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唄、声の強さの魅力 [音楽]


 今年も先日、「のど自慢 グランド・チャンピオン大会」をテレビで視聴しましたが、さすがに選ばれた 13人なので、皆さんよい声をされていました。昨年は唄われた 13曲を、わたしは1曲も知らなかったことに愕然としたのですが、今回は3、4曲は聞き覚えのある唄がありました。



 唄は何と言っても声の強さが魅力です。何故か小声で唄っているようでも、しっかりと届く声というのがあります。わたしが声の魅力を意識したのは、大学生のころマリアン・アンダーソンという歌手の「黒人霊歌」のレコードを聴いた時だったと思います。多分、叔父の家で聴かせてもらった気がします。当時、大学祭などで音楽サークルが「Deep River」などをよく唄っていたので、そんな話題のなかで、叔父が「こんなのどう」と聴かせてくれたように思います。マリアン・アンダーソンは戦前からの黒人のコンサート歌手でした。



 その後に聴いたモーツァルトの『魔笛』のなかの「夜の女王のアリア」には、人間が、こんな声が出せるのかと驚嘆しまいた。30年ほど前には三大テノールが話題になりましたが、なかでもパヴァロッティの声は別格でした。



 それから声で思い出すのは、20年以上前、テレビの歌番組で、若い知らない歌手が美空ひばりの「哀愁出船」を唄っているのを聴いて、声の強さに驚きました。島津亜矢でした。その後、彼女は声色のためか、わたしの思った方向へは脱皮しなかったようです。




 声は生ものですので、スポーツ選手と同じように、全盛期に出会える人は限られています。後は記録媒体で想像するだけです。今後どんな歌手と出会えるか楽しみです。




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午睡のためのピアノ曲 [音楽]


 昨日は暖かだったので、午後は紀ノ川沿いを散歩しましたが、寒い日は室内で運動し、昼寝となります。このあいだからBGMにバッハをピアノで演奏したCDをかけています。何か音楽が流れているほうが眠りやすいようです。曲目はパルティータ、ゴルトベルク変奏曲などいろいろです。



 18世紀のJ.S.バッハの時代にはピアノは無かったので、チェンバロなどのために作曲された曲ですが、ピアニストたちがピアノの表現力を駆使した演奏はそれぞれ聴きごたえがあります。ただ、BGMですので、曲名も確かめず、ピアノの音が耳を通り過ぎ、目が覚めるとCDが終わっているという繰り返しです。



 CDは買った時に何回かは聴いていますが、日毎に違うピアニストで毎日聴いていると、それぞれのピアニストの音色などの差異が思った以上に際立って感じられます。アルゲリッチが弾くとバッハがモーツァルトのように聞こえ、ワイセンベルクではベートーヴェンのように響きます。ポゴレリチは異様に均一な音で、つい耳をそばだてますが、かといって心地よいというのとも違い、眠れませんでした。



 そういえば、ポゴレリチが有名になったきっかけは、1980年のショパン・コンクールで、彼は本選に残れなかったのですが、これにアルゲリッチが「彼は天才です」と抗議して審査員を辞退したという事件でした。



 表情豊かなリヒテルの「平均律クラヴィーア曲集」、アラウの最後の録音となった「パルティータ集」は時々聴くので耳に馴染んでいます。普段取り出さないCDを、こんな機会にまとめて聴いてみると、いろんな感想が頭に浮かびます。



 楽章によっては、”わたしはこんなに速く弾けるのだぞ”とでもいうように、猛烈なスピードになります。もう少しゆっくりでもいいのにと思いますが、あの速度は、メトロノームの無かった時代にアレグロなどの言葉以外に具体的な速度指定があったのでしょうか? 素人には、よくそんなに速く正確に指が動かせるものだと感心するばかりですが、演奏家には、古来、そんな軽業師的な一面があるのかも知れません。映画「アマデウス」にはモーツァルトが曲芸のようにピアノを弾く場面がありました。



