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観音さん巡り [徘徊/旅行]

 自宅の近くに紀三井寺があります。地元では「観音さん」と呼んでいます。西国巡礼第二番の札所です。50代のころ、ドライブがてら、ハイキングがわりに、西国巡礼を十数ヶ所めぐったことがあります。ほとんどが休日に日帰りで行ける範囲なので、思いついた時に出かけました。


 

 お寺はだいたい普段行ったことのない場所にあるので、地図を見ながら、迷いながらたどり着きます。こんな事でもなければ行くこともない地域なので、新鮮で、ついでにあちこち見て歩き、楽しい体験ができます。また、第四番の施福寺(大阪府和泉市)などは、長い山道を登るので、ハイキングにもなります。



 西国三十三所巡礼は熊野那智の青岸渡寺を起点に"観音さん"をめぐる巡礼です。観音(観世音菩薩)は悟りの世界から降りてきて、三十三身に化現し、手を尽くして人々を慈悲・救済してくれる存在で、十一面観音、千手観音などとして表現されています。*



 いつからそんな巡礼が始まったのかについては諸説あるようですが、巡礼が広まったのには「花山院」伝説が関わっているそうです。そういえば「ふるさとを はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん」という御詠歌も花山院が作ったと聞いたことがあります。これも伝説の一部なのでしょう。


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 花山院(968-1008)は冷泉天皇の第一皇子として生まれ、984年に即位し天皇となりましたが、在位わずか2年で出家し、放浪の旅に出ました。白洲正子は、< 花山院は大変複雑な人間なのである。特に傑出しているとか、和歌に堪能というのではないが、入り組んだ性格の持ち主で、矛盾した行為が多い。実際にも「花山院のくるひ」といって、院の奇行は公卿(くぎよう)達の間でも評判であった。>** と書いています。



 19歳で出家・退位後、花山院は書写山(兵庫県姫路市)に性空上人を訪ね、比叡山で修行したあと、熊野の那智に籠ったそうです。時とともに、人々は悲運の院をさまざまな伝説で飾っていったのでしょう。



 わたしの中断した西国巡礼はあと何ヶ所残っているのか、気ままな小旅行として、札所巡りもいいかと思います。


* 『岩波 仏教辞典』(岩波書店)

** 白洲正子『行雲抄』(世界文化社)


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青い汗 [音楽]

 先日、棚から『ブルースエット』という CDを取り出しました。カーティス・フラーというトロンボーン奏者がリーダーとなったアルバムです。いつ買ったのか以前から棚の隅にありました。『Blue Sweat』・・「青い汗」か、凝った題だなと前から思っていましたが、今回よく見てみると『BLUES-ette』となっていて驚きました。"ちっぽけなブルース"とでもいった感じなのでしょうか、国内盤でカタカナ表記だったので誤認していたのでしょう。



 早とちりというか、思い違いというか、自分で気づくのはまだいいとして、人前で露見すると、それこそ"青い汗"ものです。



  思い返せば、青年時代まで、焼き鳥はスズメだと思っていました。また、カレー粉は「カレーの木」の実を磨り潰したものだと思い込んでいて、家内に笑われました。長い間、「染」という漢字の中の「九」を「丸」と書いていました。



 気づかないだけで、こんな類の間違いは多いのかも知れません。変だなと思っても、黙って見過ごしてくれている場合もあるのでしょう。多かれ少なかれ、だれもが身に覚えがあることでしょう。思い出せば気が滅入ることもあります。



 『ブルースエット』というアルバムは軽快で、楽しく、沈んだ気分を晴らしてくれます。そういえば、ジャズのアルバムには凝った題があって、たとえば、トランペットのクリフォード・ブラウンに『Study in Brown』というのがありますが、ライナー・ノートによれば、英語には「brown study」という言葉があって、「沈思黙考」といった意味だそうです。辞書を見ると「be in  a brown study」で「物思いにふけっている」となるそうです。奏者の名前をひっかけた、シャレた題をつけたものです。







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春日というところ [読書]

 このあいだテレビのニュースを見ていると、奈良の興福寺のお坊さんたちが、隣の春日大社に詣でて、柏手をうち、読経していました。長年の行事とのことで、まさしく神仏習合です。その時ふと思ったのですが、「春日」と書いてなぜ「かすが」と読むのでしょうか? 



 調べてみると、「はるひ(春日)の」は「かすが」という土地の枕詞なのだそうです。「飛ぶ鳥の」が「あすか」の枕詞なのと同じで、枕詞が地名表記になったということです。



 春日大社は 768年、藤原不比等によって建立され、藤原氏の氏神も祀っています。藤原氏はもとは中臣氏で、その前は卜部(うらべ)氏だったそうで、祭祀にかかわる一族だったとのことですが、中臣鎌足より前は謎に包まれています。また鎌足は『大鏡』では、< その鎌足のおとど生まれたまへるは、常陸国なれば・・・ > と書かれているそうです。*



 それと関係があるのか、春日大社は四座の神を祀っていますが、第1が鹿島から、第2が香取から勧請しており、次に祖先の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめのかみ)という順になっています。**



 三笠山の東方、7Kmほどに大柳生という町があります。柳生の南西7Kmほどのところです。白洲正子によれば、この高原盆地一帯を古く「春日」といい、豪族・春日氏の所領であったそうです。大柳生の人々は、春日大社とのつながりが深く、古来、若宮の「おんまつり」には氏子として奉仕するならわしがあるそうです。**

 


