ドン・キホーテって誰? [読書]
7月中旬から『ドン・キホーテ』を読んでいましたが、先日、前篇を読了しました。ここまでは半世紀前、大学生の頃にも読んでいたのですが、今回は後篇も読み通すつもりだったのですが・・・やっぱり、ここで止まってしまいました。
読み出して覚えていたのはドン・キホーテが風車に挑みかかる場面くらいで、あとは全く記憶にありませんでした。そもそも物語は二重構造になっていたのでした。
中世の騎士道物語を読みすぎて、物語の世界に入り込んでしまったドン・キホーテが、サンチョ・パンサを従え、遍歴の旅に出かけ、行く先々でトラブルを引き起こすドタバタ喜劇(現実的なサンチョ・パンサとの掛け合いが絶妙)の間に、旅先で出会った人びとが中心となる恋愛話や冒険譚が劇中劇のように挟まれています。一見、ドン・キホーテは劇中劇のための狂言回し役とも言えます。
400年も前の小説ですが、イスラム教徒とキリスト教徒の諍いや、地中海の海賊など現代につながる話題もあります。そしてこれは、妄想に取り憑かれた人が惹き起こす喜劇ですが、周りの人々にとっては悲惨な災難であり、また一面、理想を実現しようと奮闘する人の悲劇とも読むことができます。
また、今の生活から抜け出したい一心で、ドン・キホーテに従う ”世知に長けた” 近代人サンチョ・パンサの滑稽と悲惨も心に残ります。
こうして眺めてみると、例えば「寅さん」が小型のドン・キホーテのようにも見えてきたりします。子供から大人まで、いろいろに読め、楽しめる多面的な物語です。
しかし、やっぱり長い、いくら時間があるといっても 400年前のペースに半年付き合うのは息が続きませんでした。後篇はまたの機会に致しましょう。
元禄の秋 [読書]
『古句を観る』という文庫本があります。柴田宵曲という人が、江戸時代・元禄期(17世紀末頃)の有名でない人の、有名でない俳句を集め、歳時記風に並べて、一句ごとに思うところを書き付けたものです。
夕すゞみ星の名をとふ童かな (一徳)
元禄の子供も星の名前に興味があったのかと驚きます。平安時代の『枕草子』に・・星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。・・とあるくらいですから、いくつかの星に名前が付いていたのでしょう。
庭砂のかわき初(そめ)てやせみの声 (北人)
雨がやんで、土が乾きはじめると、一斉にセミがなき出す。近代俳句の観察を先取りしたような趣きがあります。
深爪に風のさはるや今朝の秋 (木因)
目にはさやかにみえねども、深爪の傷にさわる風に、秋を感じるという訳です。元禄の人はどんな道具で爪を切ったのでしょう?
木犀(もくせい)のしづかに匂ふ夜寒かな (賈路)
「しずかに匂ふ」という言葉は平凡そうで、なかなかしっくりとした表現です。秋の深まりが感じられます。ここに出てくる作者の名前は聞いたことも見たこともない名前ばかりです。
秋の日や釣する人の罔両 (雲水)
「罔両」は「かげぼうし」と読むのかと著者は記しています。魑魅魍魎(ちみもうりょう)の魍魎です。辞書には山川木石の精霊のこと、うっすらとした影などとあります。鮎釣りでもしているのか、秋の空気を際立たせています。
手のしはを撫(なで)居る秋の日なたかな (萬子)
<人生の秋に遭遇した者の経験しやすい心持なのかも知れぬ > と著者は書いています。この本は昭和18年に出ているので、柴田宵曲は45歳くらいだったはずです。わたしも最近、手や腕に細かいシワが増えたなぁと眺めることがあります。
こうして本を繰っていると、300年前の人々の感性が身近に感じられます。芭蕉、其角、去来といった有名な俳人とはまた違った親しみやすさがあります。柴田宵曲は正岡子規門に連なる人なので、彼の目にとまった句を集めているので、選択にはそれなりにバイアスがかかっているのでしょうが、元禄のころの人々の雰囲気が味わえる一冊です。
夢と世界 [読書]
眠りが浅いせいか、夢をよく見ます。たいてい困った事態に陥り、どうしようという時に目が覚めます。
それでふと思ったのですが、カフカの小説『変身』は、ある朝、夢から目を覚ますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっていた、と始まります。つまりこれは夢と日常を入れ替えた仕掛けになっています。目が覚めて夢が始まる。あるいは、夢の続きを生きる。そういえばカフカの小説は『審判(訴訟)』も『城』も夢の世界に迷い込むような雰囲気です。
カフカ(1883-1924)はチェコで生まれたドイツ語系のユダヤ人です。当時、お隣りのオーストリア・ウィーンには、夢判断や精神分析を始めたフロイト(1856-1939)がいましたが、彼もユダヤ人でした。
夢に意味を見つけ、夢の世界に入り込むことで人の現況を理解しようという素地が、彼らの社会に根付いているのでしょうか?
