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人のやちまた [読書]


 3月ほど前、山田稔『メリナの国で』という旅行記を読んだおり、同書を出版した「編集工房ノア」というのが気になって調べていると、足立巻一という名前に出会いました。足立巻一(1913-85)は 1982年に『虹滅記』(朝日新聞社)という自らの祖父である漢詩人・敬亭のことを書いた本を出しており、大変面白かった印象が残っていました。



 そういえば足立巻一には『やちまた』(河出書房新社1974年刊)という大著があって、当時、書店で見かけましたが、太い本だなと素通りしたのを思い出しました。ためしに「日本の古本屋」で検索してみると、新装版というのが手頃な値段で有りました。(上・下)2巻で 893頁でした。少しひるみましたが、『虹滅記』の著者なので間違いは無いだろうと読み始めました。



 『やちまた』は本居宣長の長男で盲目の国学者・春庭(1763-1828)を中心として、伊勢・松阪を舞台として宣長、妻・壱岐、妹・美濃などを配し、平田篤胤の動きなど江戸時代後期の国学界の動きや、研究課題が史伝として記述されると同時に、著者が春庭に生涯にわたる関心を持つに至った神宮皇學館での学生生活などが、級友や教師との交わりを通してほのぼのと描かれていました。



  < 白江教授の文法学概論の時間であった。(中略)/黒板には「本居春庭もとをりはるには)」「詞(ことば)の八衢(やちまた)」「詞(ことば)の通路(かよひぢ)」という文字が、三行に書かれていた。(中略)/「・・・二十九歳(寛政三年)のころから眼病を患い、悪くなるいっぽうであった。尾張馬島の眼科医をたずねて治療を受けたが、はかばかしくなかった。当時における宣長の心痛は『本居宣長翁書簡集』に見えている。(中略)三十二歳(寛政六年)のときにはまったく失明した。(後略)」> 



 盲目の春庭がどのようにして日本語における四段活用とか下二段活用といった「動詞活用の法則」や「動詞の自他の区別」という文法上の発見をなし、『詞の八衢』、『詞の通路』という二書に纏められたのかが探られていきます。当時の書簡のやりとりの分析から国学者たちの動静や意見を分析したり、資料を整理している過程で、屏風の下張りから草稿が見つかったり、大量の語彙カードが発見されたりするなど、探究の道筋が詳細に記載されます。その間には著者の戦争体験や戦後の教師生活などが織り込まれ、物語は複合的に展開してゆきます。



 足立巻一は 1913年東京生まれですが、早くに父を失い母が再婚したため、祖父母に引き取られます。祖母も他界し、8歳の時、漂泊のなか祖父・敬亭も長崎の銭湯で急逝し、神戸に住む母方の叔父に育てられました。関西学院中学での恩師の母校である神宮皇學館への進学、そこでの本居春庭との出会いへと継ながってゆきます。



 ちなみに「やちまた」とは、道が多岐に分かれている所」といった意味で、「詞の八衢」は言葉が活用によって変化する様を表したものでしょう。また、足立巻一の「やちまた」という書名は著者の春庭に関わった人生の日々への感慨が込められているのでしょう。



 大部な本ですが、春庭をめぐる歴史上の人々や、足立巻一に関わる友人や研究者がそれぞれ彫り深く描かれ印象的で、春庭の史伝と著者の個人史が織物のように織り込まれた読み応えのある書物でした。





やちまた(上) (中公文庫プレミアム)

やちまた(上) (中公文庫プレミアム)

  • 作者: 足立 巻一
  • 出版社: 中央公論新社
  • メディア: 文庫

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