 いろんなことを思いながら横になっていると、いつのまにか眠っているようです。CD一枚70分ほどの午後のひとときです。




 ポゴレリチ イギリス組曲第2番&第3番



 アルゲリッチ パルティータ第2番


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音楽と出会うとき [音楽]


 今年もいろんな音楽を聴いてきましたが、振り返ってみると、この1年、音楽CDは1枚も買わなかったようです。ここ数年、 CDショップへは出かけられなかったので、online shop で手に入れていたのですが、購入履歴を見ると今年は発注なしでした。昨年の12月に家内の依頼で「イル ディーヴォ」というヴォーカル・グループのCDを取り寄せたのが最新でした。




 今年は古い CDばかり聴いていたようです。新しいものへの関心が薄れたのでしょうか? 店舗に出かけていると、せっかく来たのだから何か買うものは無いかと、つい衝動買いしてしまうのですが、online shopだと、とりあえずカートに入れておいても、2〜3日後には、まあいいかと購買意欲が低下している場合が多いようです。また、YouTubeで聴いてみて買うほどでもないかとなるようです。



 それが良いことなのかどうかは微妙です。物でも人でも、衝動的な偶然の出会いによって新しい世界が拓けることがあるようにも思います。たとえば『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』という CDを買ったために、キューバ音楽やラテン音楽に一時、熱中したり、『コール・ポーター作品集 ローズマリー・クルーニー』を聴いてみて、C.ポーターの曲を集めているうちに、ジャズ・ヴォーカルに興味をもったり、『ピープル・タイム/スタン・ゲッツ・ケニー・バロン』をテレビの紹介番組で知って、ジャズを聴き出したりしたことを思い出します。



 まあそれでも、衝動買いした CDは1〜2回聴いてそのままになっているものがほとんどのような気もしますが、それは授業料のようなものなのでしょう。来年はどんな音楽に出会えるか楽しみにするほかありません。



#「音楽のことなど」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2014-08-21


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ピアノで運命 [音楽]


 午後3時過ぎになると、今日は何を聴こうかと頭を巡らせますが、ベートーヴェンの交響曲はどこか大げさな感じがして、第6番「田園」以外はあまり聴くことがないのですが、リストが交響曲全9曲をピアノ独奏用に編曲したのがあるのを思い出しました。オーケストラで演奏するのを、ピアノ1台、つまり指10本で表現しようというものです。ピアノがあれば自宅で交響曲が演奏できるというわけです。



 以前、車のラジオ放送で、そのピアノ演奏版を聴いて興味を持ち、CDを取り寄せていました。今回、久しぶりに第7番、第6番「田園」を聴いてみて、交響曲がまるでピアノ・ソナタのように聞こえるのに驚きました。これなら交響曲も大げさでなく、昼寝しながら楽しめると気持ちよく聴きました。ピアノ演奏はシプリアン・カツァリスです。オーケストラの音をピアノで表現するのですから、リスト編曲ならではの超絶技巧が必要なのでしょうが、ピアニストは難なく演奏しています。ラジオで聞いたとき、番組司会のピアニストが「これ一人で弾いているんですよね」と感嘆していたのを憶えています。



 翌日は第5番「運命」をかけてみて、びっくりしました。こんなことが指10本でできるのか! それにオーケストラで聴くよりも刺激的で、興奮させられ、まるでフリー・ジャズの演奏を聴いているような気分になりました。「運命」ってこんなに過激なのかと再認識させられました。リストそしてカツァリス恐るべしと唖然としました。録音したのは1980年代で、カツァリスも編曲を加えているようです。一聴の価値ある演奏です。弦楽器、管楽器、打楽器が一台のピアノに凝集した不思議な音楽体験です。



 昔は録音などというものはなく、家で音楽を楽しむために、なんでもとりあえずピアノ演奏用に編曲するという需要があったのでしょう。ピアノの名手であったリストは自分で演奏するためにもいろんな曲をピアノ用に編曲したのでしょう。録音媒体の発達した現代に、わざわざ交響曲をピアノで聴くというのは案外おもしろい体験でした。


#「ピアノ・ソナタの世界」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2020-05-04




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音楽療法として [音楽]


