SSブログ

ラジオと紀行の兄弟 [読書]


 車で通勤していたころ、ラジオで「日本全国8時です」という15分ほどの番組をよく聞いていました。森本毅郎が司会し、日替わりで佐瀬稔(スポーツ)、荒川洋治(読書案内)、森田正光(天気)などが話題を提供します。話題への興味もさることながら、森本毅郎が話題提供者の話に疑義をはさんだり、混ぜ返したり、司会と演者との絶妙なやり取りが魅力になっていました。



 以前から旅行記や評論のようなものを何冊か読んでいる森本哲郎は、ラジオの毅郎の兄です。彼の『旅の半空(なかぞら)』(新潮社 1997年刊)を見ていると・・・



 <・・・父・杉雄は明治二十八年十月三日、和歌山県海草郡巽(かいそうぐんたつみ)村大字阪井(おおあざさかい)に生れた。(中略)/ 父の父、すなわち、ぼくの祖父は森本直楠(なおぐす)といい神官だった。神主姿の写真が残っているから、これは確かである。父はその直楠の五男だったが、生来、真面目だったようで、そのためか直楠は大いに期して自分の跡を継がせようとしたらしい。そこで、大阪府立岸和田中学校を終えると、「祭式検定証」を取らせ、和歌山市和田にある竈山(かまやま)神社の主典(しゅてん)として出仕させた。そして、半年後、伊勢の神宮皇学館へ入学させ、父は大正十年に卒業している。/そのころ、直楠はは和歌山の東照宮、のちに天満宮の神官をつとめていた。>



 こんな記述がありました。巽村阪井も竈山神社も東照宮、天満宮も、我が家からは遠くない場所です。ラジオや本で親しんだ森本兄弟のルーツがこんな近くに有ったのかと驚きました。



 そもそも著者・森本哲郎は、明治44年に夏目漱石が和歌山へ講演に来て、翌年、和歌山を舞台とした小説『行人』を書いているので、漱石の足跡を追って和歌山に出かけたのでした。



 漱石は8月15日、県会議事堂で一千人の聴衆を前に、「現代日本の開化」と題して講演しています。講演後、宿舎の望海楼へ戻ろうとしますが、暴風雨で、望海楼は危険だとして富士屋に宿を変えますが、停電し、一晩中、吹き荒れたと日記に記しているそうです。この時の体験が和歌浦や東照宮などと共に『行人』の筋立てに生かされているとのことです。



 森本兄弟の父親は神宮皇学館を卒業したのですが、神職には就かず、中学・高校の国語教師として暮らしたそうです。哲郎が何故か、と問うと、父親に毎朝、東照宮の石段を一段一段掃き清めさせられて、いやになったと笑いながら言ったそうです。確かに、わたしも近所なのですが、東照宮へは石段を下から見上げるだけで、一度も登ったことがありません。


#「海岸民族って何?」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-11-10


旅の半空

旅の半空

  • 作者: 森本 哲郎
  • 出版社: 新潮社
  • メディア: 単行本

nice!(25)  コメント(6) 
共通テーマ:日記・雑感

歴史から現在を見る [読書]


 今年は選挙の年のようです。それでいつも不思議に思うのは、米国ではなぜ火曜日に選挙をするのか? 共和党の大統領候補がほぼトランプさんに決まったのも先日のスーパー・テューズデイでした。



 netにあった解説では、アメリカは清教徒の国だったので、日曜日は安息日で仕事をしてはいけない日なのだそうです。そして月曜日に馬車で投票にでかけても、国が広いので、間に合わない人がいるので火曜日なのだそうです。大統領選挙は11月の第1月曜日の翌日と法律で決まっているとのことです。



 負けると、選挙に不正があったと騒ぐような人がまた出てくるのも不思議ですし、どちらにしても、後期高齢者に国家を任せようとする国民も不可解です。



 この間から読んでいる片山杜秀『歴史は予言する』(新潮新書)は「週刊新潮」に連載しているコラムをまとめたものですが、時事的な話題を過去とのつながりから考えようという視点で綴られた面白い本です。特に学校で習わなかった近代史にうといわたしには、教えられることがたくさんありました。



