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音楽のとりこ [音楽]

   久し振りにバッハの「チェロ・ソナタ」を聴きました。バッハの時代ですから原曲はヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロという楽器のために作曲されたものです。ここではミッシャ・マイスキーのチェロ、マルタ・アルゲリッチのピアノで演奏されています。


 音楽が流れ出すと、浮き立つようなリズム、軽やかで柔らかいピアノの音、歌にあふれたチェロの音色、新しく出来たての曲のように新鮮です。1985年の録音で今まで何回も聴いているCDですが、今更ながら感激します。


 バッハ(1685-1750)といえば何か古色蒼然とした印象がありますが、演奏の仕方によって生き生きと現代に蘇ります。アルゲリッチとマイスキーの息のあった丁々発止の掛け合いに息をのみ、ピアノの繊細な合いの手に、アルゲリッチはうまいなぁと感嘆し、チェロの深い音色にマイスキーの情感の豊かさを感じます。バッハから300年の音楽の歴史の蓄積と伴に、これこそ現代に生きる音楽だと納得させられます。


 時々こんな音楽に出会うがために、何百枚という無駄なCDを買ってしまう罠にはまってしまいます。今度こそイイのが聴けるんじゃないか、このCDは評判が良いがどんなだろう?とつい誘惑に負けてしまいます。


 音楽というのは脳内麻薬を産生させる作用があるのかも知れません。そういえば音楽にも依存ということがありそうです。いずれにしても「病膏肓に入る」というのは人間というものの面白さの一面をなしているようです。





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健康の近未来 [雑感]

 子供の頃、父親からいろいろな格言やことわざを教えられました。「人間万事塞翁が馬」とか「商人と屏風は曲らねば立たぬ」とか、風呂上がりに縁側に寝そべって、団扇を使いながら面白おかしく意味を説いてくれました。


 そんな中に「薬九層倍」というのがありました。「目薬というのはな、いくら高い薬でもほんのちょっとしか入れられへん、ほとんど水や」と笑います。


 そんなことを思い出したのは、確定申告の時節となって医療費控除を受けるのに、改めていま飲んでいる薬の値段を調べてみると、1カプセル1万円以上というのがあったからです。やっぱり「薬九層倍」かと驚きました。日本の医療保険制度がなければ、とても長くは治療は続けられません。


 格言で言えばこの場合、その薬で病気が治っていれば「地獄で仏」ということになり、また保険制度が不備であれば「地獄の沙汰も金次第」ということになります。


 最近の良く効く薬は高価なものが多いようです。薬屋さんの言うには、特許期間が過ぎればすぐにジェネリックが出るので、それまでに開発費を回収する必要があるとのことです。


 それにしても通院の場合、病院への支払いより薬局への支払いが多額なのには不思議な気がします。医者と製薬会社への配分が、製薬会社に傾いている感じです。


 今回のコロナワクチンでも何億人分という量が一部の製薬会社に依存しています。一本いくらするのでしょう。今年は国が負担してくれますが、自費なら、いつものインフルエンザワクチンで三千円ほど、肺炎球菌ワクチンで七千円ほど支払っているのから考えても、それ以下では有り得ないでしょう。膨大な金額が薬屋さんに流入します。


 知らない間に、いろんな面で人類の健康は巨大製薬会社の手に委ねられているようです。



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森さんの場合 [雑感]

 森さんは事態の成り行きに唖然としていることでしょう。オリンピック憲章に反すると言われ、各方面から不適切というコメントが次々に出され、上部組織にソッポを向かれてしまえば、外堀も内堀も埋まってしまい進退は極まります。


 なんとなく聞き過ごせば、愚痴かボヤキとも取れ、言葉狩りの様相も感じられなくもないですが、はからずも森さんの女性に対する思いが露呈してしまったということなのでしょう。お年寄りだからなと思っても「どう感じますか」と尋ねられれば、公式には「不適切な発言」と応えざるを得ないでしょう。


 20年程まえ、職場でハラスメントの講習がよくありました。こちらがジョークか関西風突っ込みと思って言っているような言葉がハラスメントに当たると知らされ、考え込んだ記憶があります。森さんなんかもそんな講習を受けたのでしょうか。


 それにしても今度のオリンピックはロゴマークのやり直し、誘致疑惑での竹田さんの辞職、競技場の設計変更、日程の延期など次々と問題が発生しています。実務をされている方々のご苦労は大変なことでしょう。オリンピックは出来るのか、無理でもやってしまうのか? 無理をせずに安全・安心を第一に判断してもらいたいものです。



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松山のメバル [食物]

  食べ物の話というのは、蘊蓄を聞かされても鬱陶しいし、どこの名店の何がうまいと言われても鼻白むところがあり、読んで気持ちのいい読み物になるには、著者の人品によるところが大きいようです。


 吉田健一『私の食物誌』(中央公論社)は各地の食べ物について読売新聞に連載した短文を主にまとめた本で、快く楽しめます。もっとも昭和47年の出版なので幾分時代を感じるところもありますが、さしたる差し支えはありません。


 < 大体旨いものだから皆で食べなければならないという法はないのである。それと栄養の問題は別でその上に各自の好みがあり、旨いからと言って早速それを全国の名店街で売り出す必要は少しもないということがこの頃は忘れられ掛けている。序でながら、この蠑螺の塩辛も別に高いものでも何でもない。 >


 これは「飛島の貝」という章の文末です。こんな文章を読むとつい微笑が浮かびます。書き出しは・・・「日本海の山形県沿いに飛島という小さな島があってここの貝は旨い。どういう貝だろうとここで取れる貝は何でも皆いいようであるが、その中でも挙げたいものに鮑(あわび)と蠑螺(さざえ)がある。」と語り出します。


 「長浜の鴨」とか「長崎の豚の角煮」、「金沢の蕪鮨」、「瀬戸内海のめばる」といった話題が次々と続きます。巣ごもり状態のなか、本を読んでいつか行けるかもしれない旅を想像します。


 この本は 1991年5月に集会があって松山にでかけ、城山の麓にあった古書店で手に入れたものです。そういえばその折、同僚と食堂に入り、品書きに「めばる煮付け」とあって懐かしくなり注文したのですが、女将さんから「時価なんですけど・・・」と顔を覗かれた記憶があります。そんなものを食べる客には見えなかったのでしょう。


 吉田健一は岩国で家庭料理として御馳走になった「めばる」について <・・・少くとも十何匹かのめばるが大きな皿に盛って出された。ただ普通に煮ただけのもの、或いはそうとしか思えない淡泊な味付けの煮方をしたのを銘々が勝手に自分の皿に取って食べるので四、五人で御馳走になったのに魚は残らなかった。ただめばるという魚は旨いものだということが記憶にあるだけで他には生姜(しょうが)が使ってあったこと位しか覚えていない。併しそのめばるを煮たのは旨かったともう一度繰り返して言いたい。 > と舌舐めずりするように回想しています。


 さて、わたしは時価と言われてめばるを食べたのか、食べなかったのか・・・思い出せません。




私の食物誌 (中公文庫)

私の食物誌 (中公文庫)

  • 作者: 吉田 健一

 

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