わたしの場合、夢はそんなに長いものではなく、一幕物のようです。思いがけない昔の知人が出てきたり、どこか行ったことがあるような場所が舞台です。仕事に関係した状況が多いようで、しかも事がうまく運ばないのが定番です。カフカとは違って、目覚めたとき、夢で良かったと安堵します。途中覚醒して、また眠ると、夢の続きは見ないようです。
目が覚めてから、夢のような事態が起これば、困り果てます。カフカの小説の主人公のように途方にくれることでしょう。先日読んだのは彼の『流刑地にて』という短篇でした。何処か島にある流刑地で、特殊な装置による処刑に立ち会うことになる旅行者の話でした。思わぬ事態の進展で、いつ誰が処刑されるのか、だんだん不安になります。
カフカの小説のような夢は願い下げです。しかし、世界は理不尽な事が多く、カフカの小説のようだと感じれば、やはり虫にでも変身するしかないのかも知れません。
ラ・マンチャの男 [読書]
世界で最も有名な物語・小説の主人公は、ドン・キホーテかも知れません。ロビンソン・クルーソーとかガリバー、また古くは光源氏もいますが、世界的な知名度としてはドン・キホーテが上でしょう。
ほかに誰かいないだろうか?と頭を巡らしても、思い浮かびません。ウェルテル、アンナ・カレーニナ、トム・ソーヤ・・・とてもドン・キホーテには敵わないでしょう。劇ではハムレットがいますが、シェイクスピアと『ドン・キホーテ』の作者・セルバンテスは同時代人で、奇しくも同じ 1616年に亡くなっています。
当時、スペインで出版された『ドン・キホーテ』は広く読まれたそうで、英語にも翻訳されたのでシェイクスピアも読んだ可能性があるそうです。
わたしは大学生の頃に新潮社版(堀口大學訳)で読んだのですが、それは前篇だけの翻訳で、『ドン・キホーテ』には後篇もあるとのことで、いずれ読もうと思い、大学を卒業した頃に丁度出版された会田由訳『才智あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ 前篇・後篇』(筑摩世界文學大系15 セルバンテス)を買いました。
いつか読もうが 50年経って、わたしはとても読む気力も視力も無いのですが、家内はドン・キホーテを読んだことがないので、今回、家内が朗読しようということになりました。家内は以前に観た松本幸四郎が演じるミュージカル『ラ・マンチャの男』のイメージがあるようです。
三段組で 679ページある重い本なので、果たして読了出来るかどうか分かりませんが、3週間程前から一日5ページ程ずつ読み始めました。半年位の予定ですが、 17世紀の古い物語なので、いつ飽きるか、また前篇で止まらないか? 家内は「なんか幸四郎とは違うわね」と言っています。ドン・キホーテに比すべき無謀な試みですが、今のところ、昼寝前の読み聞かせとして続いています。
#「本棚で待っている本」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2022-06-20
自然と人の物語 [読書]
振り返ってみると、わたしは「自然」というものには余り関心がないようです。星座とか宇宙の起源とか天体現象に強い興味を持ったことはなく、星座盤を買った覚えがあるのですが、星空を観察した記憶はありません。星座盤は宮沢賢治の影響だったかも知れません。
子供の頃は蝉採りくらいはしましたが、昆虫採集はしなかったし、犬や猫を可愛がったこともありません。30歳代に植物図鑑を買って車に積んでいましたが、植物好きだった叔父の影響だったのでしょう。
海や川や池で魚を釣ったりする趣味もありません。40歳代に毎週のように、家族であちこちの池や湖でバス釣りをした時期があり、諏訪湖や河口湖にも出かけましたが、長男が一時バス釣りに熱中していたせいです。長男が家を出ると、もう誰も釣りはしませんでした。