 近々、75歳になるのですが、なんとなく年寄りになってしまったと気分が落ち込んできます。気晴らしになる若々しい曲はないかと頭を巡らし、思いついたのはショパンのピアノ協奏曲でした。久しぶり、聴くのは20年ぶりくらいかもしれません。



 ピアノ協奏曲はショパンが 20歳頃の作曲で、まだポーランドに居たころの曲です。さすがに情感が初々しく、こちらも若返った気になりました。音楽には気分を変える効果があるのを実感しました。音楽療法です。



 気が軽くなって、次に取り出したのは、ビートルズの「1」というコンピレーション・アルバムでした。「We can work it out」が聴こえてきた頃には、20歳と同じ感覚になっていました。[るんるん]Life is very short,and there's no time・・・[るんるん] 



 あの頃は 75歳の自分の姿は想像できませんでした。今になって思うのは、確かに外見は著しく変化していても、案外、中身はそんなに変わったような気はしません。家内に尋ねてみると、おなじような気持ちだと言うので、みんなそんな風に思って生きているのかもしれません。ひょっとするとこれは誰もが陥る大きな”思い違い”なのか? 変わらないと感じることで自己同一性を保っているのか? とも思いますが、ここまで来ればあるがままに、Let it be で生きてゆく他ないでしょう。








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天空の音楽 [音楽]


 秋めいてきて、ピアノやヴァイオリンの独奏や室内楽を聴くのも相応しいですが、一方で大規模な交響曲を部屋に響かせるというのも音楽の楽しみのひとつです。ハイドンから 250年、いろんな交響曲がありますが、何を最も好んでよく聴いているかといえば・・・。



 わたしの場合は、ブルックナー交響曲第7番です。初めて聴いたのは40歳ごろで、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、ウィーン・フィルの CDでした。こんな音楽があるのかと不思議な気がしました。それまで聴いていたモーツァルトやベートーヴェンが人間的な感情に溢れているのに、ブルックナーの交響曲には人間臭さが感じられず、天上的というか宇宙的ともいうような響きに聴こえました。



 第1楽章は、現れては消える極地のオーロラを仰ぎ観るような感覚になります。実物のオーロラは体験したことはありませんが、非人間的な美しさです。第2楽章は夕焼けの中で落陽の光を浴びるているような気持ちが雲海のように湧いてきます。第3楽章は波のうねる大海を航海しているように体が弾みます。第4楽章では高原を散策している爽やか気分に浸されます。なにか手付かずの大自然と向き合っているような厳粛さに包まれます。



 ブルックナー(1824-96)は日本でいえば幕末から明治を生きたオーストリア人です。作曲家には神童といわれる早熟な人が多いですが、ブルックナーは晩成で、40歳を過ぎてから作曲家として世に出たようです。また日本で彼の曲が聴かれるようになったのは、戦後になってからで、彼の交響曲が長大なため、LPレコードが開発され、長時間の録音ができるようになってからだそうです。



 交響曲第7番も演奏には 60分以上かかり、気持ち良く音に包まれていると、ふと眠ってしまいますが、目が覚めても同じような曲調が続いています。不思議な交響曲です。



 10年ほど前、ベルリン・フィル(S.ラトル指揮)が兵庫県西宮市でこの曲を演奏するというので、聴きに出かけました。実演ではどんな風に聴こえるのか楽しみでしたが、大音響が会場に響きわたりましたが、もうひとつ感動しませんでした。長年の習性か、自宅でお気に入りの CDをかけているほうが身に沁みるな、という感想でした。



 楽しみかたには、食べ比べ飲み比べと同じように、聴き比べというのがあります。同じ曲をいろんな指揮者や演奏者で聴いてみて、感じかたの違いを体験します。絵画なら美術館に観にゆけば、それが実物ですが、音楽は演奏者によって変化します。どの演奏が作曲者の意図に近いのだろうと思うのは自然なことです。違った演奏者によって初めて曲の良さに気付かされることもあります。こうしていつの間にか、深みにはまってしまうのは、どんな分野でも同じことでしょう。やっと秋の夜長がやってきました。天空の音に耳を傾けるに相応しい季節です。