 奈良公園には鹿がたくさん群れていますが、鹿は春日大社の神の使いだそうです。これから春にむかって、若草山の山焼きや二月堂のお水取りなどの行事が続きます。


  石(いは)ばしる垂水(たるみ)の上のさわらびの

     萌えいづる春になりにけるかも (万葉集 志貴皇子)



* 朧谷寿『藤原氏千年』(講談社現代新書)

**白洲正子『道』(新潮社)


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家族のかたち [読書]

 年が変わり、昨年末の新聞の書評欄で興味を惹かれた、エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(文藝春秋)を読み始めました。E.トッドは 1951年生まれのフランスの人口・家族人類学者です。上下2巻で 700頁の本なので、まだ4分の1程しか読めていませんが、翻訳調の文章で、考察の対象が多岐に渡り、理解するのに悪戦苦闘しています。



 まず序論として、家族のかたちの持つ意味に気づいたきっかけを、< 一九七〇年代末に確定していた共産主義体制の分布図が、ロシア、中国、ベトナム、ユーゴスラヴィア、アルバニアなどに存在する特定の農村家族システムの分布図に合致することを確認したのだった。その家族システムは、一人の父親と既婚の複数の息子を結びつけるシステムで、親子関係においては権威主義的、兄弟同士の関係においては平等主義的である。権威と平等性はまさに共産主義イデオロギーの核なので、家族とイデオロギーの合致を説明するのは難しくなかった。> と語っています。



 そして、家族システムは世界各地で多様ですが、今まで社会科学の標準モデルとされていた < 複合的な家族から一組の夫婦への推移ーーーが事実としてばかげていることに気づいた。実は、原初の家族が核家族だったのである。(中略)ホモ・サピエンスの原始状態における人類学的形態だったのである。これに対して、夫婦を父系の親子関係の中に閉じ込める形態、すなわちユーラシア大陸の大部分を占有した共同体家族の形態は、歴史の産物にほかならない。> と考えの道筋を示しています。



 つまり、古い形態が中央から離れた辺縁に残るように、ユーラシアの外れのイギリスなどに核家族という古い形態が残存した。< ホモ・サピエンスの出現以来、家族は単純型から複合型へ推移したのであって、> その逆ではない。



 イギリスやパリ盆地では狩猟採集民に近い核家族が見られるのに対し、文明の発生地である中東では最も複合的な、最も「進化した」内婚制共同体家族が見られ、< 父親と既婚の息子たちを結びつけ、次にその息子たちの子供たちが結婚するするのを推奨するわけだが、このシステムは五〇〇〇年もの推移の帰結なのである。> と書かれています。



 歴史の中で、イギリスでは核家族であったことによって、農民層から根なし草的労働者が得られ、産業革命につながった。ドイツと日本ではかって長子相続であったため、次男、三男が社会に放り出され、社会を活性化させる面があった。



 家族形態の現代的な現れとして、核家族の自由主義によって、イギリスはEUを離脱し、米国はトランプを選んだ。直系家族であったドイツ、日本、韓国では出生率が危機的に低下している。



 序論のまとめとして、< 基本的な歴史のシークエンスは、核家族(父系制レベル0)から出発して直系家族(父系制レベル1)へ移り、次に直系家族から外婚制共同体家族(父系制レベル2)へ移り、そしてついには内婚制共同体家族(父系制レベル3)に至る > と記しています。



 次からは各論になります。気長に少しずつ読み進めようと思います。経済のグローバリゼーションは 50年の歴史ですが、家族の歴史は 5000年の積み重ねがあり、人々の無意識に影響を及ぼしているという気の長い話ですから。


#「また 家族のかたち」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-01-31

#「日本人の来た道」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2020-11-07



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初詣はどこへ [読書]

 正月になると、初詣に行こうかという気持ちになります。家の近くには紀三井寺とか、玉津島神社などがありますが、ドライブがてら南紀の熊野本宮大社へ詣でようかとも思います。また気分を変えて、東へ行けば、吉野山・蔵王堂というのもあります。



 そういえば、「蔵王」って何のことなんだろう? 白洲正子の本*を見ると、こんなことが書かれていました。 < 蔵王権現は、役行者が、吉野の金峰山で感得した神とも仏ともつかなぬ独特の存在で、早くいえば不動明王と山の神が合体したような感じをうけるが、その時、外来の仏教は、はじめて日本の地に根をおろしたといえるであろう。役行者は一介(いっかい)の呪術者にすぎず、蔵王権現も正統派の仏ではないが、その功績は大きいと私などは思っている。 >





 これを読むと、蔵王権現というのは、役小角が個人的に感得したものなのだそうです。ちなみに「権現」というのは、「権」は「仮」という意味で、「仮の姿で現れた」ということで、仏や菩薩が日本の神の姿で現れたということなのだそうです。本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)という考え方です。

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(吉野山・蔵王堂)

 役小角(えんのおづぬ)は7世紀、飛鳥時代の伝説的な行者で、修験道を開いた人です。山折哲雄『仏教民俗学』(講談社学術文庫)では、< 修験道というのは、一口にいって古くからの山岳信仰が陰陽道(おんみようどう)や密教や神道と結びつき、その影響下に形成された日本独自の山の宗教である。> と説明していました。




 明治政府の廃仏毀釈まで、日本では神仏習合で、神も仏も大きな違いは無かったのかも知れません。東北地方の蔵王も山岳信仰の山なのでしょう。いずれにしろ人混みが減ってから、どこかへ出かけてみようと思います。


   みちのくの蔵王山なみにゐる雲の

        ひねもす動き春たつらしも (斎藤茂吉)



*白洲正子『行雲抄』(世界文化社)


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