物語の始まり [読書]
お盆も過ぎ、日の暮れも少しはやくなると、夏も終わりだと感じます。天気も不順で、雨や風の日が多くなりました。
夕顔の花一ツ咲き二ツ咲き
しづかに秋のしのびよる宵 (内藤 濯)
夏が逝ったからといって、何があるわけではありません。7月から読んでいた三島由紀夫『春の雪』(新潮文庫)をちょうど今日、読み終わりました。三島由紀夫は若い頃に何冊か読みましたが、1970年の事件に驚いて、なんとなく遠ざかっていました。
いつのまにか 50年以上も経っています。市ヶ谷のバルコニーで演説している彼の姿を駅の街頭テレビで見ました。大学生でした。事件の顛末は不可解なこととしてこころに引っかかったままでした。
ゆっくり読む時間もできたので、『春の雪』を手に取ってみる気になりました。三島は昭和40年(1965)、雑誌「新潮」9月号から『豊饒の海』の第1巻となる「春の雪」の連載を始めています。その後、『奔馬』、『暁の寺』、『天人五衰』と続き、事件に至ります。『春の雪』は4部作の巻頭の書ということになります。
< 父侯爵(こうしゃく)が、幕末にはまだ卑(いや)しかった家柄を恥じて、嫡子(ちゃくし)の清顕を、幼時、公卿(くげ)の家へ預け >たのですが、その < 和歌と蹴鞠の家として知られ >た綾倉(あやくら)家には聡子という娘がいました。つまり、小説はこの二人の恋の顛末ということになります。
巻末に著者の後注として、< 『豊饒の海』は『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生(てんしょう)の物語であり(後略)> とあるように、大正時代を背景にし、華麗でリアルな描写で画かれていますが、いわゆる近現代の小説とは趣が異なっています。平安時代の物語を換骨奪胎して現代に蘇らせていますので、光源氏ならともかく、大正時代の二十歳前後の若者にこんなことが可能だろうかと訝しく感じられる面が気になりました。
< 一つの雪片がとびこんで清顕の眉(まゆ)に宿った。聡子がそれを認めて「あら」と言ったとき、聡子へ思わず顔を向けた清顕は、自分の瞼(まなこ)に伝わる冷たさに気づいた。聡子が急に目を閉じた。 >
著者が近代的秩序から脱却しようと試みているのは感じられますが、物語は「むかしむかしあるところで・・・」でなければ成り立たない性質があるようで、大正元年、渋谷で・・となると、わたしはリアルな社会に縛られ、若い二人の夢のような物語の世界へ入り込みにくくなりました。
それとも単に、わたしが歳がいき過ぎたというだけなんでしょうか? 第2巻へと読み進むのがためらわれます。
しらじらと貌(かほ)に貼(は)りつく秋の風 (石原八束)
私も学生でしたね。
行きつけの焼きそば屋のテレビで見ていました。
かなり強烈で、あれで学生運動が急速に
沈下していったような気がしています。
三島由紀夫の作品、「仮面の告白」とか「金閣寺」は読みましたが
この4部作あたりは、いかにも作られた感が強くて
あまりなじめませんでした。
by そらへい (2022-08-24 20:10)
そらへいさん、『春の雪』はちょっと
とまどいますね。大きな構想をもって
書かれているのでしょうが、入り込みにくい
です。
by 爛漫亭 (2022-08-24 20:37)
今年の安倍さんの暗殺もある意味、当時の三島由紀夫の蜂起に
近いものがあるのでは?と思ったり。
政治的・思想的ではなく宗教がらみアレですが・・・
by tai-yama (2022-08-24 23:21)
ウムー、tai-yamaさん、頭の問題と
体の問題のような違いがあるような?
by 爛漫亭 (2022-08-25 08:35)