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郷土の力士 [スポーツ]

 大相撲九州場所は相変わらず照ノ富士の強さが目立ちます。兵庫県出身の大関・貴景勝も今場所は調子が良さそうです。大相撲では取り組みの前に、必ず出身地が紹介されます。それだけ郷土の代表という意識が強いのでしょう。


 わたしが小学生の昭和 30年代には、鳴門海と成山という郷土・淡路島出身の幕内力士がいて、応援していました。鳴門海は脇を締めた独特の立会いが特徴で、よく真似をして遊んでいました。当時の横綱・鏡里から金星を挙げていました。成山は小結まで昇進しました。


 その後、栃錦、若乃花の時代となり、貸本漫画で「若乃花物語」を熱心に読んだ記憶があります。安念山、吊りの若秩父、内掛けの琴ケ濱、吉葉山といった名前が思い出されます。相撲はこどもたちの日常の遊びになっていました。


 どういう訳か、痩せっぽちのわたしが学内の相撲大会でクラス代表の一人になったことがあります。まわしを締め土俵に上がりました。低く立って、前まわしを取って頭をつける作戦でしたが、たった瞬間、はたき込まれて一瞬の内に負けました。


 中学のころは、大鵬、柏戸の柏鵬時代で、大鵬は「巨人・大鵬・卵焼き」と子供の好きなものの一つに挙げられていました。祖母は大の大鵬ファンでしたが、わたしは痩身の柏戸びいきでした。


 大学生のころ読んだ北杜夫『楡家の人々』には体の大きさを恥じる蔵王山という力士が出てきました。実際にも北杜夫の祖父・斎藤紀一は自分の郷里・山形県で最も頭のいい男と最も体のいい男を養子にするとして、のちの歌人・斎藤茂吉を養子にし、大相撲力士・出羽ケ嶽の面倒をみたそうです。小説を読んで「相撲取り」というもののせつなさにうたれた記憶があります。


 現在の西前頭11枚目・照強は阪神淡路大震災の日に淡路島で生まれたそうです。揺れる大地に四股を踏んで地霊を鎮めてほしいものです。


 宮本徳蔵『力士漂泊 相撲のアルケオロジー』(講談社文芸文庫)には < チカラビトはいつ、どこで生まれたか。/ 草原と砂漠のまじりつつ果てもなくつらなるアジアの北辺、現在の地図でいえばモンゴル共和国のしめているところだったであろう。> と書いています。発祥の地出身の白鵬や照ノ富士が強いのは当然のようです。しばらくは夕方になると、郷土のチカラビトの活躍を応援することにしましょう。




力士漂泊 相撲のアルケオロジー (講談社文芸文庫)

力士漂泊 相撲のアルケオロジー (講談社文芸文庫)

  • 作者: 宮本 徳蔵
  • 出版社: 講談社
  • 発売日: 2009/07/10
  • メディア: 文庫

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パレットに言葉 [読書]

  本箱に30年ほどまえ叔父がくれた本が何冊かあります。古本屋でみつけた物のようで、「読んでみたら」という感じだったのでしょう。人に勧められた本は、案外、読まないでそのままになってしまうものです。巣ごもりで読む本がきれたので、それらの一冊を取り出してみました。


 野見山暁治(1920-)という画家のエッセイを集めた『絵そらごとノート』(筑摩書房)という本です。先日は小説家の開高健がユトリロについて書いたのを読んだのですが、画家の野見山はユトリロについて・・・


 <この飲んだくれの男にとっては、夜、寝ころぶには冷たい石畳の道であり、昼は夜よりも悲しい塀の道が続いているだけだ。ユトリロは、華の都を描きはしなかったが、だからといってパリの裏町を描いたわけではない。/ ユトリロは、自分の生涯住みついたごく小さな界隈だけを見つめて死んだのだ。その見つめる心情の一途(いちず)さが私たちの胸を打つ。>


 <よくよく見ると、ヘタクソな絵だ。筆の運びはおそろしく拙く、(中略)これはまぎれもない素人の絵だ。(中略)しかし逆に、このたどたどしさを誰が持ちうるか。>


と書いていました。絵画の魅力とは何なのかを気づかせてくれます。<私は若いころ雑誌ではじめてユトリロの風景を見たとき、その垂れこめた空の美しさにひかれた。> とユトリロとの出会いを振り返っています。なんとはない街の景色がひとのこころを捉える秘密が書かれているようです。


 パリ在住時の愉快な思い出話も出てきます。


 <左岸の狭い画廊街を、エルンストは自分の小品を持ち歩いて、なんとか金に替えようとしていたらしい。古びた復員服の外套を着こんだ細いうしろ姿を、私はしばしば行きずりに眺めたのだ。/ エルンストという、世界に知られた画家のこんな姿は信じられない。その頃、エルンストはピカソの贋物をつくり、そっと画商のところに持っていったという話もある。画商からの問合せをうけたピカソは、本物だと答え、後日、エルンストに連絡して、きみはぼくのサインを使ってよろしい、とこの若い画家への敬意と友情を示したという逸話が残っている。>


 野見山暁治がどんな絵を描くのか、わたしは見た記憶はありません。エッセイ集が何冊も出ていて、1978年には日本エッセイスト・クラブ賞をもらっています。画家という人はどんな風に絵や物を見ているのか、どんなことを考えているのか、違った世界が楽しめそうです。


