音のならびの意味 [音楽]
J. ロドリーゴの『アランフェス協奏曲』は、第2楽章がマイルス・デイヴィスの演奏で知られています。ロ短調の曲です。
リストの唯一の長大な『ピアノ・ソナタ』はロ短調です。音の森に入りこむような気持ちになります。
J.S. バッハにはロ短調の曲がいくつもあります。『ヴァイオリン・ソナタ第1番』は鍵盤楽器の伴奏のうえに、静かにヴァイオリンの音が聴こえてくる瞬間は、身がひき締まるような感覚になります。
ロ短調が好きというわけではないのですが、いろんな時にアレッと気がつきます。音階での全音と半音のならび順にどんな秘密が隠れているのでしょう。
百年前のこと [読書]
野山は新緑で生気に満ち、街路はツツジが満開です。しかし、ここのところう風が強く、うららかな陽気の日が少ないようです。
てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。 (安西冬衛)
今年はロシア革命から百年ということなので、最近でた岩波新書『ロシア革命 破局の8か月』(池田嘉郎)を読んでみました。かってソ連という国があったことは子供たちはもう知らないかもしれない。
「運命の年、一九一七年には二度の革命が起こった。二月革命と十月革命である。二月革命で何が起こり、どのようにして十月革命に立ち至るのか。これが本書の叙述の内容になる。」とのことで、「言論の自由、人身の不可侵、私的所有権・・・・・同時代の西欧諸国がともかくも備えていたものを、ロシアにも揃えようという」二月革命後の「臨時政府の試みはあえなく挫折した。」 十月革命に行きつく8か月を丹念に追いかけています。
歴史の吟味は滋養になります。最近、きな臭くなってきた半島情勢も、どこかで百年前とつながっているように思えます。
東京徘徊 [徘徊/旅行]
集会があったので、東京へでかけて来ました。最近は東京駅の近くに泊まることが多いので、丸の内の丸善を覗いたりしました。
二十代のころは、国立教育会館・虎ノ門ホールが会場になることが多く、隣りには1968年に建った霞ヶ関ビルがあり、36階へお上りさんしたこともあります。帰りは八重洲ブックセンターで何冊か買って帰るのが楽しみでした。 国立教育会館は2004年に解体されたそうです。
その後、参加者が増えて手狭になり、1971年にできていた新宿の京王プラザが使われるようになりました。あいた時間には紀伊國屋書店をうろつきました。
ますます会員が増えて、東京には会場がなく、1991年にできたパシフィコ横浜が選ばれるのが増えました。駅から遠く、以前は海風に吹かれて歩くのが大変でした。
1997年に東京国際フォーラムができました。駅から近いのが助かります。
はじめて東京へ行ったのは中学の修学旅行でした。どこに泊まったのかも忘れました。新幹線もなかった時代です。今後、いつまでうろうろと歩きまわれるのか、心もとない限りです。
音列の記憶 [音楽]
若いころに音楽の手ほどきを受けず、楽器もほとんど触らなかったので、楽譜を見るのは苦手です。なんとなくいろんな音楽を聴いてきましたが、昔の音楽では調性が雰囲気に関わっているのが分かってきます。
シューベルトの『未完成』、チャイコフスキー『悲愴』、ブラームス『クラリネット五重奏曲』、ドボルザーク『チェロ協奏曲』と並べると、ほの暗く、不安で不安定な気分がひろがります。ロ短調の曲です。 この調性の曲はモーツァルトやベートーヴェンには有ったかどうか思いうかびません。
イーグルス『ホテル・カリフォルニア』も同じような曲調です。『天城越え』も。
音の並びの違いによって各人の大脳が同じような反応を示すのは、やはり進化の過程で音列が何か重要な役割を担っていた痕跡とも考えられます。音楽を聴くことで、大脳は何か遠い記憶を思いだしているのかもしれません。
年年歳歳 [読書]
四月になっても肌寒く、桜の開花も遅れているようです。今晩は豆ごはんにイガミの煮付けとヒイカを食べました。食卓から春になった気分です。
新しい年度が始まり、歳歳年年人同じからずの時期です。こうして、また一年、いろんなことを忘れたり、憶いだしたりしながら暮らしていくことになります。
いまは堀江敏幸『音の糸』(小学館)を読んでいます。新聞の書評でおもしろそうと思って、何週間か何軒かの本屋さんで探しましたが無く、しょうがなくアマゾンでクリックすると、翌日に届きました。
だれがどんな音楽にどんな思いをもっているのかを読むのは、音楽を聴くのと同じくらい興味深いものです。それでも、やっぱり本は手に取って中をペラペラと眺めてから買うかどうかを決めたいものです。
明日からは暖かくなるそうですから、桜が一斉に開花し始めるかもしれません。