山を眺めるのは好きですが、登るのは苦手です。一度、家族で伯耆大山に登ったことがあり、山頂からの日本海の眺めは良かったですが、下山時に膝が効かなくなり苦労しました。以後、山登りはしていません。森の中にいると気分がいいのですが、道を蛇が横切ると引き返したくなります。わたしの自然との関わりはこの程度で、山麓をドライブし、深田久弥『日本百名山』を読むくらいのことです。
自然には関心が少ないのですが、人間には興味があります。「人間の自然」というのも自然の一部なのでしょうが、こころを含めての人間の有り様にはいつも関心を持っています。ヒトにはどんな側面や可能性があるのかを知りたいという欲求です。
こんな事を考えたのは、高橋敬一『「自然との共生」というウソ』(祥伝社新書)という本を読んで、ごもっともと思う以外に、感想が思い浮かばなかったからです。著者は <「共生」とは郷愁の命じるまま新しい時代を古い時代へと引き戻すことではなく、むしろ親しいものを永遠に失うことの痛みに耐えながら、得体の知れない新しいものを受け入れていくことだ。> と述べていました。
ヒトは基本的に他の生物と同じように、「ヒトの自然」を生きていて、外界とは緊張関係にあり、気温、酸素濃度、感染・疾病・遺伝情報、食うー食われる、子孫を残すなどの条件の下で暮らしていると思っているので、著者の「自然との共生」への疑問には、そうですねと同感するばかりでした。
♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川♪ と自然との共生の想いにひたるのは、誰しもふとおちいる感慨ですが、ヒトにとって外界は常に反応しなければならない刺激です。
とはいえ、人は山、川、犬、猫などと外界に名前を付け、星を結んで星座を作り、弘法大師の掘った井戸、西行が休んだ柳などと伝説を生み出し、世界創造神話のように、自然を物語として取り込んで生きてきたので、自然環境改変の現状に「自然との共生」という物語が形成されるのも人間の有り様の一面だろうと思えます。
物語といえば、6600万年前の巨大隕石との衝突によって、恐竜が絶滅し、哺乳類が誕生したというのも、生物を支配しているのは遺伝子であるというのも、現代の神話といえるのかも知れません。
生活の中の詩 [読書]
いつだったか毎日新聞の書評欄に、石垣りん『詩の中の風景』(中公文庫)が取り上げられていたので読んでみました。詩人の著者が、心に残った詩を掲げ、その詩についてのエッセイを付けたもので、50篇ほどの色々な人の詩のアンソロジーともなり、詩の解説でもあり、その詩が著者に及ぼした反響の記録ともなっています。たとえば・・・
昨日いらつしつて下さい
室生犀星
きのふ いらつしつてください。
きのふの今ごろいらつしつてください。
そして昨日の顔にお逢ひください、
わたくしは何時も昨日の中にゐますから。
きのふのいまごろなら、
あなたは何でもお出来になつた筈です。
けれども行停(ゆきとま)りになつたけふも
あすもあさつても
あなたにはもう何も用意してはございません。
どうぞ きのふに逆戻りしてください。
きのふいらつしつてください。
昨日へのみちはご存じの筈です、
昨日の中でどうどう廻りなさいませ。
その突き当りに立つてゐらつしやい。
突き当りが開くまで立つてゐてください。
威張れるものなら威張つて立つてください。
<・・・過ぎた日に帰れるはずはないのに、昨日への道はご存じの筈です、と言われると暗示にかけられ、ついその気になってしまいます。/常識の扉がひらいて、心の踏み込む先の風景が見えてきます。/(中略)犀星氏が女になりかわって、男に出した招待状かもわかりません。/やさしい言葉で、昨日なら何でも出来たはずといわれても、それが出来なかったのが昨日。/昨日なら用意があったけれど、今日も明日もあさっても、あなたにはもうなにの用意もないのですと、突き放す。所詮もどりようのない過去へのご招待。/かなしいような、切ないような、この無情とも思える招きに、私はなぜか応えたくなります。実にしばしば、はい、お伺い致しますと。>