 <明治14(1881)年3月4日。横浜港にハワイの国王、カラカウアがやってきた。近代日本が初めて迎える国家元首である。・・・皇居で明治天皇と会談した。・・・/カラカウアは何をしに来たのか。物見遊山ではない。交渉事があった。ハワイへの移民を日本の国策としてもらえないか。・・・/ハワイは米国に侵食されつつある。西洋人の齎(もたら)した疫病のせいでハワイ人は激減。米国からの移民が闊歩し、砂糖栽培で儲け、政治にも介入。この調子では早晩、植民地にされる。・・・/カラカウアは天皇に訴える。東洋諸国の大同盟を作ろう!・・・日本さえその気ならば、大同盟を説いて回るという。・・・/そこでカラカウアは大胆な提案を付け加えた。・・・山階宮定麿(やましなのみやさだまろ)王・・・素晴らしい青年だ。・・・姪を嫁として差し上げたい。/明治天皇も、岩倉具視や伊藤博文や大隈重信も困った。・・・大陸と半島のことでわが国は飽和している。・・・西南戦争からまだ4年。・・・太平洋のことまで考えられない。日本はハワイの提案を、移民の件以外はすべて斥(しりぞ)けた。・・・/ハワイが米国に併合されたのはそれから17年後。・・・> 日本の真珠湾攻撃は60年後。



 こんなふうなコラムが続きます。ロシアとウクライナの歴史的な関係とか、台湾に逃れた蒋介石が中国本土へ侵攻しようとして米国・ケネディ大統領に武器援助を頼んだが断られた話など興味深い話題が満載です。歴史を知ることによって、現在の有りようの基盤が見えてくるような気になります。



#「何を考えていたのか?」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-06-16


歴史は予言する(新潮新書)

歴史は予言する(新潮新書)

  • 作者: 片山杜秀
  • 出版社/新潮社
  • メディア: Kindle版

nice!(29)  コメント(8) 
共通テーマ:日記・雑感

女優の写真 [読書]


 川本三郎の新刊『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)を読んでいると、<昭和三十年代に活躍し、人気があるなかで若くして引退してしまった女優といえば、日活の芦川いづみ、大映の叶順子、そして松竹の桑野みゆきだろう。> とありました。それで思い出したのですが、わたしが小学生のころ、高校生だった兄の勉強机の前に桑野みゆきの写真が貼ってありました。この兄は器用で、模型飛行機を作っても真っ直ぐ飛ぶし、メジロを飼ったり、蚕を育てたりしていました。他の兄は南海ホークスのファンでしたが、この兄が巨人ファンだったので、わたしも巨人になりました。わたしが中学生のころ、兄は大学受験がうまくいかなかった時は、溜池で鮒釣りをしていました。



 この兄は 28歳の夏に、名古屋方面への車での出張の帰り、名神高速道路の路側帯に停まった車の運転席で亡くなっていました。クモ膜下出血でした。服のポケットに伊良湖岬の喫茶店のマッチがあったそうです。わたしは大学生でした。



 兄には自転車の後ろに乗せてもらって、隣町の映画館へ連れていってもらいました。わたしは田舎育ちなので、東京生まれの川本三郎のように、青少年のころからいろんな映画が観られたわけではありません。



 本書では桑野みゆき主演の映画「明日をつくる少女」(1958年)についての話の中で、原作者・早乙女勝元の脚本担当・山田洋次との出会いの思い出を引用し、<当時、早乙女勝元は葛飾区の新宿(にいじゅく)に住んでいた。ある時、山田洋次を近くの柴又に案内した。/「畑や雑草地だらけの道を柴又駅に出て、すぐ鼻先の参道のアーチ近くをくぐると、両側に草だんご屋やみやげ物屋が何軒か、ひくい軒をつらねていた。客足が少ないせいか、どの店も閑散たるもの。(後略)」(『東京新聞』二〇一〇年、十二月十一日)>  と後の「寅さん」の 柴又と「明日をつくる少女」との縁を記していました。年を重ねると、思いがけないつながりに出会い、いろんなことを思い出します。


