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午睡の音楽 [音楽]

  音楽は音を出す人の息づかいや表情が表れるような身体的な表現ですが、録音された音楽だけを聴いていると、そんなことをつい忘れてしまいます。レコードも CDもなかった時代では、音楽は常に一回限りの催しだったことでしょう。


 そんなことを思ったのは、昼寝の BGMにフォーレのピアノ四重奏曲を聴いていた時です。ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの4人が互いの音を聴きながら、それぞれが自分の音を紡ぎ出しているのが目に浮かぶようでした。優しげなヴァイオリンの響きに突然、力強いピアノが重なったりします。少人数での演奏なので身近に感じられたのでしょう。


 ジャズでも唄でも同じことでしょう。日頃、生演奏に接する機会が少ないので、つい当たり前のことを見逃しています。昔、誰だったかが、CDは旅行のときの絵葉書のように、思い出に買うものと言っていたのを憶えています。そんなものかと CDを見る目が変わりました.。


 夏の終わりの午後、音楽に聴き入っていると、寝そびれてしまいました。フォーレ(1845-1924)はパリのマドレーヌ寺院のオルガン弾きをしていたこともあるようです。日本でいえば幕末に生まれて大正末まで活躍したということになります。





(第3楽章より)

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物語の始まり [読書]

お盆も過ぎ、日の暮れも少しはやくなると、夏も終わりだと感じます。天気も不順で、雨や風の日が多くなりました。


  夕顔の花一ツ咲き二ツ咲き

     しづかに秋のしのびよる宵 (内藤 濯)


 夏が逝ったからといって、何があるわけではありません。7月から読んでいた三島由紀夫『春の雪』(新潮文庫)をちょうど今日、読み終わりました。三島由紀夫は若い頃に何冊か読みましたが、1970年の事件に驚いて、なんとなく遠ざかっていました。


 いつのまにか 50年以上も経っています。市ヶ谷のバルコニーで演説している彼の姿を駅の街頭テレビで見ました。大学生でした。事件の顛末は不可解なこととしてこころに引っかかったままでした。


 ゆっくり読む時間もできたので、『春の雪』を手に取ってみる気になりました。三島は昭和40年(1965)、雑誌「新潮」9月号から『豊饒の海』の第1巻となる「春の雪」の連載を始めています。その後、『奔馬』、『暁の寺』、『天人五衰』と続き、事件に至ります。『春の雪』は4部作の巻頭の書ということになります。


 < 父侯爵(こうしゃく)が、幕末にはまだ卑(いや)しかった家柄を恥じて、嫡子(ちゃくし)の清顕を、幼時、公卿(くげ)の家へ預け >たのですが、その < 和歌と蹴鞠の家として知られ >た綾倉(あやくら)家には聡子という娘がいました。つまり、小説はこの二人の恋の顛末ということになります。


 巻末に著者の後注として、< 『豊饒の海』は『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生(てんしょう)の物語であり(後略)> とあるように、大正時代を背景にし、華麗でリアルな描写で画かれていますが、いわゆる近現代の小説とは趣が異なっています。平安時代の物語を換骨奪胎して現代に蘇らせていますので、光源氏ならともかく、大正時代の二十歳前後の若者にこんなことが可能だろうかと訝しく感じられる面が気になりました。


 < 一つの雪片がとびこんで清顕の眉(まゆ)に宿った。聡子がそれを認めて「あら」と言ったとき、聡子へ思わず顔を向けた清顕は、自分の瞼(まなこ)に伝わる冷たさに気づいた。聡子が急に目を閉じた。 >


 著者が近代的秩序から脱却しようと試みているのは感じられますが、物語は「むかしむかしあるところで・・・」でなければ成り立たない性質があるようで、大正元年、渋谷で・・となると、わたしはリアルな社会に縛られ、若い二人の夢のような物語の世界へ入り込みにくくなりました。


 それとも単に、わたしが歳がいき過ぎたというだけなんでしょうか? 第2巻へと読み進むのがためらわれます。


  しらじらと貌(かほ)に貼(は)りつく秋の風 (石原八束)




春の雪 (新潮文庫)

春の雪 (新潮文庫)

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社: 新潮社
  • メディア: 文庫

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海馬と遊ぶ [雑感]

 ウクライナの戦況をテレビで見ていると、「正露丸」のことを思い出しました。特有な臭いのする丸薬を子どもの頃に呑まされました。大人になって知ったのですが、明治時代、日露戦争に出征する兵士に、食あたり水あたりの薬として携帯させたそうで、「征露丸」という名前だったそうです。


 戦後になって対外的に不穏当だろうと、「征」の行にんべんを取って「正露丸」と改名したのだそうです。


  実家が薬関係の仕事だったので、虚弱ぎみだったわたしは色んな薬を呑んだ記憶があります。なかでも熱が出て下がらなかった時に、サイの角の粉末である「犀角」というのを呑まされたのを覚えています。本当にサイのツノだったかは不明です。


