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食べる話 [読書]

  こんなに面白い本はそんなにないだろうと思えるほど楽しめる本です、嵐山光三郎『文人悪食』(マガジンハウス)。最初が夏目漱石、森鷗外、幸田露伴と続くので、少し重いかなと、うしろから読むことにしました。「あとがき」には <「近代文学史を料理によってたどってみよう」という壮大な構想にたどりついた。>と書いています。


 一番最後は三島由紀夫です。 <料理好きの母に育てられた虚弱体質少年は、拒食症的性向になった。「食べろ、食べろ」と言われると、それが強迫観念になって、ますます食べるのが嫌になる。義務として、あたかも、宿題をこなすように食べる。三島氏が誇らし気に、「朝食に四百グラムのビフテキを食べた」と言ったときも、そういった意識の延長があった。おいしいから食べるのではなく、テーマとして食べるのである。>


 次が池波正太郎。 <浅草生まれの池波さんは、小学校を卒業すると兜町の株式仲買店の少年社員として働きに出て、・・・(中略)資生堂パーラーには池波少年と同じ年ごろの坊主頭の少年給仕がいた。白い制服に身をかためた少年給仕はぎこちなく注文をきいた。二度目に行ったとき、少年給仕は「マカロニ・グラタンいかがですか ?」とすすめた。三度目は「ミート・コロッケがいいです」とすすめた。池波少年は、すすめられるままの料理を食べた。足かけ三年ほどの間、少年給仕の山田君との交友がつづいた。三年目のクリスマスの晩に池波少年は、岩波文庫の『足ながおじさん』を買って、「プレゼント」と言って渡した。すかさず、山田少年も小さな細長い包みを「ぼくも!」と言ってよこした。テーブルの下で包みを開けてみると「にきびとり美顔水」が入っていた。>


 そのあとは、深沢七郎、檀一雄と続きます。著者が日常的に付き合った人たちだけに、微細で興味深いはなしの連続です。 この本は 1997年3月刊行で、その年の 11月27日に八重洲ブックセンターで購入しています。多分、新幹線の座席で拾い読みしただろうと思います。


 過去の手帳を繰ってみると、その時、集会があって東京に出かけ、その年、大学に入って国分寺に住んでいた長男に久しぶりに会っています。「ちゃんと食べているんだろうか・・・」と思いながら帰宅しました。あの時の本なのかと蘇りました。しかし、本の内容は読んだことがあるのかどうか、思い出せません。



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マスクの茂吉 [読書]

 山本健吉『句歌歳時記 春』(新潮社)を眺めていると、斎藤茂吉のこんな歌が目に止まりました。


  冴えかへるこのゆふまぐれ白髭(しろひげ)に

        マスクをかけてわれ一人ゆく 『霜』


  うづくまるごとく籠りて生ける世の

        はかなきものを片附けて居り 『白桃』


  よる深くふと握飯食ひたくなり

        握めし食ひぬ寒がりにつつ 『赤光』


  こうして歌を並べてみると、なんともいえない人間の味が、巧まぬユーモアと伴に滲み出てきます。茂吉といえば・・・


  のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて

        垂乳根の母は死にたまふなり

 

  最上川逆白波(さかしらなみ)のたつまでに

        ふぶくゆふべとなりにけるかも


 といった絶唱が思い浮かびますが、彼は鰻の蒲焼が大好物だったことも知られています。息子の茂太の縁談がまとまったとき、両家の顔合わせの席で、緊張した婚約者が食べ残したウナギを茂吉は「それを私にちょうだい」と言って食べてしまったそうです。(嵐山光三郎『文人悪食』マガジンハウス)


  最上川に住みし鰻もくはんとぞ

        われかすかにも生きてながらふ (昭和20年)






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名草山だより   [雑感]

 治療も第3クールが終わりました。気持ちもそれに連れて変化するのには驚きます。第1クールの時は、こんなにシンドくて、食べられないのが6ケ月も耐えられるかなと悲痛な気分に陥りましたが、第2クールになると、最初の4−5日を乗り切ればなんとかなると達観するようになりました。


 第3クールになると、数日前から待ち遠しくなり、薬が入れば病気をヤッツケられると治療が楽しみになります。思いもしなかった変化です。シンドさや食欲低下も慣れのためか軽減しているようです。投与2日目の夜に毎回、頑固なシャックリが続くのが困りますが、冷水を飲めば一時的に止まります。今後、そのクール毎に気持ちがどんな風に変わっていくのか、面白いものです。