#「わたしの昭和30年代」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2024-01-13


nice!(23)  コメント(10) 
共通テーマ:日記・雑感

愛でるということ [読書]


 正月には「おめでとう」と言葉を掛け合いますが、「おめでたい」とはどういうことだろうと本*を見てみると、< めでたいは「愛(め)でる」という動詞から出ている。古語では「愛づ」になる。人や物の美しさ、すばらしさに心が引き付けられる気持ち、美しいもの、かわいらしいものに感心し、深い愛情を抱くことがメデルである。すばらしいものを褒めるのである。メデタイはは動詞メヅの連用形メデに「はなはだしい」の意味の形容詞イタシを付けた複合形メデイタシから出ている。> とありました。



 なるほどと思いますが、以前に読んだはずなので、またすぐに忘れてしまうでしょう。これだから読書は本箱にある本を読み返しておればいいようなものですが、毎週の新聞の書評欄も気になります。



 今週はマイク・モラスキー『ジャズピアノ 上・下』(岩波書店)の紹介が目に止まりました。ジャズ・ピアニスト 150人について、<ジャズ史を源流までたどり、ピアニストごとの具体的な弾き方と個性、魅力をわかりやすく言語化した。/(中略)ビル・エヴァンスとマッコイ・タイナーについて、こう記す。「最も興味深い共通点は二人とも左利きであることに関連すると思う。(後略)」> そうなのか、ピアノは弾けませんが、わたしも左利きなので興味を唆られます。ただ 791ページもあるので少しためらいます。前著が『戦後日本のジャズ文化』とあり、それは 15年以上前に読んだと思い出しました。



 こんな本はやっぱり本屋さんで手に取って、ペラペラと中身を眺め、懐具合とも相談しながら考えるほかありません。わたしは気にいった本は手元に置きたい困った性分です。何かを愛でるというのは非合理的で無駄の多いことのようです。



*堀井令以知『ことばの由来』(岩波新書)

#「雨の日にはジャズ」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-06-02


ジャズピアノ: その歴史から聴き方まで (上)

ジャズピアノ: その歴史から聴き方まで (上)

  • 作者: マイク・モラスキー
  • 出版社/岩波書店
  • メディア: 単行本

nice!(24)  コメント(6) 
共通テーマ:日記・雑感

連載エッセイの楽しみ [読書]


 新しい年を迎えましたが、早々の大地震で、2024年はどんな年になるのか不安になります。年始におおまかな1年の予定を考えますが、3月には持病の治療が済み、ある程度の旅行はできそうなので、久しぶりに何処かへ行ってみようとか、故郷の兄や叔母たちのご機嫌伺いもしたいし、子どもや孫たちと会う機会も設定しようなどと思いを巡らせます。



 8月にはこのブログも丸十年になります。いつの間にか生活の一部となり、今週は何を書こうかという気持ちが生活の張り合いになっています。



今年は何を読もうか? だんだん現役のお気に入りの著者が少なくなっています。長年、雑誌や週刊誌などにエッセイやコラムを連載し、数年ごとに単行本として出版されるのは、好みの著者の場合、待ち遠しいものです。古くは司馬遼太郎が「週刊朝日」に書き続けた「街道をゆく」とか、洲之内徹が「芸術新潮」に綴った「気まぐれ美術館」、吉田秀和が「レコード芸術」に載せていた「今月の一枚」、丸谷才一の「オール讀物」のエッセイ、高島俊男の「週刊文春」の「お言葉ですが・・・」シリーズなどが思い浮かびます。リアル・タイムではなくても、単行本や文庫本になってから読んで、既刊のものを集めたりもしました。