#「晴れやかな音楽」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-02-09





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ピアノの日記 [音楽]


 まだ暑い昼下がり、久しぶりにショパンのマズルカを聴きました。マズルカというのはショパンの故郷・ポーランドの民族舞曲で、4分の3拍子のリズミカルな曲調です。ショパン(1810-49)は青年期から生涯に渡って 60曲近いマズルカを作曲しています。1分たらずのものから長くても6分くらいの短い曲ばかりです。続けて聴いていると、なにか日々の日記を読んでいるような気持ちになり、こころの隙間に入り込んでくる感じがします。



 ショパンのマズルカを初めて聴いたのは 20歳ごろで、アダム・ハラシェヴィチというピアニストのレコードでした。ワルツとかバラード、エチュード、前奏曲などいろいろの曲があるのに、どういう訳か派手さのないマズルカが耳に残りました。ショパンが日々の思いをピアノでつぶやいているような雰囲気があります。



 かといって、マズルカの CDを取り出したのは数年ぶりでした。ショパンのつぶやきをそんなに聞いてみようと思う時がある訳ではありません。音楽を聴くのは、それで気分がよくなるからでしょうが、それは依存とも思われます。その人にとって、こんな時はこの曲が・・・といった選択があるのでしょう。



 ショパンは20歳のとき、ウイーンへ出かけ、その間にポーランドが政治的混乱状態となり、戻れなくなり、パリへ行くことになりました。結局、彼はそのまま二度と故郷には帰りませんでした。ワルツや夜想曲などのサロン的な曲の合間に、日記のようにマズルカを書いていたのでしょう。







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お変わりないですか? [音楽]


 簡単な日常英語というのが、案外わからないので、唄の題名とか歌詞を理解するのは苦労します。たとえば「The Best Things in Life Are Free」という唄は「自由が最高」ということかと思えば、歌詞は「月はみんなのもの。人生で最高のものは無料。星もみんなのもの。・・・」*となっているそうです。”Free”は自由と思って聴いていましたが、「無料」とは思いつきませんでした。



「What's New?」という曲は時々耳にしますが、和田誠の本*を読んでいると < 「ホワッツ・ニュー」を直訳すると「何が新しいか」でありますが、これは日常用語のひとつであって、「どうですか」あるいは「お変わりありませんか」と言った感じがやや近いのだろうと思われる。 /「ホワッツ・ニュー・プッシーキャット」という映画があって、(中略)この映画の日本題名は「何かいいことないか子猫チャン」というものだった。これはやや直訳に過ぎ、「どうだいカワイ子ちゃん」といった感じがニュアンスとして近いものではなかったかと思う。/「ホワッツ・ニュー」は女(あるいは男)が別れた恋人(あるいは夫または妻)と偶然に出会った時の状況を歌った歌である。/「お変わりない?」(後略)> とありました。なるほど、言葉の背景が分かると、唄に深みが出てきます。



 こう言われたら、「あなたはいかが?」と聞き返すことになりますが、「How about you?」という題名の唄もあります。わたしもアニー・ロスの歌ったものやビル・エヴァンスの演奏した CDが棚にありました。こちらは 「わたしは六月のニューヨークが好き。あなたはどう? わたしはガーシュウインの歌が好き。あなたはどう?・・・」というような唄で、「What's New?」への返事とは無関係な内容です。



 そういえば「SSブログ」の管理トップに What's new? と書かれていますが、これは「お知らせ」のことなんでしょうね。



*和田誠『いつか聴いた歌』(文藝春秋)

#「唄をめぐるエッセイ」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-07-10



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飽きることのない音楽 [音楽]


 昼ごはんを食べて、少し本を読んで、ちょっと眠気をもよおした頃に、今日は何を聴こうかと思いを巡らします。その日の気分によっていろいろですが、時に変わったものを選ぶことがあります。