 桜の季節になりましたが、わが家の裏山は名草山といいますが、わたしがこの辺りに住むようになった五十年程前は、山の上半分には樹木が有りませんでした。奈良の若草山のように山焼きをしているのだと思っていましたが、そうではなく、何年か毎に花見客が火の不始末で山火事を起こしたのだそうです。以後、花見時期には入山禁止になっているようです。


  名草山言(こと)にしありけりわが恋の

     千重の一重も慰めなくに (万葉集巻七ー1213)



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南紀の風光 [雑感]

  16年ほど住んだ南の町を引き上げて、旧居にもどることにしました。南国では陽光が明るく、空の色を写して晴れた日には海はライト・ブルーです。何よりも温暖で体がのびのびします。


 食べ物は魚介類が豊富で、カツオやマグロの刺身、イカの一夜干し、クエや赤ッポの鍋などが街中の店で手軽に食べられます。マーケットでは時々、マンボウも売っており、塩・胡椒をして焼くと焼き鳥のような食感です。


IMG_1957.jpg


 人柄は概ね大らかで、開放的で話好きです。南方熊楠の屋敷が残り、合気道の創始者・植芝盛平の生まれたところでもあります。岡の上の高山寺には二人の墓石が海に向かって立っています。また源平合戦にゆかりの闘雞神社があり、JR駅前では薙刀を持った弁慶の銅像が出迎えます。



  雨にけふる神島を見て紀伊の國の生みし南方熊楠を思ふ(昭和天皇)


 神島(かしま)は田辺湾内にある小島で、昭和4年に熊楠が天皇を案内した島です。歌は三十数年後、天皇が白浜から神島を眺めた折のものだそうです。


 白浜(牟婁の湯)との関わりでいえば、658年、有間皇子が「磐代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた還り見む」と悲痛な歌を残した松林の雰囲気も残っています。その海辺を後鳥羽上皇の熊野詣に随従した藤原定家が通ったのはその 543年後です。


 南国の風にすっかりなじんで仕事ができたのは、何と言っても人間関係の親密さによると思われます。大都会から充分に離れていて、地方都市はお互いに顔や家族が見える範囲内で暮らせる社会です。


 ただ今後、更なる人口減少によって商店や学校などの社会基盤が脅かされる情況が続きます。今回の新型コロナウイルス騒動でも分かるように、一極集中ではなく、分散して暮らせる社会を目指したいものです。




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春風とともに [読書]

   今日から3月ですが、新型コロナウイルス感染がどんなふうに推移するのか、微妙な段階のようです。インフルエンザのように春になれば終息するのか、気候には無関係なのか、手持ちの薬で効くのがあるのか、今月にはある程度の結果が出るでしょう。


 3月の声を聞くといっぺんに春の気分になります。上田敏の訳詩集『海潮音』の巻頭には、ガブリエレ・ダンヌンチオの「燕の歌」があります。その第1連は・・・


  彌生ついたち、はつ燕、

  海のあなたの靜けき國の

  便もてきぬ、うれしき文を。

  春のはつ花、にほひを尋むる。

  あゝ、よろこびのつばくらめ。

  黑と白との染分縞は

  春の心の舞姿。


 森鷗外等による訳詩集『於母影』に続き、『海潮音』は明治38年に刊行され、上田敏は32歳でした。その影響の大きさは後日、「山のあなたの空遠く・・・」と落語のネタにもなったくらいです。


 アンソロジーとしての訳詩集という領域はその後、大正になって永井荷風『珊瑚集』、堀口大學『月下の一群』、西條八十『白孔雀』などが続きますが、日本での新体詩、近代詩の勃興に寄り添っているようです。昭和になると小林秀雄訳 ランボオ『地獄の季節』、堀口大學訳 ボードレール『悪の華』というふうに個人詩集の翻訳になるようです。


  彌生來にけり、如月は

  風もろともに、けふ去りぬ。


 新型コロナウイルスも春風とともに立ち去ってほしいものですが・・・、予防の基本は人に会わないことなので、画一的にではなく、流行地域に限定した一斉自宅待機が有効かもしれません。






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