流れは絶えずして [雑感]
日曜日の夕方に帰宅すると、台所の床に水たまりができていました。雑巾で拭きとっても、隙間からどんどん水が湧いてきます。あわてて水道屋さんに来てもらいましたが、たぶん給湯管にピンホールができているのだろうということで、給湯器を止めると、湧水はとまりました。古い給湯管は銅管を使っていることが多く、経年変化で小さな穴があくことが多いそうです。 風呂には入れませんでした。
きのうは朝から、あちこち石膏ボードを剥がしたりして、どこで穴があいているのか調べてまわったそうですが、昼になってやっと、この辺だろうと見当がつき、午後に新しいパイプをつなぎました。水漏れで湿気っている所の乾燥を待って、修復工事になるそうです。
一件の水漏れでも、こんなに手間がかかるのに、地震などでのライフ・ラインの復旧は大変だろうなと、その労苦がしのばれます。
河出書房新社の『日本文学全集 07』を買ってみました。酒井順子訳「枕草子」、高橋源一郎訳「方丈記」、内田樹訳「徒然草」という内容です。意欲的というか、刺激的というか、キワモノ的というか、しばらく楽しめそうです。「方丈記」を見ると、まず、リヴァー・ランズ・スルー・イットという文字が出てきて、驚きます。
水道屋さんは壁に聴診器のような器具をあてて、水の流れる音に耳をすませていました。 鴨長明のように。
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六月の香り [雑感]
週末、本箱の横で寝ころがっていると、ドンと地震がありました。紀伊水道が震源といっていました。月曜日、出勤途中に緊急地震速報があって、数秒後に車が揺れました。大阪北部に被害がありました。ここ25年ほど、火山噴火や地震が頻発しています。地球はいつも、こんなふうに多少ばらつきながら活動しているのでしょう。 本箱から少し離れて座らなければと反省します。
10年間使ってきたパソコンが、だんだんソフトが更新できなくなり、不便になったので、買い替えました。安くなって、薄くなって、速くなって、多機能になっています。前のパソコンも替える時になって初めて、こんな機能があったのかと知るくらいですから、今度のも、あまり使いこなせるとは思われません。
陳舜臣『唐詩新選』(新潮社)を本箱のしたで眺めていると、孟浩然の詩に「荷風」という言葉がありました。蓮の上を渡ってくる風ということだそうです。初夏の風情です。 ちなみに鷗外とは・・・鷗外は千住に住んでいたことがあり、「鷗の渡し」の外に居るという意味かな?ということです。
昨夜は、釣り好きの同僚に頂いた鮎を食べました。よい香りが口中にひろがります。
六月を奇麗な風の吹くことよ (子規)
ホタルのころ [雑感]
もう長いこと、部屋の中にホタルが迷いこんでくることはありません。ホタルの見られる場所に出かけると、大量のホタルが一斉に明滅していますが、こどものころには、電灯を消した家のなかをふらぁと一匹、飛んでることがありました。
思ひ出は首すぢの赤い螢の
午後(ひるすぎ)のおぼつかない触覚(てざわり)のやうに、
ふうわりと青みを帯びた
光るとも見えぬ光?
(北原白秋)
中国の『礼記』には草が腐って螢となると記されているそうです。本邦の和泉式部はまた、螢火を自らの魂と見た。(久保田淳『古典歳時記 柳は緑 花は紅』)
てうつしにひかりつめたきほたるかな (飯田蛇笏)
夏の夜に防波堤にいくと、海の中に海ホタルがたくさん漂っていることがあります。掬いとってみると、手のひらが青くひかります。
<夏はよる。月のころはさらなり、闇もなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただひとつふたつなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。>(枕草子)
これから寝苦しい季節になりますが、ホタルが迷いこんできたころを思い出しながら、夜の雨を聞いているのもいいかもしれません。
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しのぶべき六月 [読書]
もうすぐ梅雨入りのようです。この季節になると伊東静雄の「水中花」という詩の一節を想いだします。彼は諫早の生まれで、大阪・旧制住吉中学で先生をしていました。教え子には小説家の庄野潤三や童謡「サッちゃん」の作詞でも知られる阪田寛夫がいます。
今歳(ことし)水無月のなどかくは美しき。
軒端(のきば)を見れば息吹のごとく
萌えいでにける釣しのぶ。
忍ぶべき昔はなくて
何をか吾の嘆きてあらむ。
六月の夜と昼のあはひに
万象のこれは自ら光る明るさの時刻(とき)。
彼の第一詩集『わがひとに与ふる哀歌』は口調はいいですが、意味のとりにくい、複雑な構造になっています。杉本秀太郎『近代日本詩人選 18 伊東静雄』(筑摩書房)は、これを明晰に読み解いており、詩の解読とはこんなふうにするのかと、驚嘆します。
庄野潤三『文学交遊録』(新潮社)には教師時代の伊東静雄の姿が生きいきと書かれています。そういえば『伊東静雄全集』の編者でもある作家・富士正晴の弟という先生と宴席で隣りあったことがあります。姉は野間宏の奥さんだそうです。庄野潤三の若い頃の話をうかがった記憶があります。
六月になると、いろんなことを思い出しますが、もうみんな遠い過去です。