 これらの著者は亡くなっていますが、「映画を見ればわかること」は川本三郎が 2001年から現在も「キネマ旬報」に連載しているシリーズです。3年毎くらいに単行本になっているので、そろそろ次が出る頃だろうと、時節になると本屋に行くたびにチェックしていたのですが、6冊目が『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)という題で出版されていました。



 映画館へはもう何十年も行っていないのですが、川本三郎の映画の本は映画を観なくても楽しめるのは不思議です。映画の内容が周辺の事情や歴史とともに記されているので、エッセイを読むと映画を一本観たような気分になります。読者を飽きさせない話題と話術があるのでしょう。



 また、「週刊新潮」の連載コラムで片山杜秀が書く「夏裘冬扇」がおもしろいと評判のようで、今回、『歴史は予言する』(新潮新書)として刊行されたそうです。片山杜秀の本は昨年、『11人の考える日本人 吉田松陰から丸山眞男まで』(文春新書)を読んだので多少食指が動きます。年末恒例の毎日新聞の書評者が薦める 2023年「この3冊」がどんな本を挙げるのか期待していたのですが、興味を惹かれるものが少なく落胆していたのですが、これでとりあえず、楽しめそうな本が2冊見つかったので一安心です。



 今年も本を読んだり音楽を聴いたり、穏やかに暮らしたいものですが、地震など、今年はどんな自然災害があるのかと年初めから不安になります。


#「映画は読んでいる」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2014-09-25

#「何を考えていたのか?」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-06-16


映画の木洩れ日

映画の木洩れ日

  • 作者: 川本三郎
  • 出版社: キネマ旬報社
  • メディア: 単行本

nice!(30)  コメント(10) 
共通テーマ:日記・雑感

今年の読書を振り返る [読書]


 今年も残り少なくなって来ましたが、来年はどんな年になるのでしょう。今年は75歳になって、後期高齢者と称ばれるようになり、余命が意識されるようになりました。確かに持ち時間は少なくなっているのでしょうが、仕事を離れると、1日が永く時間を持て余します。時間を決めて運動や散歩をし、読書(最近は家内に朗読してもらうことが多い)や音楽の時間などを割り振って1日をやり過ごしています。



 この4年間は新型コロナと持病のために、旅行もままならず、人混みも避けているうちに、気力、体力が低下したようで、高齢者にとってこの4年間は大きな時間のロスだったように思います。



 さて、今年読んだ本で何が印象深かったかと振り返れば、年初に読んだエマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(文藝春秋)が刺激的でした。、核家族、父系制、直系家族といった「家族システム」の違いが、社会や国家の成り立ちを決めているといった目からウロコの話が次々と語られ、世界の見え方が変わる気がしました。アメリカ人は狩猟採集時代のホモ・サピエンスと同じように、核家族で自由主義で、武器で自衛する社会で生きているなどとフランス人らしい言説も面白い。



 次に感銘を受けたのは、吉村昭『白い航跡』(講談社)で、明治時代に脚気(かっけ)という病気の原因を、疫学的調査で「白米食」にあると突き止めた高木兼寛の話です。著者の緻密な調査と筆力に読み応えのある伝記小説となっていました。



 この秋に読んだのは、足立巻一『やちまた』(河出書房新社)でした。本居宣長の長男で、「日本語の動詞の活用の法則を見つけた」盲目の国学者・本居春庭についての伝記的記述と、それを書くに至った著者自身の自伝的記述が織り交ぜられた浩瀚な本でした。



 吉村昭もそうですが、最近は物語よりも伝記や歴史物に興味があるようです。以前よく読んだ村上春樹の小説には、もう十年以上も縁が切れています。来年はどんな本や音楽と出会えるか楽しみにしています。そして気ままにどこかへ旅行にも出かけたいものです。




#「カッケと肉ジャガ」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-04-25


nice!(27)  コメント(10) 
共通テーマ:日記・雑感

再読の不思議 [読書]