なるほどと、その解釈のみごとさに頷きます。そして石垣りんさんが、しばしば昨日へ出かけてみたくなると告白し、そうですよね、と取り戻しようのない過去に思いが及びます。
「石垣りん」という名前は見たことがありますが、その文章を読んだのは今回が初めてでした。1920年に東京・赤坂で生まれ、55歳まで銀行に勤め、その間、詩を書き続け、2004年に他界されています。いわゆる詩人的な放蕩とは無縁だったようで、日常生活の中に詩を見るといった雰囲気で、エッセイからは繊細で豊かな感受性が感じられます。そういえば、昔、こんな詩を読んだのを思い出しました。
シジミ
石垣りん
夜中に目をさました。
ゆうべ買ったシジミたちが
台所のすみで
口をあけて生きていた。
「夜が明けたら
ドレモコレモ
ミンナクッテヤル」
鬼ババの笑いを
私は笑った。
それから先は
うっすら口をあけて
寝るよりほかに私の夜はなかった。*
*『日本詩人全集 34 昭和詩集(二)』(新潮社)
地政学て何? [読書]
ロシアのウクライナ侵攻以来、「地政学」または「地政学的」という言葉をよく目にするようになりました。なんとなく言葉の雰囲気は分かるのですが、あらためて具体的な内容となると思い浮かびません。そんなおり毎日新聞の書評欄で佐藤優が奥山真司『世界最強の地政学』(文春新書)という本を取り上げ、「・・・傑作だ。アングロサクソン(英米)流の地政学に関する最良の教科書でもある。」と紹介していたので読んでみました。
著者によれば「地政学とは「地理をベースとした国際政治、外交政策についてのものの見方、考え方」ということだそうです。ナポレオンは「地図を見せてみろ。あなたの国の対外戦略を当ててみせる」と言ったそうです。印象的だった事柄を私なりにまとめてみました。
地政学において重要な概念として「シーパワー」と「ランドパワー」ということを取り上げていました。海洋での活動に重きを置くイギリスや米国がシーパワーの国で、ロシアや中国はランンドパワーの国。
ランドパワーの国は歴史的に常に周辺からの侵略の脅威にさらされています。ロシアはモンゴル帝国に250年間近く支配され、ナポレオンやナチス・ドイツに攻められています。中国は周辺勢力による元や清のような征服王朝に支配されています。ロシアは外からの侵略を恐れ、周辺に緩衝地帯を置こうとします。中国は万里の長城を築きました。恐怖のなせる所業です。
ナポレオンが16年かけてもイギリスに勝てなかったのは、イギリス海峡の制海権をイギリスに握られていたからとのことです。シーパワーとは制海権によって航路、港湾を確保し、物流、兵站、情報などをコントロールする力です。
かってイギリスや米国はスエズ運河、パナマ運河を支配下に置き、南アフリカ、インド、シンガポール、フィリピン、香港などを支配下もしくは影響下に置き、またインド洋と太平洋を結ぶマラッカ海峡の航行を守り、軍事基地を各地に保有しています。
海にしろ陸にしろ、ルートとチョーク・ポイント(線と点)も地政学に重要な事項です。道、砦、港、航路など物資や兵隊の移動に欠かせない施設で、各国にとって歴史的に重要視される場所があります。
たとえばロシアが対外進出しようとする時、バルト海はかつてはロシアの内海で、日本海海戦ではバルチック艦隊が遠征してきました。次に黒海に面したクリミア半島とバルカン半島から地中海へ、アフガニスタン・インド、ポーランドからドイツ、シベリアからウラジオストクという5つのルートがあるそうです。現在はバルト三国もポーランドもEU加盟国になっています。
なんとなくロシアがウクライナに侵攻した地政学的な誘因が見えるようです。冷戦に敗れ緩衝地帯が無くなり、直にNATOと向き合う恐怖が根底にあるのでしょう。
