SSブログ

野球あれこれ [スポーツ]


 今年のプロ野球も交流戦はベイスターズの得失点差による優勝となり、一段落しましが、またリーグ内での戦いが再開しました。去年、最若年で三冠王になったスワローズの村上宗隆選手は春から本調子でないようですが、そろそろ本塁打を量産しだすでしょうか? 彼は高校時代、東の清宮、西の村上と並び称されていましたが、北の清宮幸太郎も活躍してほしいものです。



 一方、バファローズの頓宮裕真選手の打撃が光っています。現在、パ・リーグには打撃十傑に3割打者は頓宮選手一人だけで、しかも突出した打率です。なにか打撃に開眼したのかと思わせます。村上といい頓宮といい打撃は天性のものがあるとしても、何かちょっとしたことで変わるのでしょう。


 知りませんでしたが、頓宮選手の実家は岡山県備前市で、なんと日本を代表する投手・山本由伸の実家の隣りなのだそうです。頓宮選手が2歳上ですが、子供の頃から一緒に遊び、同じ少年野球チームに属し、頓宮は捕手、山本は三塁手だったそうです。両家の父親はともにチームのコーチでした。



 山本投手は宮崎県の都城高校からバファローズにドラフト4位で入団し、2年後に頓宮選手が亜細亜大学から同じくバファローズに入っています。山本は”お隣さん”が同じチームにやってきてびっくりしたそうです。今やバファローズの投打の大黒柱です。



 このあいだ読んだ片山杜秀『11人の考える日本人』(文春新書)で著者は、哲学者・西田幾多郎の 「経験するというのは事実そのままに知るの意である」 という言葉を説明して、 <優れたバッターが打席に立ち、ボールをバットに当てる、まさにその時には、さまざまな分析ではなく、それまでの経験に即した瞬間的な動きしかないはずです。それが西田のいう「純粋経験」です。> と書いていました。なにか長嶋茂雄の「スゥーときたボールをパッと打つだけ」という打撃理論に通じるものがあるようです。


#「プロ野球の楽しみ」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2021-06-04



nice!(23)  コメント(12) 
共通テーマ:日記・雑感

何を考えていたのか? [読書]

 名前は知っていても、その人が具体的にどんな考えの人だったのかは、案外分からないものです。『11人の考える日本人 吉田松陰から丸山眞男まで』(文春新書)は音楽評論でも知られる思想史研究家の片山杜秀が、幕末から戦後までの11人を取り上げて、その人の考えたことを分かりやすく解説した本です。



 2月程まえ新聞の書評欄で見かけ、興味がわいたので読んでみました。著者の片山杜秀という人も話題になる著書が目についていましたし、選ばれている11人・・吉田松陰、福沢諭吉、岡倉天心、北一輝、美濃部達吉、和辻哲郎、河上肇、小林秀雄、柳田國男、西田幾多郎、丸山眞男・・にも多少関心がありました。いずれにせよ手軽にこれらの人々のエッセンスが片山流に剔出されるのを読めるのは、新書本の醍醐味です。



 山口県・萩に出かけたおり、松下村塾は見学しましたが、さて吉田松陰という若者が幕末に、何を考えていたのかについては定かではありませんでした。松陰は高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋らを育てた教育者ですが・・・


松下村塾.jpeg

                              (萩・松下村塾)


 <軍事を担っているのは武士ですが、それは人口の数パーセントにすぎません。脅威は海の外から来ます。島国日本の長い長い海岸線を守るのに、外国に立ち向かう兵力は武士だけ。そんな話は数量的にも現実的ではない。もっと多くの人々を兵士として動員しなければならない。そのためには、あらゆる階級に対しての教育が必要だ。そう考えたのです。>・・・こういう考えが長州の身分を問わない奇兵隊という組織へと繋がっていくのでしょう。



 福沢諭吉といえば来し方を振り返った『福翁自伝』は、とらわれの無い快活な書きっぷりで自由な精神が感じられ楽しい本でした。今ではお札の代名詞になっていますが・・・



<福沢にとって、お金について語ることは決してみっともないことではなかったし、むしろ真っ先にお金の話をすべきであるとさえ考えていました。さらには、もったいないと思ってお金使わないことは、資本主義の健全な発達を阻害するものであると考えていたように思います。つまり「みっともない」と「もったいない」という、江戸以来続いてきた儒教的な規範、武家道徳を打破したのが福沢諭吉なのではないでしょうか。>・・・お札の顔に相応しい人だったのでしょう。



