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カロッサは振り返る [読書]

 ハンス・カロッサ(1878-1956)は H.ヘッセより一歳年下のドイツの作家です。大学生のころ、彼の自伝的小説『美しき惑いの年』を読んだ記憶があります。内容はほとんど覚えていませんが、ミュンヘンでの医学生生活の話でした。


 何の機会だったか、その小説に先立つ『幼年時代』、『若き日の変転』という小説があり、岩波文庫に入っているのを知り、いつだったか買っていました。


 誰でもこどもの頃を振り返るのは、今の自分がどんな具合で出来てきたのかという思いと繋がっています。あの時、こうしていればどうなっていただろう・・。いろんな可能性の中から、なんとなく、あるいはどうしようもなく自分自身で「今」を選びとってきたのだと納得します。


 1914年8月、第一次世界大戦が勃発して数日後、カロッサは夜中に呼び出され、医者としての仕事をすませ、霧の中、未明のドナウ河畔を歩いていました。その時、不意に、幼い日の記憶が胸に浮かんできました。彼は家に帰ると、寝る間もなく幼時の回想を書き始めました。

 

 カロッサは第一次世界大戦に軍医として志願し、その間、陣中日記や自伝的小説を書き継ぎます。北フランスで左腕を負傷し帰還します。1922年(43歳)、出生から小学生時までを扱った小説『幼年時代』を出版します。9歳から18歳のギムナージウム時代を『若き日の変転』と題して 1928年に、医学生の一年を『美しき惑いの年』として 1941年(62歳)に刊行します。


 第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけてのドイツにとって苛烈な時代に、彼は自分自身の辿ってきた世界を自伝的小説として書き続けました。それは現在の自分の在りようを自己確認する作業だったのかも知れません。彼はこんなふうに書き始めました・・・


 < 一八七八年のある冬の日曜日に、私はオーバーバイエルンのテルツに生まれた。この美しい、人の賑わう温泉場、そのそばをアルプスに発する緑のイーザル河が流れているこの温泉場の記憶は、残念ながら今はもうたいして残っていない。私の意識的な人生は、ようやく、ここに近いケーニヒスドルフではじまっている。>(『幼年時代』斎藤栄治 訳 岩波文庫)


 カロッサは日本でいえば寺田寅彦と同い年です。カロッサが初めて『詩集』を出版した1910年には、寺田寅彦はベルリンなどヨーロッパに留学中でした。そんな時代の一コマです。


 #「ヘッセのさすらい」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2022-01-14


幼年時代 (岩波文庫)

幼年時代 (岩波文庫)

  • 出版社: 岩波書店
  • メディア: 文庫

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ヘッセのさすらい [読書]

 ヘルマン・ヘッセといえばドイツの作家と思いますが、確かに 1877年にドイツ南部のカルフという村で生まれていますが、35歳以降はスイスに住み、1924年にはスイスに帰化しています。『デミアン』などの中期以後の作品はスイスで執筆されています。

 

 彼は少年のころから学校になじめず、退学を繰り返し、仕事も転々とします。書店員をしながら詩や小説を書き、詩集を自費出版します。小説『車輪の下』は 1906年の作です。


 1914年に第一次世界大戦が勃発したとき、詩人や学者までが排他的な愛国心を煽る宣伝に同調するのに対し、ヘッセは「おお、友よ、そんな調子はよそう!」という論説を新聞に掲載します。ヘッセはたちまち「裏切り者」、「売国奴」と総攻撃をうけます。ナチス政権時代にはドイツでの出版ができなくなります。結局、ヘッセは1962年、85歳で他界するまで、スイスの南部、イタリア語圏の小村に住み続け、同地に葬られることになります。


   「眠りにつく時」 (H.ヘッセ)


  今や昼は私を疲れさせる、

  私の憧れの願いは、

  疲れた子供のように

  星の輝く夜を親しく迎えることだ。


  手はあらゆる行為をやめ

  額はすべての思考を中止せよ。

  今や私のすべての感覚は

  仮眠に落ちこむのを欲している。


  そんな霊魂は、見張られずに、

  自由な翼でただよおうとする。

  夜の魔法の国で

  深く千倍もながらえるために。

           (門馬直美 訳)


 この詩は 1948年、リヒャルト・シュトラウスが曲を付け、歌曲集『四つの最後の歌』の一曲となっています。さまよい、さすらったヘッセをしのばせる詩曲です。


#「「春」という歌」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2021-04-18


 


