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唄、声の強さの魅力 [音楽]


 今年も先日、「のど自慢 グランド・チャンピオン大会」をテレビで視聴しましたが、さすがに選ばれた 13人なので、皆さんよい声をされていました。昨年は唄われた 13曲を、わたしは1曲も知らなかったことに愕然としたのですが、今回は3、4曲は聞き覚えのある唄がありました。



 唄は何と言っても声の強さが魅力です。何故か小声で唄っているようでも、しっかりと届く声というのがあります。わたしが声の魅力を意識したのは、大学生のころマリアン・アンダーソンという歌手の「黒人霊歌」のレコードを聴いた時だったと思います。多分、叔父の家で聴かせてもらった気がします。当時、大学祭などで音楽サークルが「Deep River」などをよく唄っていたので、そんな話題のなかで、叔父が「こんなのどう」と聴かせてくれたように思います。マリアン・アンダーソンは戦前からの黒人のコンサート歌手でした。



 その後に聴いたモーツァルトの『魔笛』のなかの「夜の女王のアリア」には、人間が、こんな声が出せるのかと驚嘆しまいた。30年ほど前には三大テノールが話題になりましたが、なかでもパヴァロッティの声は別格でした。



 それから声で思い出すのは、20年以上前、テレビの歌番組で、若い知らない歌手が美空ひばりの「哀愁出船」を唄っているのを聴いて、声の強さに驚きました。島津亜矢でした。その後、彼女は声色のためか、わたしの思った方向へは脱皮しなかったようです。




 声は生ものですので、スポーツ選手と同じように、全盛期に出会える人は限られています。後は記録媒体で想像するだけです。今後どんな歌手と出会えるか楽しみです。




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記憶のミルフィーユ [雑感]


 このあいだから読んでいた『映画の木洩れ日』*の「あとがき」で、著者・川本三郎はこんなことを書いていました。< ミルフィーユというお菓子がある。「千枚の葉」の意で、薄いパイを何層にも重ねた菓子。私の文章は、このミルフィーユに似ている。/ 二〇二二年に七十八歳になった。この年齢になると、映画体験がいくつも層になって作られている。一九五〇年代から六〇年代の、十代の頃に見た映画。二十代に見たアメリカン・ニューシネマの時代の映画。評論家として、批評を書くようになった七、八〇年代の映画。そして現代の映画。/ さまざまな時代の映画が、まさにミルフィーユのように重なり合っている。現代の映画を語っているうちに次第に下の層の十代の頃に見た映画にたどり着く。>



 なるほどと思います。わたしのように長いあいだ映画を見ていない人間にも、彼の映画の本がおもしろいのは、近い世代として、1950-60年代という共通の基盤の上で生きて来たからなのでしょう。



 こんなことは映画に限ったことではなく、流行歌やファッション、事件、災害の記憶でもそうでしょう。今回の能登半島地震の映像は、熊本城の崩れた石垣の映像に重なり、東北の津波に重なり、阪神・淡路の横倒しになった高速道路の映像に重なり、地震の記憶を重層化させます。そして、社会人になった年に能登半島に旅行し、土産に輪島塗の茶匙を母親に渡した時、母は嬉しそうでしたが、「私の流儀とは違うのよ」と笑っていた記憶も蘇ります。



 人が生活している限り記憶は増え続けます。そして記憶を共有する度合いによって、親しみが深まります。「同じ釜のメシを食う」といった言葉で、人はその辺の事情を表現してきたのでしょう。



 新しい映画を観れば、昔の映画を思い出すように、何につけても過去と比較できるのは長く生きて来た者の特権です。記憶はミルフィーユのように何層にもなり、味わい深いものになっています。


*川本三郎『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)2023年刊




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午睡のためのピアノ曲 [音楽]


 昨日は暖かだったので、午後は紀ノ川沿いを散歩しましたが、寒い日は室内で運動し、昼寝となります。このあいだからBGMにバッハをピアノで演奏したCDをかけています。何か音楽が流れているほうが眠りやすいようです。曲目はパルティータ、ゴルトベルク変奏曲などいろいろです。



 18世紀のJ.S.バッハの時代にはピアノは無かったので、チェンバロなどのために作曲された曲ですが、ピアニストたちがピアノの表現力を駆使した演奏はそれぞれ聴きごたえがあります。ただ、BGMですので、曲名も確かめず、ピアノの音が耳を通り過ぎ、目が覚めるとCDが終わっているという繰り返しです。



 CDは買った時に何回かは聴いていますが、日毎に違うピアニストで毎日聴いていると、それぞれのピアニストの音色などの差異が思った以上に際立って感じられます。アルゲリッチが弾くとバッハがモーツァルトのように聞こえ、ワイセンベルクではベートーヴェンのように響きます。ポゴレリチは異様に均一な音で、つい耳をそばだてますが、かといって心地よいというのとも違い、眠れませんでした。



 そういえば、ポゴレリチが有名になったきっかけは、1980年のショパン・コンクールで、彼は本選に残れなかったのですが、これにアルゲリッチが「彼は天才です」と抗議して審査員を辞退したという事件でした。



 表情豊かなリヒテルの「平均律クラヴィーア曲集」、アラウの最後の録音となった「パルティータ集」は時々聴くので耳に馴染んでいます。普段取り出さないCDを、こんな機会にまとめて聴いてみると、いろんな感想が頭に浮かびます。



 楽章によっては、”わたしはこんなに速く弾けるのだぞ”とでもいうように、猛烈なスピードになります。もう少しゆっくりでもいいのにと思いますが、あの速度は、メトロノームの無かった時代にアレグロなどの言葉以外に具体的な速度指定があったのでしょうか? 素人には、よくそんなに速く正確に指が動かせるものだと感心するばかりですが、演奏家には、古来、そんな軽業師的な一面があるのかも知れません。映画「アマデウス」にはモーツァルトが曲芸のようにピアノを弾く場面がありました。



 いろんなことを思いながら横になっていると、いつのまにか眠っているようです。CD一枚70分ほどの午後のひとときです。




 ポゴレリチ イギリス組曲第2番&第3番



 アルゲリッチ パルティータ第2番


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