 新聞の書評欄などで面白そうな本はないかと探しているのですが、思うようなものに出会えません。しかたなく最近は以前に読んで心に残った本を再読することが増えました。ところが読み出してみると、全く内容を憶えておらず、断片すら既読感がありません。こんなにもみごとに忘れるものかと唖然とさせられます。



 ただ再読してもやはり面白いことは確かです。好印象だけが記憶に残って、内容はきれいさっぱり抜けてしまっている訳です。まあ、ディテイルまで憶えている本は、そもそも再読しようとは思わないのかもしれませんが、こんなに書物って記憶に残らないのかと驚かされます。



 今は、足立巻一『虹滅記』(朝日新聞社・1982年刊)を再読しています。もう 40年以上も前に読んだ本です。今年は、この本が面白かったという記憶から、同著者の『やちまた』(河出書房新社)を読み、やはりいい本だと思いました。『やちまた』は盲目の国学者・本居春庭の評伝ですが、『虹滅記』は著者の祖父・敬亭、父・菰川という漢学者を中心として著者の暮らした世界を掘り起こした物語です。著者は父が早逝し、母が再婚し祖父母に育てられますが、祖父・敬亭は生活能力がなく、幼い著者を連れ放浪し、長崎の銭湯で著者を残し急死します。



 成人した著者の元に思わぬことから、敬亭、菰川の著作物が届きます。それを契機として著者のファミリー・ヒストリーの探求が始まります。小児期に家族を失っているだけに、自らの出自を知りたいという欲求が、年齢とともに増していったのでしょう。祖父の出身地である長崎の図書館で祖父や父の資料に出会ったり、親類、縁者の話と記憶を突き合わせたり、先祖の出身地である瀬戸内海の大津島を訪れたり、著者の知りたいという熱量が人間観察の陰影とともに伝わり、人が生死の変転の内に暮らしていることが浮かび上がって来ます。



 年をとって、親も居なくなると、家族の来歴が知りたくなることが多いようです。わたしの場合は十年程前、長兄が定年後に両親の戸籍をたどるなどして調べ、系図とともにまとめたものを作ってくれました。子供の頃に会ったことのある古い親戚の人の顔が思い出されました。また、そこに載っているほとんどの人を、わたしのこども達は知らないのだと思うと、親戚付き合いの薄くなった現代に不安のようなものを感じました。



 『虹滅記』は著者のファミリー・ヒストリーを巡る記録であり、それがまた変転する人の世のドラマとして提示されています。40年前に面白いと思った本が、再読でも感銘を与えるのはやはりそれが人が生きる諸相を捉え得ているからなのでしょう。






虹滅記 (朝日文芸文庫)

虹滅記 (朝日文芸文庫)

  • 作者: 足立 巻一
  • 出版社: 朝日新聞社
  • メディア: 文庫

nice!(25)  コメント(6) 
共通テーマ:日記・雑感

海岸民族って何? [読書]


 しばらくは出かけられないので、旅行記でもと森本哲郎『空の名残り ぼくの日本十六景』(新潮社)を読んでいると、「日本三景(松島、天橋立、安芸の宮島)」について、< おそらく、遠い昔、日本人は頼りない舟で荒波を乗り越え、やっとの思いでこの列島にたどり着いたにちがいない。その間、波に呑まれてどれほどの人たちが海中に消えたか、その苦難のほどは察するに余りある。彼らが、ひたすら夢みたのは島であり、陸地だった。そして舟を寄せることのできる静かな入江に達したとき、まるで楽園を見つけたように安堵の胸をなでおろしたことであろう。彼らが必死でめざした内海の浜、そのイメージがこの三景に結晶しているのではあるまいか。(中略)/ 周囲を海に囲まれながら、日本人はどうして大海へ乗り出して行かなかったのだろう、というぼくの疑問に、いつだったか、山崎正和氏は「日本人は海洋民族じゃない、海岸民族なんですよ」と言って笑った。> とありました。なるほど。



 確かに三保の松原、須磨、和歌ノ浦、江ノ島など白砂青松の地はどこにでもあり、日本の典型的な風景のひとつでしょう。白砂青松にこころを寄せる日本人を「海岸民族」とは言い得て妙です。そう言えば浦島太郎も天女の羽衣伝説も砂浜が舞台になっています。



 わたしは松島へは行ったことがありません。大学生のころ東北均一周遊券というのを持って 10日ほど東北地方を巡ったのですが、その頃は名所というものには関心がありませんでした。高村光太郎の安達太良山、宮沢賢治の花巻、小岩井牧場、石川啄木の渋民村、恐山などを訪ね歩きました。一種の歌枕巡りだったのでしょう。



 そういえば松尾芭蕉は「奥の細道」の旅で松島を訪れ、< 松島は扶桑第一の好風にして、およそ洞庭・西湖を恥ぢず。> と書いていますが、俳句は載せていません。あまりの風光明媚に絶句したのでしょうか。



 いずれまた東北地方へ行くことがあれば、今度はわたしも松島を訪れてみようと思います。


#「日本人の来た道」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2020-11-07



nice!(24)  コメント(8) 
共通テーマ:日記・雑感

カメムシとヒト [読書]


 今年はカメムシが大繁殖しているとニュースで聞きましたが、困ったことです。洗濯物に付いて、その臭いに居場所を探しまわったり、踏んづけて慌てたりするのはまだいいとして、柿などの作物に被害が出るのは大問題です。



 そんなわけでもありませんが、高橋敬一『諸国カメムシ採集記』(ベレ出版)という本が出ていましたので取り寄せました。著者の高橋敬一さんにはある宴席でお目にかかったことがありました。『八重山列島昆虫記』(随想舎)、『昆虫にとってコンビニとは何か?』(朝日選書)といった多数の生物学的な面白い著書があります。その後、パラオへ行かれたという話を聞いていたのですが、どうされているのだろうと思っていたので、新刊書を見かけてすぐに注文しました。



 表紙の袖には、< わたしは40歳にして突如、カメムシ採集人になりました。頭の中はもうカメムシのことでいっぱいです。/ ついこのあいだまで、カメムシのことなんか頭の中には1ミリもなかったのに! / この本は、わたしがカメムシ採集人だったころの、さまざまな思い出話を集めてできあがった一冊です。> とありました。



 高橋敬一さんは1956年、東京生まれの農学博士です。カメムシは世界で約4万種、日本にはおよそ1500種が生息しているそうです。毎年、洗濯物に取り付いているのは、同じような顔付きで、同じ臭いなので数十種くらいかと思っっていましたが、まず、その種類の多さに驚きました。



 そもそもカメムシはストローのような口で動物の体液を吸ったり、植物の汁を吸ったりしますが、ほとんどは土の中、草のあいだ、茂みの中で、ヒトには気づかれることなく暮らしているそうです。農作物に害を及ぼすものもいますが、害虫の体液を吸う天敵として知られているものもあるそうです。テレビのニュースでは、柿農家が柿の汁を吸われてキズになり、売物にならないと嘆いていました。



 著者がカメムシ採集人となったきっかけは、もちろんそんな職業がある訳ではなく、著者が石垣島の農業試験場で害虫防除の仕事をしていた時、昆虫学者がカメムシ図鑑を作るための写真を撮りに訪れ、同室の研究者と話していたおり、< カメムシの話を、あくびをかみ殺しながら聞いていましたが、そのうちあまりな退屈さに負けて、わたしはつい言ってしまいました。/「カメムシ見つけたら送りましょうか?」>



 仕事の合間に見つけたカメムシをめんどくさいなと思いながら送っていたのですが、そのうちに、日本では記録のない種類だとか、新種かもしれないといった返事が再々来るようになり、カメムシ採集にのめり込んでいくことになります。



 その後、本書はカメムシ図鑑の話、採集方法、面白いカメムシの生態などが紹介され、後半は奥さんとともに採集で訪れたタイ、台湾、西表島や、パラオで農業局害虫防除課に勤めた時に出会った人々が印象深くスケッチ風に書かれています。著者の生物学的自由人の様相が窺われ興味深く読み進めます。この地球にはヒトだけが生きている訳ではないことが自然と感得されます。


#「バッタとイナゴ」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2020-08-18


諸国カメムシ採集記

諸国カメムシ採集記

  • 作者: 高橋 敬一
  • 出版社: ベレ出版
  • 発売日: 2023/01/23
  • : 単行本

nice!(27)  コメント(6) 
共通テーマ:日記・雑感

詩の可能性 [読書]


 現代詩との出会いは、30代の詩人・田村隆一が書き、10代のわたしが脳裏に刻んだ詩句・・・



   雪のうえに足跡があった

   足跡を見て はじめてぼくは

   小動物の 小鳥の 森のけものたちの

   支配する世界を見た

   たとえば一匹のりすである

   その足跡は老いたにれの木からおりて

   小径を横断し

   もみの林のなかに消えている

   瞬時のためらいも 不安も 気のきいた疑問符も そこには

   なかった


   また一匹の狐である

   彼の足跡は村の北側の谷づたいの道を

   直線上にどこまでもつづいている

   ぼくの知つている飢餓は

   このような直線を描くことはけつしてなかつた*

                    (後略)



 しかし 16年が経って、田村隆一は詩集『誤解』(集英社1978年刊)に書き付けます。



   ぼくの不幸は抽象の鳥から

   はじまった

   その鳥には具象性がなかった

   色彩も音もなかった

     (中略)

   ぼくは幻を見る人ではない

   幻を見たかつただけだ

   空から小鳥が墜ちてくる

   この空も

   あの小鳥も

   抽象にすぎない

   空と小鳥が抽象だつたのは

   ぼくの不幸だ

   不幸を大切にする以外に

   ぼくにはぼくの生を見つけることができなかつた

   不幸が抽象性からぬけ出して

   色彩と音を生み出してくれるまで**

       



 人が青年から壮年に変化してゆく過程が語られています。確かに多くの青年の不幸は抽象的なものだと、振り返ることが出来るかも知れません。では壮年の具象的で具体的な生活の中で、詩を書き続けることは可能なのでしょうか? 田村は 1980年刊行の詩集『水半球』(書肆山田)では・・・



   坂口謹一郎博士に

   「何處へ行くかわれらの酒」

   というエッセイがある

   

   酒の行方も分らないくらいだから

   詩の行方だって分かりようがない

   古代の濁り酒は

   米を口中にふくみ乙女の唾液で発酵させたそうだ

   晩秋初冬


   信濃川と魚野川の合流するところ

   小千谷(おじや)の町があって

   その古い町並を歩いていたら


   西脇商店という小千谷ちぢみの

   老舗があって大番頭さんから名品を見せてもらった

   値段のつけようもない反物で


   原料は苧麻(からむし)の靭皮からとった

   青苧(あおそ) その糸も乙女の唾液で横糸と

   縦糸とが生れるという


   われらの詩は神の唾液か

   悪魔の唾液か

   大量殺戮の時代に生れあわせたわれらの詩には


   乙女の唾液はもったいない

   何處へ行くかわれらの死***



 こんな自嘲的な詩句が載せられています。56歳の詩人の苦闘です。和歌、短歌、俳句ではなく、詩が表現する世界が、世間でそれなりの領域を占め得ているのか、今は疑問です。島崎藤村の『若菜集』から 120年しか経っていませんが、詩人たちはどこにいるのでしょう。



*  詩集『言葉のない世界』1962年刊「「見えない木」

** 詩集『誤解』1978年刊「物と夢について」

***詩集『水半休』1980年刊「何處(いずこ)へ行くかわれらの詩」


#「詩人のたそがれ」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-09-11


田村隆一詩集 (現代詩文庫 第 1期1)

田村隆一詩集 (現代詩文庫 第 1期1)

  • 作者: 田村 隆一
  • 出版社: 思潮社
  • メディア: 単行本

nice!(17)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感