中国については、世界の工場となっていますが、人口比でみれば資源大国ではなく資源や食糧の輸入と製品の輸出のため、自由経済システムに依存しています。航路の安定が重要になっており、現在は米国によるマラッカ海峡の保全などに頼っています。中国が南シナ海など航路への進出を企てている理由だそうです。
日本は海に囲まれていますが、シーパワーの国ではなく、ランドパワー的思考があるそうです。明治時代から陸軍がランドパワーの国であるドイツに学んだ影響で、ロシアの南下を恐れ、朝鮮半島や満州に緩衝地帯を作ろうとしました。
個人に思考のクセがあるように、国家にも身についた戦略があるようです。米国は第2次世界大戦に勝利すると、次はソ蓮に対抗するために、かっての敵国である日本、ドイツと手を組み冷戦に勝ち、日本がのし上ると関税などで貿易戦争をしかけ、中国がGDPで2位になると対抗措置を採ります。3位と手を組み2位を追い落とすという戦略です。
著者は1972年横浜生まれ。イギリスの大学で地政学を学んだ国際地政学研究所上級研究員だそうです。世界の動向を理解する上で地政学的な視点というのも参考になると教えてくれた一冊でした。
#「歴史から現在を見る」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2024-03-09
夏の蕪村 [読書]
本棚の奥から引っ張り出した『蕪村句集』*の「夏之部」を眺めていると、いろいろな句が目に留まります。与謝蕪村(1716-1783)という人の言葉への特異な感性が窺われます。
ほとゝぎす平安城を筋違(すぢかひ)に
すヾしさや都を竪(たて)にながれ川
京都の町を空から眺めた視点は新鮮で意外性があり、切り口のおもしろさに賭ける俳句の面目発揮です。
牡丹散りて打かさなりぬ二三片
ちりて後(のち)おもかげにたつ牡丹かな
牡丹の花の華麗な姿を散った後や残像として捉える卓越した手腕には感歎するほかありません。
涼しさや鐘(かね)をはなるゝかねの声
蓮の香や水をはなるゝ茎(くき)二寸
鐘の音の余韻や蓮の香が視覚的に表現されています。松尾芭蕉の「岩にしみいる蝉の声」の反響でしょうか。蕪村は生涯、芭蕉を意識していたようです。
端居(はしゐ)して妻子を避(さく)る暑さかな
夏河を越すうれしさよ手に草履(ざうり)
こんな生活感のあるユーモラスな句もあります。「夏之部」を散見しただけで目に留まる句が次々に現れます。変幻自在な視点で生活の中に詩を見つけています。
*清水孝之 校注『新潮日本古典集成 璵謝蕪村集』(新潮社)
ピアノ・トリオを聴きながら [読書]
今年の1月にマイク・モラスキー『ジャズピアノ上/下』(岩波書店)という本が、毎日新聞の書評欄で紹介されていたのですが、書店に行くと同著者の『ピアノトリオ』(岩波新書)というのが平積みされていました。前書は2巻本の大著ですが、こちらは新書なので、とりあえず読んでみることにしました。「モダンジャズへの入り口」という副題が付いていました。
著者は1956年セントルイス生まれで、ジャズ・ピアニストの経験があり、早稲田大学教授でもあり、『戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ』(青土社)でサントリー学芸賞を受賞しています。編集者の手助けがあったようですが、良く分かる日本語で書かれています。
読み出してまず驚いたのは、「パーツ別に聴く」ということでした。どうしてもメロディが耳につくのですが、ベースがリズムとハーモニーの基本になっているので、まずベースの音を聴く。ピアノは左手の音を聴き、また別に右手の音を聴く。ピアニストによって手の使い方に特徴があるそうです。
