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250年と25年 [音楽]

 新聞を見ていると、来年はベートーヴェンの生誕 250年だそうです。1770年生まれ、ナポレオンより 1歳下で、日本では明和七年で十代将軍徳川家治、田沼意次などの時代です。5年後にはアメリカ独立戦争が始まります。


 ベートーヴェンといえば今の時期、『第九 合唱付き』がよく演奏されますが、『運命』でも分かるように、ダダダダーンと四つの音で一曲を組み立て、精巧なおもちゃのレゴ細工のようですが、それでいて直情的という不思議な作曲家です。あまりにも熱量が多くて、辟易するかもしれません。ピアノ・ソナタ「月光」などでも出だしは静謐な気分ですが、だんだんと嵐のように荒れ狂いだします。


 彼の曲でときどき聴くのはヴァイオリン・ソナタ「春」です。シェリングのヴァイオリン、ヘブラーのピアノという組み合わせが気持ちの良い演奏です。先日は交響曲第七番をチェリビダッケ指揮、ミュンヘン・フィルで聴いて、久しぶりに感銘を受けました。歌謡曲にしてもそうですが、音楽はやはり演じるひとの力量によって印象が変わるものです。


 来年は阪神淡路大震災から 25年です。音楽を聴く楽しみを教えてくれた叔父のことを思い出します。



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冬至も過ぎて [雑感]

  毎年、冬至が過ぎると「これからは日が永くなる」と、何かうれしくなるのですが、今年はいつまでも暖かい日が多いので、歳末の気分にはなりません。ナンキンといえば最近はハロウィンですが、日本では冬至に食べる習慣があるようです。


 先日、柚子湯と称して、風呂に柚子を浮かべてみましたが、皮膚が弱くなったのか、ピリピリして我慢できません。皮脂欠乏症なのでしょう。以前、有馬温泉に入ったときのようでした。龍神温泉のような重曹泉がまったりと皮膚にやさしいようです。


 備中高梁には「ゆべし(柚餅子)」という柚子の香りのする菓子があります。こどものころ、親戚のひとがよく土産に持って来てくれました。親たちの時代は親戚との付き合いも親密だったような気がします。わたしも折にふれて気軽に泊めてもらっていました。北海道のおばさんなどは、やって来ると一ヶ月ほど逗留していました。


 昭和までは濃密な付き合いが柚子湯のように身体を温めていたのかもしれません。ひととの接触が淡白になり、かかわりの少ない水臭い関係をよしとする社会にしてきたのは、わたしたち自身だったに違いありません。それは何かの後遺症だったのでしょうか?




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「だらしない」と「ふしだら」 [読書]

   サンザカ(山茶花)がサザンカになったように、語順が入れ替わった言葉(倒語)はいろいろあるようです。堀井令以知『ことばの由来』(岩波新書)を見ていると、「だらしない」は「しだらない」からきているとのことです。そして「ふ しだら」という言葉とも関係があるそうです。


 では「しだら」とは何か? これには諸説があるようです。神楽などで手拍子のことを「しだら」と言うそうで、それが転じたという説。また、サンスクリット語の経典という意味のスートラ(修多羅)からとの説。著者は「締まり」のことであると見るのがよいと書いていますが、文献的な根拠は示していません。また一方、自堕落からきたという説もあります


 関係ないかもしれませんが、「設楽」というマラソン選手がいます。「したら」とよみます。地名にも設楽という場所が愛知県にあります。この「したら」はどんな意味なんでしょう? 漢字をみると何か音楽に関係がありそうな字面ですが、不明です。


 「しだらない」と「ふしだら」、ともに規範から外れている状態・・・拍子のない音楽も規範からはずれて、だらしない? 


 「しだらない」という言葉はそんなに古い言葉ではないようですが、だんだん成り立ちが分からなくなります。ただ、「だらしない」が「しだらない」から変化したというのは確かなようです。


 設楽選手はしだらなくはなく頑張っているようです。また走る姿を観戦したいものです。



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サザンカの咲く道 [読書]

「さざんかさざんかさいたみち」という童謡があります。サザンカといえば赤い花を思い浮かべますが、杉本秀太郎 安野光雅『みちの辺の花』(講談社学術文庫)を見ていると


 <白い花がうとんじられて、色花がこのまれるのは、はたして趣味の改良だろうか。赤い山茶花(さざんか)も、赤い山査子も、白い山茶花、白い山査子に数等劣るように思えて仕方がない。・・・露骨に人為の加わった新品種の花を見ても心がときめかず・・・>とあります。サザンカはもともとは白い花だったんだと知りました。そして・・・


 <『芭蕉俳諧七部集』のとっかかり『冬の日』の真っ先に置かれた歌仙、芭蕉の発句につづく野水(やすい)の脇句にとび散る山茶花が赤かったら、あの歌仙はそこでもうおしまい。>と続き


   狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 芭蕉

   たそや とばしる かさの山茶花    野水


 < やぶ医者のなれの果ての狂歌師竹斎に似たようなわたくしながら、どうかよろしくという芭蕉の挨拶に、野水があるじ格として応じるーー山茶花の花が笠のうえにぱさりと音立てて散りぢりになる木枯らしのなか、笠傾けて、いそぎ足でお越しになった客人はどなたでしょう、と。これが当節の赤い山茶花などであってはたまらない。> とのことです。


 ところで金田一春彦によれば、サザンカは漢字では山茶花と書くように、山に咲くお茶の木に似た花という意味なので、サンザカであったものが、ひっくり返ってサザンカとなったそうです。昔、アラタシといっていたことばを、今ではアタラシというのと同じとのことです。また、和歌山県の方言にはこの傾向が顕著で、トサカがトカサ、カラダがカダラ、などという例を引用しています(『ことばの歳時記』新潮文庫)。


 最近はたきびというものはあまり見かけません。落葉もゴミになって捨てられます。焼き芋はスーパーで買うものになっているようです。せめて白いサザンカの咲いている道でも見つけられればいいなと思います。





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絵巻と書 [徘徊/旅行]

  出かけた名古屋で少し時間があったので、徳川美術館へ行ってみました。ちょうど「源氏物語絵巻」の「柏木(三)」と「宿木(一)」が展示されていました。毎年この時期に数点ずつ公開されるそうです。


 「源氏物語絵巻」は教科書などに載っていたと思いますが、引き目、鉤鼻のややしもぶくれな顔や、天井のない部屋の内部のようすなどの描写は教科書で見たとおりですが、案外、小さな絵で、九百年近くも前の巻物なので、それなりに燻んだ感じで、豪華絢爛という印象はありません。因みに江戸時代に描かれた「源氏物語絵巻」も展示されていましたが、人の顔は瓜実顔になっていました。


 特別展で良寛の書が百五十点も並んでいました。書道は小学生以来、縁がありませんが、こんなに屈託無く筆が運べたらいいだろうなと思いました。良寛は江戸時代後期の人間で、だんだんと不穏になる世を生きていますが、書にはそんな雰囲気はありません。彼の最期を看取った貞心尼は明治 5年まで生きています。 別に一休の書もありましたが、これはまた気迫に満ちた筆使いです。


 徳川美術館には尾張徳川家に伝わる鎧兜や刀剣、大名道具、茶道具、楽器なども展示されています。人も少ないので、ゆっくり眺めていられますが、こちらの体力がもちません。今回は「源氏物語絵巻」と良寛の書が見られたので、それでよしとする他ありません。

 

  月読のひかりを待ちて帰りませ

       山路は栗のいがの多きに (良寛)



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