 こんな調子で各人につき20数頁ずつで紹介されています。名前は知っていても、著書を手にしたことのない人が何人もありますが、手際よくまとめられて、何となく分かった気にしてくれます。いかにも新書的な楽しみを満たしてくれる本です。







nice!(24)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

洪水の記憶 [雑感]

 6月2日の大雨は、よく降り続くなと思っていました。突然、携帯電話がけたたましく鳴って高齢者避難を勧告してきたり、外から救急車やパトカーの走り回る音が聞えてきたりしました。これはなにか被害が出ているのだろうかと不安に感じていましたが、翌日になって近隣の市町村で川の氾濫、浸水などが発生していたことが分かりました。



 被害が出る時の雨の降り方は異様で、強い雨が間断なく長時間続きます。2011年9月4日もそうで、当時、わたしは紀南に住んでいましたが、家内と降り続く雨に不安な気持ちになりました。結局、熊野川や十津川の氾濫、深層崩壊、土石流など、那智勝浦を中心に大きな災害となりました(紀伊半島大水害)。



 和歌山県は大洪水の記録が何回かあります。わたしがまだ幼児で淡路島に住んでいたころ、海に箪笥や家財道具がプカプカ浮いていたことがありました。周囲の大人たちが「紀州から流れてきたんや」と話していたのが、異様な光景とともに記憶に残っています。後から知ったのですが、昭和28年7月18日に有田川や日高川流域に大洪水がありました(紀州大水害)。



 もちろん洪水は和歌山県だけでなくあちこちでおこります。淡路島の家内の実家は海の近くにあり、家内は子供のころ、何回か浸水被害を経験しているそうです。30年程まえ、ニュースで兵庫県南部で大雨とのことだったので、家内の実家に様子伺いの電話をしましたが、「いま、畳をあげている最中です!」とのことでした。幸いその時は被害はなかったようです。



 谷崎潤一郎の小説『細雪』には昭和13年(1938)7月3−5日の阪神大水害のようすが詳しく書かれ、洪水にまきこまれた四女・妙子の人生の変転が描かれます。この洪水は妹尾河童『少年H』にも出てきます。あの時代の大きな出来事だったのでしょう。



 最近は梅雨や台風の季節に、毎年のように洪水や土石流が起こっています。今年はどうなることやら・・・冷静に危険性を判断し、身を処していかねばと思うばかりですが、今回も過去に記録のない、思いがけない場所で被害が出ているようなので途方にくれます。



#「小説を読み解く」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2021-07-12

nice!(23)  コメント(6) 
共通テーマ:日記・雑感

雨の日にはジャズ [音楽]

 毎日のように雨が降って散歩にも行けないので、音楽を聴いて過ごしています。こんな機会なので、手持ちのジャズのCDを一通り聴きなおすことにしました。買った日に1回聴いてそのままになっているのが結構多いです。



 わたしがジャズを聴くようになったのは 40歳を過ぎてからです。大学生の頃はマイルス・デイヴィスが健在で、周囲からはジョン・コルトレーンとかビル・エヴァンスといった名前が聞こえていました。



 そのうちにジャズとロックの融合とか、フュージョンとか言われるようになり、関心を持つ機会が無くなりました。



 どんなきっかけでジャズを聴くようになったのかと振り返れば、ローズマリー・クルーニーという歌手がコール・ポーターの曲を唄った CDを買ったのが契機でした。それからコール・ポーターという作詞/作曲家に関心を持つようになり、エラ・フィッツジェラルドで聴いたり、トミー・フラナガンというピアニストの CDを集めたりするようになりました。



 またその頃、和田誠が村上春樹と共著で『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮社)という本を出していて、興味をひかれたり、テレビ番組でスタン・ゲッツの『people time』という最晩年の演奏が流されて魅了されたりもしました。



 今回、雨のせいで、毎日ジャズを聴き続けたのですが、やっぱり分からなかったのは、ビル・エヴァンスというピアニストです。世評は高いのですが、以前からわたしには何か取っ付きにくく、今回も4枚ほどかけてみたのですが、やっぱり退屈してしまいました。



 やっぱり、わたしにはジャズが分からないのかと気分が落ち込みましたが、それでも 30年、それなりに楽しんできたのだから、いいじゃないかと自分を納得させます。



 聴いている演奏の録音日を見ると、ほとんどが1950-60年代です。演奏者は1920年代生まれが多く、わたしにとっては”叔父さん”世代の人たちです。ジャズはわたしにとって同時代の音楽ですが、ジャズを聴くといまだにちょっと背伸びした感じになるのは、そんなせいかも知れません。






nice!(22)  コメント(6) 
共通テーマ:日記・雑感