 ショスタコーヴィッチ(1906-75)の音楽には余りなじめないのですが、彼の交響曲第5番はときおり聴きたくなります。40分程の曲ですが、演奏が始まったとたん、なんともいえない悲哀に満ちた雰囲気に包まれます。生命あるものとして、いつか滅ばねばならないという根源的な悲哀なのか、当時のソビエトのスターリン体制下での社会的な悲哀なのかは分かりませんが、それらのことが混然一体となっているのでしょう。



 第2楽章はピエロかロボットが踊っているような、少しシニカルな気分が感じられます。第3楽章は宇宙空間を一人で漂っているような孤独な感じです。そして第4楽章になると、突然、今までの悲哀や孤独を振り払うような、大地を疾走しているような音楽が始まります。なにか空元気のようにも感じられますが、また一転して回顧的で瞑想的な曲調となり、最後はピエロが舞台から退場するように曲が終わります。



 1937年、この交響曲は革命20周年記念祭典で初演され大成功をおさめます。翌年、ショスタコーヴィッチは、< フィナーレはそれまでの諸楽章の悲劇的に緊迫したものを解決し、明るい人生観、生きる喜びへと導く > と述べています。*



 ところが没後、1979年にアメリカで出版された彼の回想録では、< 強制された歓喜なのだ。・・・鞭打たれた者は立ち上がり、ふらつく足で行進をはじめ、さあ、喜ぶぞ、喜ぶぞ、それがおれたちの仕事だ > と書かれています。*



 ショスタコーヴィッチの苦悩と狷介さを表すような話です。このような音楽をときに聴きたくなるのは何故でしょう? 小説家の宮城谷昌光さんもこの曲について「飽きることのない名曲である。」**と書いていましたが、人を惹きつけるものがあるのでしょう。1975年に彼が他界して以降、クラシック音楽界には世界的といえる作曲家はいなくなった気がします。



*CD(KICC3589)における東条碩夫の解説による。

**宮城谷昌光『クラシック 私だけの名曲 1001曲』(新潮社)


#「晴れやかな音楽」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-02-09



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雨の日にはジャズ [音楽]

 毎日のように雨が降って散歩にも行けないので、音楽を聴いて過ごしています。こんな機会なので、手持ちのジャズのCDを一通り聴きなおすことにしました。買った日に1回聴いてそのままになっているのが結構多いです。



 わたしがジャズを聴くようになったのは 40歳を過ぎてからです。大学生の頃はマイルス・デイヴィスが健在で、周囲からはジョン・コルトレーンとかビル・エヴァンスといった名前が聞こえていました。



 そのうちにジャズとロックの融合とか、フュージョンとか言われるようになり、関心を持つ機会が無くなりました。



 どんなきっかけでジャズを聴くようになったのかと振り返れば、ローズマリー・クルーニーという歌手がコール・ポーターの曲を唄った CDを買ったのが契機でした。それからコール・ポーターという作詞/作曲家に関心を持つようになり、エラ・フィッツジェラルドで聴いたり、トミー・フラナガンというピアニストの CDを集めたりするようになりました。



 またその頃、和田誠が村上春樹と共著で『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮社)という本を出していて、興味をひかれたり、テレビ番組でスタン・ゲッツの『people time』という最晩年の演奏が流されて魅了されたりもしました。



 今回、雨のせいで、毎日ジャズを聴き続けたのですが、やっぱり分からなかったのは、ビル・エヴァンスというピアニストです。世評は高いのですが、以前からわたしには何か取っ付きにくく、今回も4枚ほどかけてみたのですが、やっぱり退屈してしまいました。



 やっぱり、わたしにはジャズが分からないのかと気分が落ち込みましたが、それでも 30年、それなりに楽しんできたのだから、いいじゃないかと自分を納得させます。



 聴いている演奏の録音日を見ると、ほとんどが1950-60年代です。演奏者は1920年代生まれが多く、わたしにとっては”叔父さん”世代の人たちです。ジャズはわたしにとって同時代の音楽ですが、ジャズを聴くといまだにちょっと背伸びした感じになるのは、そんなせいかも知れません。






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