 (ちなみに2014年に文化勲章を受章し、現在も100歳でご健在のようです。)


 #「開高健のユトリロ」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2021-10-01

 #「ぼくの叔父さん」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2014-09-10


絵そらごとノート (1984年)

絵そらごとノート (1984年)

  • 出版社:筑摩書房
  • メディア: 単行本

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ハイティンクの一枚 [音楽]

 秋が深まり近くの雑木林も黄葉の気配です。来週あたり柿の栽培地に出かけてみようかと思っています。陽光を吸収して結実した富有柿は秋の実りを実感させてくれます。いよいよ今年も終わりだと意識します。


 先日の新聞には指揮者のベルナルト・ハイティンクの他界が報じられていました。わたしが音楽を聴くようになった頃から、いつも名前が目についたような人でした。カラヤンやバーンスタインはとっくに居なくなっているのに、息の長い人だと改めて驚きました。彼は1929年生まれですから、1908年生まれのカラヤン、1918年生まれのバーンスタインに比べれば若いのですが、二人がもう 30年以上前に他界しているので、そんな気持ちになるのでしょう。それだけ彼が若くから活躍していたということで、事実、32歳で名門、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者になっています。


 ハイティンクをすごいと思ったのは、彼が指揮する、ショスタコーヴィッチの交響曲第5番(コンセルトヘボウ管弦楽団、1981年録音) を聴いた時です。こんなに悲哀に満ち、かつ美しい音楽があるのかと驚きました。均整が取れ、迫力もある演奏です。才能の結実を感じさせます。


 ハイティンクは 90歳近くまで現役だったようですが、指揮者には高齢まで活躍する人が多いようです。1時間以上、立ったまま両腕を振り続けるのは重労働のはずです。また、70歳を過ぎれば高音が聞きづらくなるのが普通です。もっとも、ベートーヴェンは難聴で、聴衆の拍手に気づかなかったという逸話がありますので、指揮には影響ないのかも知れません。


 だんだんと馴染みの指揮者が居なくなるのは寂しい気持ちです。まあ、古い CD を聴くぶんには関係ありませんが、今となっては、過去の記録は貴重な埋蔵金のように思えます。


 11月になると年賀欠礼の通知が何枚か届きますが、ハイティンクもその一枚のように感じられました。






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こころに残る洋楽 [読書]

 何か読む本はないかと本箱を眺めていると、村上春樹 和田誠『村上ソングズ』(中央公論新社)が目についたので取り出してみました。村上春樹が好みの洋楽の唄を17曲選び、彼の訳した歌詞と原詞を載せ、それらの唄について2頁ずつのエッセイを書いていました。和田誠は装丁と各曲にイラストを描き、彼も好みの唄を2曲訳し、エッセイを付けていました。2007年刊行ですが、読んだ記憶がなく、買ったままになっていたようです。


 好みの唄というのは至って個人的なものですが、育ち暮らした時代の影響も大きいと思われます。村上春樹はわたしと同学年なので、同じ時代を過ごした彼がどんな唄を選んでいるのかと目次を眺めてみました。そこに並んでいるのは、題名は知っているが・・という程度のが8曲ありましたが、見たことも聞いたこともないのが目立ちました。


 R.E.M. 「人生のイミテーション」

 ロッド・マッケン「ジーン」

 ビリー・ブラッグス「イングリッド・バーグマンの歌」

 クラレンス・カーター「パッチズ」


といった唄が並んでいます。どんな曲なのか想像もつきません。そんな歌手がいたのかと初めて目にする名前が続きます。Wiki.で調べてみると、ロックの殿堂に入っている歌手だったりします。ちなみにビートルズの曲がないのは、レノン=マッカートニーの楽曲歌詞の翻訳が、管理者によって許可されていないからだそうです。


 そういえば、わたしでいえば、大人になってから、洋楽に接する機会が減り、時にジャズ・ボーカルを聴く程度になったので、村上春樹の音楽の守備範囲の広さに驚かされました。


 今の時代、彼が取り上げている唄のほとんどは、YouTube で聴くことができます。思い入れを込めたエッセイを読みながら、その唄を YouTube で流してみましたが、ほとんどは、そうなのかな・・・という程度で、ひき込まれるほどの体験とはなりませんでした。しかし、自分が若い頃にこんな唄に出会わなかったのには、なにか寂しい気もしました。


 唄は流れていた ”時”、”場所”、”状況”によって、人に取り付いたり、流れ去ったりするものなのでしょう。


 和田誠はフランク・シナトラが歌う「バン・バン」と、フレッド・アステアが歌う「誰にも奪えない」を挙げていました。「バン・バン」はわたしにもアン・バートンの歌唱で印象に残っています。


    「バン・バン」

    私は五歳 彼は六歳

    二人は木の枝の馬で遊んだ。

    彼は黒い服 私は白い服

    彼はいつも勝つ方だった。


    バン・バン 彼は私を撃った。

    バン・バン 私は地面に倒れた。

    バン・バン あのひどい音

    バン・バン あの子は私を撃ち倒した。

             (後略)  (和田誠 訳)


 こんな唄だったのかとあらためて聴きなおしました。


 では、どんな唄がわたしには沁みついているのか? 十代の頃からの唄の記憶をよび覚ましてみようという思いになりました。






村上ソングズ

村上ソングズ

著者:村上春樹 和田誠

  • 出版社: 中央公論新社
  • メディア: 単行

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