、ため息をつき、自分の理解力の足らなさを嘆いたかも知れません。


 翻訳本の場合、文章の意味が分かりにくい時は、訳文に原因があるのだと考えるのが、精神衛生には良いようです。




ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

  • 出版社: 岩波書店
  • 発売日: 1989/12/18
  • メディア: 文庫


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