なんともマニアックな聴き方だなと思ったのですが、試してみると確かに、今まで聴いていなかった細部に耳がとどき、演奏が立体的なった気がします。左手は時々コードを鳴らすだけの人、常に左手が音を出しているピアニストなどいろいろなことに気が付きます。
ビッグ・バンドの演奏だと大きなホールが必要ですが、小さなバーやクラブ用に、また演奏中にも飲み食いできるようにピアノ・トリオが作られたとか、初期のピアノ・トリオはピアノ、ベース、ギターの組み合わせだったが、1950年代半ばからギターに代わってドラムになったとか、ジャズの歴史が所々で語られています。
そしてピアノ奏法・・・ユニゾン奏法、ブロックコード、ロックハンド奏法といった素人には理解しにくい話もありますが、その後、ジャズ・ピアノの名盤についての具体的な解説が続きます。
例えばレッド・ガーランドのアルバム『グルーヴィー』について、1曲目の <「Cジャム・ブルース」の 1:25-1:40 におけるガーランドの左手のリズムに注目したい。(中略)この一五秒間を繰り返し聴いてもらうことになる。目的は、読者自身が身体でガーランドの左手が刻むリズムを感じ取るようになることである。>
確かに漫然と聞き流していては、分からないことが聴こえてくるのかも知れません。今後はせめてピアニストの左手と右手を意識して聴いてみようかと反省させられた読書でした。
西行の身と心 [読書]
風になびく冨士の煙の空に消えて
ゆくへもしらぬわが思ひかな (西行)
九百年前の平安末期から鎌倉時代を生きた西行には愛誦される歌や伝説、逸話が多く、それだけ人々を惹きつける魅力があるようです。先月の毎日新聞の書評欄に寺澤行忠『西行 歌と旅と人生』(新潮選書)という本が紹介されていました。著者は長年に亘って西行の歌の写本間での異同・正誤を研究してきた学者だそうです。
一読、文章は平易で、学者にありがちな過度なこだわりがなく、評論家的な強すぎる思い入れもなく、淡々と西行の歌、旅、人生について過不足なく記述されていました。長年付き合ってきた人物を紹介するような雰囲気です。
西行(俗名・佐藤義清)は藤原北家につながる家系で紀ノ川右岸に知行地を持ち、奥州・藤原氏とは縁続きで、生涯に2度、奥州を訪れています。15歳頃から徳大寺家に仕え、その後、鳥羽院の北面武士となり、そこでは同い年の平清盛も北面武士だったので、顔見知りだっただろうということです。
そして、23歳で出家します。原因は定かではありませんが、待賢門院璋子へともいわれる叶わぬ恋などが挙げられています。京都近郊で暮らしたあと、26歳の時なぜか奥州に旅しています。
吉野山梢(こずゑ)の花を見し日より
心は身にもそはずなりにき
西行が桜を好み吉野に庵をむすんだことはよく知られていますが、時期は特定できませんが大峰修験にも2度出かけています。過酷な修行であったようですが、西行は屈強な人だったようです。。32歳からは高野山を拠点とし、30年ほど暮らしています。この間に各地を訪れているようですが、特に、讃岐へ行き、配流され亡くなった崇徳院(待賢門院璋子の息)の陵に参り、空海の遺跡を巡っているのが知られています。
源平合戦の時代を潜り抜け、晩年の6年は伊勢で暮らしていますが、69歳の時、平氏に焼かれた東大寺の再建のために、2度目の奥州への旅を行っています。平泉・藤原氏に砂金などの寄進を依頼するためでした。途次、鎌倉で源頼朝に出合っています。高齢で伊勢から平泉へよく往復できたものです。
年たけてまた越ゆべしと思いきや
命なりけり小夜の中山
奥州藤原氏が頼朝によって滅ぼされた翌年、西行は73歳で、願ったように桜の時に河内の弘川寺で亡くなっています。壮健な身体に感受性豊かな心が宿っていたのでしょう。伝説化されるに相応しい一生だったように思われます。
心なき身にもあはれは知られけり
鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮れ