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2024年の「この3冊」 [読書]


 毎年、歳末になると毎日新聞では「この3冊」と題して、書評者が今年出た本から3冊を選んで紹介してくれます。書評者は36人いるので重複を引いても、取り上げられる本は100冊程にもなります。色々な分野の専門家の推薦文を眺めながら、今年はこんな本が出版されたのかと、いろんな分野に関心が惹かれます。



 また、好みの書評者が今年はどんな本を3冊に挙げるのかも楽しみです。まず詩人の荒川洋治が野口冨士男『散るを別れと』(小学館)を紹介しているのが目に止まりました。ラフカディオ・ハーンの奥さんの小泉節子とか斎藤緑雨などにまつわる小説のようです。荒川洋治は <事実の深みを映し出す、著者中期の名編> としています。野口冨士男は以前、『なぎの葉考』という短篇小説を読んで絶品と思った覚えがあるので、早速、読んでみることにしました。



 昨年読んで目からウロコの思いをした人口・家族人類学者のエマニュエル・トッドの新刊『西洋の敗北』(文藝春秋)を佐藤優が推薦していて、これにも食指が動きます。佐藤優は <・・・キリスト教的価値観が完全に崩壊し、宗教ゼロの状態になってしまった欧米諸国がロシアに敗北する必然性について説得力のある説明をしている。> と書いています。


西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか (文春e-book)

西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか 

  • 出版社: 文藝春秋
  • 発売日: 2024/11/08
  • メディア: Kindle版

 また2年前に読んで楽しめた『ワルシャワで大人になっていく少年の物語』の著者・アイザック・B・シンガーの小説『モスキット一族』を辻原登と沼野充義の二人が賞賛しているのが目につきました。ただこの本は6600円もするので、まあいいかとスルーします。



 もうひとつは自分が今年読んで面白かった本を誰かが選んでいないか? というのにも関心があります。うれしいことに、わたしが今秋に読んだ辻原登『陥穽 陸奥宗光の青春』を張競さんと湯川豊さんが選んでいました。そうですよね、いい本ですよね、と相槌を打ちたい気持ちになりました。



 毎年ここに出て来た本を本選びの参考にもしているので、また本を読む楽しみが来年にも続きそうです。大したことも考えず、音楽を聴いたり、本を読んだり、徘徊したりのご気楽な暮らしが身についてしまっているようです。




なぎの葉考・少女 野口冨士男短篇集 (講談社文芸文庫 のC 3)

なぎの葉考・少女 野口冨士男短篇集 (講談社文芸文庫 )

  • 作者: 野口 冨士男
  • 出版社: 講談社
  • メディア: 文庫

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ベストセラーで見る時代 [読書]


 紀伊國屋書店のオンラインに好みの著者名を登録しておくと、新刊が出ると知らせてくれます。以前はよく本屋さんに行っていたので、自分で好みの著者の本をチェックしていたのですが、最近は書店で時間をつぶす機会が減ったので、メールでの通知は助かります。



 先日は、関川夏央『砂のように眠る 私説昭和史1』(中公文庫)というのを知らせてくれました。関川夏央は昭和24年新潟県生まれの文筆家で、わたしは1990年代から、彼の正岡子規、二葉亭四迷、山田風太郎などについての評論や昭和戦後期に関する論考などを面白く読んできました。今回のは1993年に新潮社から出版した本の文庫版です。



 内容は戦後に流行った本・・・無着成恭『山びこ学校』、石坂洋次郎の小説、安本未子『にあんちゃん』、小田実『何でも見てやろう』、高野悦子『二十歳の原点』、田中角栄『私の履歴書』についての論述と、その間に、それらの本が出た頃の自分を振り返るような短篇小説が挟まれているという変わった構成になっています。



 ここに挙げられている”流行った本”をわたしが一冊も読んでいないのには、ちょっと驚きました。ベストセラーは手に取りにくいというわたしの習慣のせいなのでしょう。



 山形県で中学生に生活綴り方を指導し『山びこ学校』として出版(1951年)した無着成恭は、村の貧乏を世間にさらしたと批判され、村を追われたそうです。後に彼はラジオの「こども電話相談」でも知られるようになり、わたしも車のラジオで耳にした覚えがあります。



 小学生の時に映画になった『にあんちゃん』を隣町の映画館で観たのを憶えています。九州の炭鉱町の暮らしなど、子供なりに印象が強かったのでしょう。監督 今村昌平、助監督 浦山桐郎で、殿山泰司、小沢昭一、西村晃、北林谷栄らが出演しているので、人間味に溢れた画面だったのでしょう。大人になってからテレビでも観た憶えがあります。長兄が日記を出版(1958年)してくれたお蔭で、”にあんちゃん(次兄)”は慶応へ、未子さんは早稲田へ進学でき、現在もご健在だそうです。


にあんちゃん 十歳の少女の日記 (講談社文庫)

にあんちゃん (講談社文庫)

  • 作者: 安本末子
  • 出版社: 講談社
  • メディア: Kindle版

 高校生時代に友人が『何でも見てやろう』(1961年)が面白いと言っていた表情が脳裏に浮かびます。1日1ドルでの世界旅行記です。当時、毎日顔を合わせていた仲でしたが、卒業後は付き合いが無くなり、彼がどんな大学時代を過ごしたのかは分かりません。「OH ! モーレツ」の時代に保険会社に就職し、若くして脳卒中で倒れ、数年前に亡くなったと知りました。わたしは雑誌などで小田実の文章は読んだのでしょうが、結局、本を買った記憶はありません。



 家内は結婚してから『二十歳の原点』(1971年)を読んだそうです。これは1969年に自死した京都の女子学生の日記を父親が出版したものです。時を追って彼女が思考の罠に絡め取られていく様子が感じられ、誰か大人が傍に居てやれなかったのかと残念に思われます。出版した父親の悔しさが推察されます。家内は知人に同様の人がいて、この本を読んで何となくその人のことが理解できたような気がしたそうです。



 後の方に挟まれた短編小説は、関川夏央の二十歳のスケッチなのでしょう。誰にとっても二十歳を生き延びるのは危険な峠道なのでしょう。あとがきで著者もやはり、これらのノンフィクションは出版時には読まなかったと書いていました。後に自分が育った戦後という時代を振り返る資料として読み、それぞれに興味深かったようです。


#「わたしの昭和30年代」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2024-01-13


砂のように眠る-私説昭和史1 (中公文庫 せ 9-4)

砂のように眠る-私説昭和史1 (中公文庫) 

  • 作者: 関川 夏央
  • 出版社: 中央公論新社
  • 発売日: 2024/11/20
  • メディア: 文庫

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主人公の生誕地 [読書]


 先日、散歩のおりに、和歌山城から南へ五百メートルほど歩いて、吹上3丁目まで行ってみました。いつもは車で通り過ぎる場所ですが、この間から読んでいた小説『陥穽 陸奥宗光の青春』(辻原登)の主人公が生まれた所です。


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 陸奥宗光は天保15年(1844)に伊達宗広の6男として此処で生まれたそうです。父・宗広は本居大平に国学を学んだ人で、藩主・徳川治宝に取立てられ、勘定奉行として藩の財政改革に取り組みましたが、治宝の死後に失脚し、幽閉されました。宗光が8歳の時です。



 宗広の妻子は城下から所払いとなり、紀ノ川の上流、高野山麓に追いやられました。その地で、宗光は高野山で学ぶ機会を得、学僧として江戸へ派遣され、そこで桂小五郎や伊藤博文らと出会うこととなり、運命が開けます。



 彼は勝海舟の海軍操練所で学び、そこで出会った坂本龍馬の海援隊に加わり、幕末の動乱を生き抜きます。



維新後、明治10年(1877)には西郷隆盛らによる西南戦争に乗じた土佐・立志社の政府転覆計画に加わり投獄されます。



 明治16年、伊藤博文らの計らいにより特赦を受け出獄した後、ヨーロッパへ留学し、立憲政治や外交政策を学びます。帰国後は駐米公使や外務大臣となり、「カミソリ大臣」と評された外交手腕を発揮し、幕末に列強との間に交わされた不平等条約の改正を成し遂げました。



 小説を読み終えて主人公の出生地に立つと、幕末から明治にかけての、佐幕か勤王か、攘夷か開国か、新しい政治体制をどう築くかという混迷の時代を生きた人物のドラマが幻のように蘇ります。


#「幕末から明治への物語https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2024-10-27

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秋の蕪村 [読書]

 

 今年の秋は暑い日が続き、やっと気温が下がったかと思えば曇りや雨で、秋晴れの日が少ないようです。以前『蕪村句集』*の「夏之部」を読んだので、11月になり「秋之部」を見ることにしました。与謝蕪村の表現した秋が楽しめます。既に教科書などで見知っている句も、注釈などによって色々に感じ方が変わります。


 

   山は暮(くれ)て野は黄昏(たそかれ)の薄(すすき)(かな)


  暮れ残るススキ原の風景でしょう。いつの間にか、すっかり秋になったという感慨が出ています。何ともない句ですが、「山は暮て」が効いているように思います。



   小狐(こぎつね)の何にむせけむ小萩はら


 狐は昔から、「コン、コン」と啼くのでしょうか。それを何かにむせたのかとシャレて詠んだ趣きがあります。花の香にでもむせたのか。蕪村には童話のような句があります。


   

   白露や茨(いばら)の刺(はり)にひとつづゝ


 観察なのか、想像なのか? 朝の冷たい空気のなかに、白露が並んでいる様子を「ひとつづつ」と描くテクニックに上手いな〜と感嘆します。この句について、一門の輪講会で河東碧梧桐は「厭味(いやみ)がある」と言っています。想像で作ったわざとらしさを感じたようです。記録**には高浜虚子は「面白い句だ」と附記し、正岡子規は「虚子君の附記に賛成」と書いています。


   

   夜の蘭(らん)(か)にかくれてや花白し


 夜に蘭が匂っていて、よく見ると白い花がある。頭注では風蘭・白蘭(しろばならん)とあります。鉢植えなのでしょう。蕪村はよく花を詠んでいますが、それぞれ工夫を凝らしています。


   月天心貧しき町を通りけり


 蕪村を代表するような句です。頭注には「月光による俗界の美化がねらいで、これも離俗の句」とあります。輝かしい月と夜更けの貧しい町との対比が鮮やかです。「月天心」という言葉は宋詩「月至天心処」(邵康節)に由来するそうです。




   去年より又さびしいぞ秋の暮


 年寄っていく者の素直な気持ちなのでしょう。「ぞ」にユーモアがあり救われます。




   身の秋や今宵(こよひ)をしのぶ翌(あす)もあり 


 頭注では和歌の「長らへばまたこの頃や忍ばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき」(藤原清輔)を俳諧的に要約したもので、娘の離婚問題を抱えていた頃の作かとあります。俳人も世間のしがらみから遁れられた訳ではなさそうです。




   門(もん)を出(いづ)れば我も行人(いくひと)秋のくれ


 「行人」は旅人の謂なのでしょう。枯野をかけ巡った芭蕉への想いと、日暮れて道遠しの感慨が入り混じっているように思います。



 こうして見ていくと「夏之部」の句に比べ、活気が低下している印象があります。秋という季節の影響なのでしょうか? 冬になればどうなるのか、来年1月頃には「冬之部」も読むことにしましょう。『蕪村句集』というのは、天明四年(1784)蕪村一周忌にあたり、門人の高井几董が蕪村の868句を四季に纏めて刊行したものです。



 また、明治31年(1898)から5年間にわたって、正岡子規一門が『蕪村句集』を輪講し、その記録**を雑誌「ホトトギス」に連載、その後、刊行しています。一句ごとに、それぞれの人の解釈や意見が記されていて、面白い読み物になっています。



『新潮日本古典集成 璵謝蕪村集』(新潮社)

**内藤鳴雪・正岡子規・高浜虚子・河東碧梧桐ほか著『蕪村句集講義3』(東洋文庫 平凡社)




蕪村句集講義3 (東洋文庫)

蕪村句集講義3 (東洋文庫)

  • 出版社: 平凡社
  • メディア: 単行本

   

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幕末から明治への物語 [読書]


 若い頃、「面識のない人との会話では、政治とスポーツの話題は避けること」という話を聞いて、なるほどと思った記憶があります。お互いの支持政党やひいきチームを知らないで、迂闊な事を言うと相手の気分を害することがあります。



 そういう意味では先週末から、野球の日本シリーズとワールド・シリーズが始まり、総選挙があったり、扱いにくい話題が続いています。



 それはさておき、今年は秋になっても、曇ったり雨が降ったり不順な天気が続いています。先日は晴れ間をぬって、散歩のついでに、和歌山城の隣の公園にある陸奥宗光の銅像を見学してきました。今ちょうど、辻原登『陥穽 陸奥宗光の青春』(日本経済新聞出版)という本を読んでいるところです。


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 幕末から明治にかけてを生きた紀州人・陸奥宗光の伝記小説で、勝海舟、坂本龍馬、桂小五郎、横井小楠などとの交流が政情の変転とともに、詳細に興味深く描かれています。小説による近代史といった趣きがあり、歴史に疎いわたしには勉強になります。



 和歌山に住んでいると、以前から「陸奥宗光」という名前は銅像ばかりではなく、生誕地とかいろいろな所で目にしていたのですが、あまり興味もなく、何年か前に岩波新書で名前を見かけた時にも、読んでみようかとも思ったのですが、そのままになっていました。



 今回、物語りの上手な辻原登が取り上げたので、これは読んでみようとすぐに思い、読み始め、まだ半分ほどしか進んでいませんが、なかなか良く出来た小説だと毎日の読書を楽しみにしています。



 物事に対する関心も、何かの”きっかけ”が必要なようです。ワールド・シリーズも山本由伸投手や大谷翔平選手が居なければ、テレビ観戦することも無かったでしょう。




陥穽 陸奥宗光の青春 (日本経済新聞出版)

陥穽 陸奥宗光の青春 (日本経済新聞出版)

  • 作者: 辻原登
  • 出版社: 日経BP
  • 発売日: 2024/07/18
  • メディア: Kindle版

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ドン・キホーテって誰? [読書]


 7月中旬から『ドン・キホーテ』を読んでいましたが、先日、前篇を読了しました。ここまでは半世紀前、大学生の頃にも読んでいたのですが、今回は後篇も読み通すつもりだったのですが・・・やっぱり、ここで止まってしまいました。



 読み出して覚えていたのはドン・キホーテが風車に挑みかかる場面くらいで、あとは全く記憶にありませんでした。そもそも物語は二重構造になっていたのでした。



 中世の騎士道物語を読みすぎて、物語の世界に入り込んでしまったドン・キホーテが、サンチョ・パンサを従え、遍歴の旅に出かけ、行く先々でトラブルを引き起こすドタバタ喜劇(現実的なサンチョ・パンサとの掛け合いが絶妙)の間に、旅先で出会った人びとが中心となる恋愛話や冒険譚が劇中劇のように挟まれています。一見、ドン・キホーテは劇中劇のための狂言回し役とも言えます。



 400年も前の小説ですが、イスラム教徒とキリスト教徒の諍いや、地中海の海賊など現代につながる話題もあります。そしてこれは、妄想に取り憑かれた人が惹き起こす喜劇ですが、周りの人々にとっては悲惨な災難であり、また一面、理想を実現しようと奮闘する人の悲劇とも読むことができます。



  また、今の生活から抜け出したい一心で、ドン・キホーテに従う ”世知に長けた” 近代人サンチョ・パンサの滑稽と悲惨も心に残ります。



  こうして眺めてみると、例えば「寅さん」が小型のドン・キホーテのようにも見えてきたりします。子供から大人まで、いろいろに読め、楽しめる多面的な物語です。



 しかし、やっぱり長い、いくら時間があるといっても 400年前のペースに半年付き合うのは息が続きませんでした。後篇はまたの機会に致しましょう。



#「ラ・マンチャの男」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2024-07-30

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元禄の秋 [読書]


 『古句を観る』という文庫本があります。柴田宵曲という人が、江戸時代・元禄期(17世紀末頃)の有名でない人の、有名でない俳句を集め、歳時記風に並べて、一句ごとに思うところを書き付けたものです。



  夕すみ星の名をとふ童かな (一徳)



 元禄の子供も星の名前に興味があったのかと驚きます。平安時代の『枕草子』に・・星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。・・とあるくらいですから、いくつかの星に名前が付いていたのでしょう。



  庭砂のかわき初(そめ)てやせみの声 (北人)



 雨がやんで、土が乾きはじめると、一斉にセミがなき出す。近代俳句の観察を先取りしたような趣きがあります。



  深爪に風のさはるや今朝の秋 (木因)



 目にはさやかにみえねども、深爪の傷にさわる風に、秋を感じるという訳です。元禄の人はどんな道具で爪を切ったのでしょう?



  木犀(もくせい)のしづかに匂ふ夜寒かな (賈路)



 「しずかに匂ふ」という言葉は平凡そうで、なかなかしっくりとした表現です。秋の深まりが感じられます。ここに出てくる作者の名前は聞いたことも見たこともない名前ばかりです。



  秋の日や釣する人の罔両 (雲水)



 「罔両」は「かげぼうし」と読むのかと著者は記しています。魑魅魍魎(ちみもうりょう)の魍魎です。辞書には山川木石の精霊のこと、うっすらとした影などとあります。鮎釣りでもしているのか、秋の空気を際立たせています。



  手のしはを撫(なで)居る秋の日なたかな (萬子)



 <人生の秋に遭遇した者の経験しやすい心持なのかも知れぬ > と著者は書いています。この本は昭和18年に出ているので、柴田宵曲は45歳くらいだったはずです。わたしも最近、手や腕に細かいシワが増えたなぁと眺めることがあります。



 こうして本を繰っていると、300年前の人々の感性が身近に感じられます。芭蕉、其角、去来といった有名な俳人とはまた違った親しみやすさがあります。柴田宵曲は正岡子規門に連なる人なので、彼の目にとまった句を集めているので、選択にはそれなりにバイアスがかかっているのでしょうが、元禄のころの人々の雰囲気が味わえる一冊です。




古句を観る (岩波文庫 緑 106-1)

古句を観る (岩波文庫 緑 106-1)

  • 作者: 柴田 宵曲
  • 出版社: 岩波書店
  • 発売日: 1985/10/16
  • メディア: 文庫

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夢と世界 [読書]


 眠りが浅いせいか、夢をよく見ます。たいてい困った事態に陥り、どうしようという時に目が覚めます。



 それでふと思ったのですが、カフカの小説『変身』は、ある朝、夢から目を覚ますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっていた、と始まります。つまりこれは夢と日常を入れ替えた仕掛けになっています。目が覚めて夢が始まる。あるいは、夢の続きを生きる。そういえばカフカの小説は『審判(訴訟)』も『城』も夢の世界に迷い込むような雰囲気です。



 カフカ(1883-1924)はチェコで生まれたドイツ語系のユダヤ人です。当時、お隣りのオーストリア・ウィーンには、夢判断や精神分析を始めたフロイト(1856-1939)がいましたが、彼もユダヤ人でした。



 夢に意味を見つけ、夢の世界に入り込むことで人の現況を理解しようという素地が、彼らの社会に根付いているのでしょうか? 



 わたしの場合、夢はそんなに長いものではなく、一幕物のようです。思いがけない昔の知人が出てきたり、どこか行ったことがあるような場所が舞台です。仕事に関係した状況が多いようで、しかも事がうまく運ばないのが定番です。カフカとは違って、目覚めたとき、夢で良かったと安堵します。途中覚醒して、また眠ると、夢の続きは見ないようです。



 目が覚めてから、夢のような事態が起これば、困り果てます。カフカの小説の主人公のように途方にくれることでしょう。先日読んだのは彼の『流刑地にて』という短篇でした。何処か島にある流刑地で、特殊な装置による処刑に立ち会うことになる旅行者の話でした。思わぬ事態の進展で、いつ誰が処刑されるのか、だんだん不安になります。



 カフカの小説のような夢は願い下げです。しかし、世界は理不尽な事が多く、カフカの小説のようだと感じれば、やはり虫にでも変身するしかないのかも知れません。




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ラ・マンチャの男 [読書]


 世界で最も有名な物語・小説の主人公は、ドン・キホーテかも知れません。ロビンソン・クルーソーとかガリバー、また古くは光源氏もいますが、世界的な知名度としてはドン・キホーテが上でしょう。



 ほかに誰かいないだろうか?と頭を巡らしても、思い浮かびません。ウェルテル、アンナ・カレーニナ、トム・ソーヤ・・・とてもドン・キホーテには敵わないでしょう。劇ではハムレットがいますが、シェイクスピアと『ドン・キホーテ』の作者・セルバンテスは同時代人で、奇しくも同じ 1616年に亡くなっています。



 当時、スペインで出版された『ドン・キホーテ』は広く読まれたそうで、英語にも翻訳されたのでシェイクスピアも読んだ可能性があるそうです。



 わたしは大学生の頃に新潮社版(堀口大學訳)で読んだのですが、それは前篇だけの翻訳で、『ドン・キホーテ』には後篇もあるとのことで、いずれ読もうと思い、大学を卒業した頃に丁度出版された会田由訳『才智あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ 前篇・後篇』(筑摩世界文學大系15 セルバンテス)を買いました。



 いつか読もうが 50年経って、わたしはとても読む気力も視力も無いのですが、家内はドン・キホーテを読んだことがないので、今回、家内が朗読しようということになりました。家内は以前に観た松本幸四郎が演じるミュージカル『ラ・マンチャの男』のイメージがあるようです。



 三段組で 679ページある重い本なので、果たして読了出来るかどうか分かりませんが、3週間程前から一日5ページ程ずつ読み始めました。半年位の予定ですが、 17世紀の古い物語なので、いつ飽きるか、また前篇で止まらないか? 家内は「なんか幸四郎とは違うわね」と言っています。ドン・キホーテに比すべき無謀な試みですが、今のところ、昼寝前の読み聞かせとして続いています。


#「本棚で待っている本」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2022-06-20


筑摩世界文学大系 15 セルバンテス

筑摩世界文学大系 15 セルバンテス

  • 出版社: 筑摩書房
  • 発売日: 1972/06/01
  • メディア: ペーパーバック

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自然と人の物語 [読書]


 振り返ってみると、わたしは「自然」というものには余り関心がないようです。星座とか宇宙の起源とか天体現象に強い興味を持ったことはなく、星座盤を買った覚えがあるのですが、星空を観察した記憶はありません。星座盤は宮沢賢治の影響だったかも知れません。



 子供の頃は蝉採りくらいはしましたが、昆虫採集はしなかったし、犬や猫を可愛がったこともありません。30歳代に植物図鑑を買って車に積んでいましたが、植物好きだった叔父の影響だったのでしょう。



 海や川や池で魚を釣ったりする趣味もありません。40歳代に毎週のように、家族であちこちの池や湖でバス釣りをした時期があり、諏訪湖や河口湖にも出かけましたが、長男が一時バス釣りに熱中していたせいです。長男が家を出ると、もう誰も釣りはしませんでした。



 山を眺めるのは好きですが、登るのは苦手です。一度、家族で伯耆大山に登ったことがあり、山頂からの日本海の眺めは良かったですが、下山時に膝が効かなくなり苦労しました。以後、山登りはしていません。森の中にいると気分がいいのですが、道を蛇が横切ると引き返したくなります。わたしの自然との関わりはこの程度で、山麓をドライブし、深田久弥『日本百名山』を読むくらいのことです。



 自然には関心が少ないのですが、人間には興味があります。「人間の自然」というのも自然の一部なのでしょうが、こころを含めての人間の有り様にはいつも関心を持っています。ヒトにはどんな側面や可能性があるのかを知りたいという欲求です。



 こんな事を考えたのは、高橋敬一『「自然との共生」というウソ』(祥伝社新書)という本を読んで、ごもっともと思う以外に、感想が思い浮かばなかったからです。著者は <「共生」とは郷愁の命じるまま新しい時代を古い時代へと引き戻すことではなく、むしろ親しいものを永遠に失うことの痛みに耐えながら、得体の知れない新しいものを受け入れていくことだ。> と述べていました。



 ヒトは基本的に他の生物と同じように、「ヒトの自然」を生きていて、外界とは緊張関係にあり、気温、酸素濃度、感染・疾病・遺伝情報、食うー食われる、子孫を残すなどの条件の下で暮らしていると思っているので、著者の「自然との共生」への疑問には、そうですねと同感するばかりでした。



 ♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川♪ と自然との共生の想いにひたるのは、誰しもふとおちいる感慨ですが、ヒトにとって外界は常に反応しなければならない刺激です。



 とはいえ、人は山、川、犬、猫などと外界に名前を付け、星を結んで星座を作り、弘法大師の掘った井戸、西行が休んだ柳などと伝説を生み出し、世界創造神話のように、自然を物語として取り込んで生きてきたので、自然環境改変の現状に「自然との共生」という物語が形成されるのも人間の有り様の一面だろうと思えます。



 物語といえば、6600万年前の巨大隕石との衝突によって、恐竜が絶滅し、哺乳類が誕生したというのも、生物を支配しているのは遺伝子であるというのも、現代の神話といえるのかも知れません。



#「カメムシとヒト」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-10-13


「自然との共生」というウソ (祥伝社新書)

「自然との共生」というウソ (祥伝社新書)

  • 作者: 高橋敬一
  • 出版社: 祥伝社
  • 発売日: 2013/11/15
  • メディア: Kindle版

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