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ブルックナーの世界 [音楽]

 気になりながらそのままになっている事は種々ありますが、一度、ブルックナーの交響曲を第1番から順に第9番まで聴いてみようと、昨年末から取り組んでみました。第4番「ロマンチック」と第7番は、好みの曲なので、長年いろいろな指揮者や楽団の演奏で聴いてきましたが、他の曲にはあまり馴染みがありません。


 ブルックナー(1824-96)は日本でいえば文政7年にオーストリアで生まれています。勝海舟の1歳下で、ブラームスより9歳年上ですが、晩成の人で、教会のオルガン弾きを長年務め、作曲家として活躍したのは明治時代です。


 交響曲第1番、第2番、第6番は今回初めて聴きました。G.ヴァント指揮、ケルン放送交響楽団の演奏でした。20年以上前にいつか聴くだろうと、買っていた CDでした。馴染みがないせいもあり、やっと聴く機会があったという感慨だけでした。



 第3番、第5番は何回か聴いたことがあるのですが、どうも引き込まれる旋律がなく、今回も音が素通りしていくようでした。演奏者を変えてみれば、いつか親しめるようになるのかも知れません。


 第4番「ロマンチック」は高原や森を散策しているような、爽快な曲です。雪を積んだ山岳を眺めている雰囲気を持っています。K.ベームや C.アバドの指揮するウィーン・フィルの演奏が好みです(https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2021-10-11)。


 第7番を初めて聴いたのは 30年以上前で、C.M.ジュリーニ指揮、ウィーン・フィルでした。夏休みなどの長距離ドライブにはよく運転しながら聴きました。何年か前にはベルリン・フィル( S.ラトル指揮)が西宮の会場で第7番を演奏するというので、こんな機会はもう一生ないだろうと出かけました。大きな音だけど、家で聴く E.ヨッフム指揮、ドレスデン・シュターツカペレの方がいいなという感想でした。


 第7番は例えれば、広い夜空を眺め、天空の音を聴いている感じです。親しみやすく、星座を数えるように気分が移ろいます。交響曲で、わたしの最も好きな曲かもしれません。


 第8番、第9番は深遠な雰囲気です。それだけに近寄りがたい空間が広がります。日常的に聴くのは少しためらわれます。例えば第9番、第1楽章は深山幽谷に彷徨い込んでいく感じがします。第2楽章では天女なのか天使なのかが舞っています。第3楽章は果てしない宇宙空間を航行していきます。C.シューリヒト指揮、ウィーン・フィルの演奏は近寄りがたい音の世界を現前させます。


 聴き終わって、ブルックナーという作曲家の歩みがおぼろげにも浮かんでくる気がします。今年はどんな音楽を聴こうか・・・音楽も体験です。ときに衝撃的となります。人との出会いと同じです。音を探し求めるのは、そんな経験を求めて彷徨っているからかも知れません。



 


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年の始めに [雑感]

 また、一年が始まりました。年齢を重ねてくると新年の感慨も薄れてきます。もう大方のものごとは見てきたような気もします。ただ、この一年どう生きてゆくか、多少不安な気持ちも湧いてきます。


 老妻の叱咤(しった)の声にて年明けぬ

    一家といふはかくて保つか (筏井嘉一)


 今年の初夢は、どこか海のそばを車で走りながら、帰り道が分からなくなって茫然としているところで目が覚めました。どうして夢の中ではいつも困った事態に陥るのでしょう。大抵は夢でよかった・・と起き上がります。


 老いぬれば夢のゆめとも言ひつべき

    はかなき夢を多く見るかな (窪田空穂)


 雪のため遅れて、二日に次男一家が来訪しました。しばらく会わないうちに孫たちは成長しています。いつのまにか息子は中年になり、父親の分担をこまめに果たしています。ばあばはちゃっかり孫の遊び相手になっています。



 赤き実を咥(くは)へ一月の鳥日和(とりびより) (阿部みどり女)

 

 穏やかな三が日も過ぎ、また一年がめぐり始めました。やはりコロナ感染者数は増加しつつあります。今度の波はどの程度になるのでしょうか? ウイズ・コロナの生活はいつまで続くのでしょうか? 体力のあるうちに出かけてみたい場所もいくつかあります。日々、体操を欠かさず、筋力の維持に努めています。


  よみがへり芽を吹く春の来ることを

     知らぬさまにて冬木しづけし (川田 順)


  #「神社に詣でる」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2018-11-20  

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