食い足らない読書 [雑感]
今年もインフルエンザ・ワクチン接種の季節になりました。わたしもここ二十年ほど毎年打ってもらっています。地震は地域的な災害ですが、新型インフルエンザが発生すれば、地球規模の災厄となる可能性があります。抗インフルエンザ薬も開発されていますが、誰でも何処でも自由に服用できる体制となるか、どうか、国家を越えたグローバルな製薬企業との軋轢があるかもしれません。
今年はシェイクスピアとセルバンテスの没後四百年になります。1616年は日本では大坂夏の陣の翌年ということになります。シェイクスピアの喜劇と悲劇は二十歳ごろに読んだのですが、史劇はなじみにくく、残したままになっています。日本でも戦国時代だったと思えば、史劇も読み応えがあるかもしれません。昨日の毎日新聞の「今週の本棚」でもシェイクスピアを特集しており、触手がすこし動きました。
『ドン・キホーテ』には後篇があって、いずれ読もうと、買っておいたのですが、もう三十年も放ったままです。残念なことです。わたしの読んだのは、たしか堀口大學訳だったとおもいますが、どんな経緯で訳したのか分かりません。サンチョ・パンサとのかけあいは愉快です。
いつでも読めると思っていたのが、いつのまにか年を取ると身体的にそうもいかなくなります。糖尿病で好きなものを、こころゆくまで食べられない気持ちも似たようなものなんでしょうか。
鳥取の眺め [徘徊/旅行]
こんどは鳥取にやってきました。こう頻繁に地震に襲われると、次はどこだろうかと不安な気持ちになります。雇用や社会保障制度への不安とも重なって、デフレ気分が助長されます。
鳥取県は規模の小さな県です。先の参議院選挙でも島根県と合わせて一人しか選出されません。何があるのだろうと考えても、伯耆大山と砂丘くらいしか思い浮かびません。
高校二年生の夏休みに友人と山陰を旅行しました。出雲から香住までだったと思います。日御碕でウミネコをみたり、ラフカディオ・ハーンのヘルン記念館を覗いたり、大山寺の牛に跨がったり、暑い砂丘を海まで歩いたり、余部鉄橋を渡ったりしました。ユースホステルに初めて泊まりましたが、なんとなく居心地のよくない雰囲気でした。
1994年8月に家族を連れて、大山に登りました。1700m くらいの標高で、途中まで車でゆくので、実際は 700m ほど登るだけですが、尾根沿いにほとんど直登するので大変でした。水分も飲み尽くし、頂上に売店があると聞いていたので、子供たちも楽しみにしていましたが、小屋に入ると、商品は並んでいるのに、これは明日の分ですといって何一つ売ってくれません。まっすぐ降りる下りのきつかったこと。膝の感覚がなくなるようでした。
頂上からみた大山北壁の険しい崩れや、弓ケ浜から日本海に連なる展望の開けた眺めは気分の良いものでした。 今回の地震ではあのあたりは激しく揺れたことでしょう。
時代は変わる [読書]
経済のことはまるっきり分からないので、新聞で「マイナス金利」とか「量的緩和」などといった言葉が頻出していても、意味するところうがよく理解できません。そういえば2年ほどまえ、水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)が話題になっていたのを思い出し読んでみました。
なかなか素人にも興味深く、分かり易い読物でした。
たとえば、1997年までの歴史のなかで、もっとも国債利回りが低かったのは、17世紀初頭のイタリア・ジェノヴァで・・・金利2%を下回る時代が11年続いた・・・日本の10年国債利回りは、400年ぶりにその記録を更新し、2.0%以下という超低金利が二十年近く続いているそうです。
金利は資本利潤率とほぼ同じことで、利潤率が極端に低いということは、すでに資本主義が資本主義として機能していない兆候だそうです。
16世紀のイタリアは山の頂上までワインのブドウ畑になり、投資先がなくなり、これを空間を拡げることによって覇権を握ったのが「海の国」イギリスで、海を支配することで全世界の利益を吸収する。利潤率の低下は新たな空間をつくることで回避された。それと同時に中世から近代へと時代は変化した。
現代の利潤率の低下も新たな空間・「周辺」をつくることで利潤極大化をはかろうというのが、グローバリゼーションと「電子・金融空間」だということです。資本主義の本質は「中心/周辺」という分割にもとづいて、富やマネーを「周辺」から「中心」に集中させることだそうです。
しかし、既に「周辺」も化石燃料も残り少なく、三年に一度、バブルが発生し、弾け、利益は少数の資本家に還元され、公的資金の注入やリストラで負担は中間層の崩壊へつながり、格差は拡大し、民主主義も危機に瀕する。超低金利でも物は売れない。
「陸の国」ドイツ、フランスによる EU は内部での格差が拡大し、いずれドイツ第四帝国の性格を強めていくそうです。
資本主義の終焉が始まっていると著者はいいます。次のシステムがどんなものであるのかは明瞭ではありませんが、ゼロ成長社会の「定常状態」が永続化する可能性は否定できないそうです。
そういえば、ボブ・ディランも The Times They are a-changin' と唄っています。
#「ホモ・サピエンスの嘆き」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2017-08-07
唐招提寺の秋 [徘徊/旅行]
ふと思いついて、先日、唐招提寺にでかけて来ました。初めて西ノ京へ行ったのは丁度50年前で、高校三年生になった春休みでした。帰宅して昔のアルバムをみると、おなじアングルで写真を撮っているのには驚きました。五十年経っても変わらないものです。
家内は帰宅後、井上靖の『天平の甍』を読みなおしていました。以前、なんの機会だったのか鑑真和上像を拝観させてもらった記憶があります。鑑真の来日は753年です。
若葉して御目の雫ぬぐはばや (芭蕉)
天平のむかしから国づくりには、お雇い外国人をたのみ、先進国に留学生を送り込むモデルだったようです。 奈良の都には瓦葺きの大寺と桧皮ぶきの大社とが点在しています。ひらがなが成立したのは鑑真から百年ほどしてからです。
ノーベル賞週間 [雑感]
ノーベル賞といえば日本では、物理学賞という時代が長く続きました。二年続けて医学生理学賞の受賞者がでるとは驚きました。
1774年 杉田玄白らが『解体新書』を刊行。
1804年 華岡青洲が麻酔して手術。
1823年 シーボルト来日。
1882年 森鷗外ドイツ留学。
1900年 野口英世渡米。
1987年 利根川進 医学生理学賞受賞。
森鷗外や北里柴三郎らがドイツで学んで帰って百年たって、やっと利根川さんが認められたという感じです。蘭学揺籃期からでは二百年以上が経っています。
若いころ、野口英世の伝記小説『遠き落日』(渡辺淳一)を読んで、感銘をうけました。野口英世の破天荒で、いびつで、非常識で、一途で、しかもひとをひきつける魅力をもった行動が詳細に記されています。
北里柴三郎も野口英世もノーベル賞の候補にはなったそうですが、受賞はできませんでした。 iPS やイベルメクチンやオートファジーなど、日本発の学問が今後もひとびとに貢献できればいいですね。