 そういえば「龍角散」というのがありますが、名前からタツノオトシゴが入っているのだろうかと見てみると、杏仁、甘草などの植物性生薬で出来ているようです。


 タツノオトシゴ(hippocampus)は漢字では海馬と書かれ、薬として用いられた歴史があります。内臓を取り除き天日干ししたものだそうです。薬種商であった祖父の家の軒先にはマムシが何匹も干してありましたが、タツノオトシゴは見た記憶はありません。


 人間の脳の中にも海馬と呼ばれる部位があります。記憶に重要な働きをしており、アルツハイマー型認知症に関与していますが、部位の形がタツノオトシゴに似ているのだそうです。


 歳をとると何につけても色んな記憶が蘇ります。いわば自分の海馬で遊んでいるようなものかも知れません。



 

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コケって何? [読書]

 本を読んでいると、これは何と読むのだろうという漢字に出会うことがあります。先日も「虚仮」という文字がありました。< わしを虚仮にしおって・・・> という文章です。前後関係から「コケ」だろうとは思うのですが、では「虚仮」とは何だろうと辞書*を引いてみました。


 コケ【虚仮】(名・形動)(一)〔仏〕実体がないこと。また、真実でないこと。(二)考えのあさはかなこと。おろか。(無名抄)。(接頭)むやみにそうする意を表す。「一未練」《一に・する》ばかにする。一おしみ【一惜(し)(み)】をしみ むやみに物惜しみをすること。一おどし【一《威(し)】(一)浅薄なおどかしかた。「検校の居間に一と筋一(柳樽)(二)外見はもっともらしいが、中身はたいしたことがないこと。(後略)


どうも元々は仏教用語のようなので、仏教辞典**も見てみると・・・


 虚仮 こけ 漢語としては, 実の伴わないこと, いつわり. 用例は『墨子ぼくし』修身に見える. 仏典では, 真実の反意語であるが, 文脈によって二義がある. 一は, 虚空こくうと同じく, もろもろの事象が空虚で実体性を欠いていること(如来不思議秘密大乗教5など). 二は, 虚妄こもうと同じく, 心や行為が真実でないこと. うそ, いつわり(維摩教菩薩品). 外に善を装い, 内に虚偽こぎを懐いた行為を《虚仮之行こけのぎょう》という(観経疏4)(後略)


 こんな難しい言葉が、どんないきさつで誰もが使う日常語になったのか不思議です。お坊さんの説教にでも出てきたのか、また、歌舞伎か落語のセリフで広まったのでしょうか?


 落語の「こんにゃく問答」は旅の禅僧とこんにゃく屋のやりとりで笑わせますが、噺を作ったとされる幕末の二代目 林家正蔵は元は僧侶だったそうです。してみれば、いつの頃か、「虚仮にしおって!」と舞台か高座でしゃべった芸人もいたかも知れない、と想像するのも楽しい空想です。


*『新潮国語辞典 第二版』(山田俊雄 築島裕 小林芳規 白藤禮幸 編集 新潮社)

**『岩波 仏教辞典』(中村元 福永光司 田村芳朗 今野逹 編 岩波書店)





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島の夏祭り [雑感]

 夏になると村はずれの海岸にある神社の夏祭りを思い出します。夕暮れになると父親を「早く!」と誘って出かけました。夜店のアセチレンの明かりと臭いが小さな境内にあふれていました。ギョウセン飴をノミで割って売る店、氷と塩の中で筒を回しながら作るアイスクリン、お面を並べた店、金魚すくいなど心をときめかせました。郷里・淡路島でのことです。当時、父親は 40代だったはずです。


 神社は「枯木さん」とよんでいましたが、正式には枯木神社でした。御神体は「枯木」だと聞かされていました。その枯木につかまって静御前が流れ着いたのだと教えられたように思うのですが、どうも怪しいようです。


 「日本書紀」巻第二十二(推古天皇)には < 三年、夏四月、沈香(じんこう)が、淡路島に漂着した。その大きさは一囲(ひとかかえ)。島人は、沈香とは知らずに、薪といっしょに竈(かまど)でもやした。その煙が遠くまで薫(かお)った。そこでふしぎにおもい、献じてきた。*> と記載されています。


 枯木神社の枯木は香木の沈香だったようです。推古三年といえば 595年です。香木は朝廷に献上したとあるので、今の御神体との関係は不明です。


 何年か前の同窓会で聞いたところでは、夏祭りはもうやっていないようでした。地区の同級生は何とか孫たちに夏祭りを見せてやりたいと復活を模索しているようでした。帰郷のおり車で神社のそばを通りますが、子どもの頃、夜店がいっぱい並んでいた境内が、今見るとあまりにも狭いのに驚きます。


*『原本現代訳 日本書紀(中)』(山田宗睦 訳 ニュートンプレス)


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