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海岸民族って何? [読書]


 しばらくは出かけられないので、旅行記でもと森本哲郎『空の名残り ぼくの日本十六景』(新潮社)を読んでいると、「日本三景(松島、天橋立、安芸の宮島)」について、< おそらく、遠い昔、日本人は頼りない舟で荒波を乗り越え、やっとの思いでこの列島にたどり着いたにちがいない。その間、波に呑まれてどれほどの人たちが海中に消えたか、その苦難のほどは察するに余りある。彼らが、ひたすら夢みたのは島であり、陸地だった。そして舟を寄せることのできる静かな入江に達したとき、まるで楽園を見つけたように安堵の胸をなでおろしたことであろう。彼らが必死でめざした内海の浜、そのイメージがこの三景に結晶しているのではあるまいか。(中略)/ 周囲を海に囲まれながら、日本人はどうして大海へ乗り出して行かなかったのだろう、というぼくの疑問に、いつだったか、山崎正和氏は「日本人は海洋民族じゃない、海岸民族なんですよ」と言って笑った。> とありました。なるほど。



 確かに三保の松原、須磨、和歌ノ浦、江ノ島など白砂青松の地はどこにでもあり、日本の典型的な風景のひとつでしょう。白砂青松にこころを寄せる日本人を「海岸民族」とは言い得て妙です。そう言えば浦島太郎も天女の羽衣伝説も砂浜が舞台になっています。



 わたしは松島へは行ったことがありません。大学生のころ東北均一周遊券というのを持って 10日ほど東北地方を巡ったのですが、その頃は名所というものには関心がありませんでした。高村光太郎の安達太良山、宮沢賢治の花巻、小岩井牧場、石川啄木の渋民村、恐山などを訪ね歩きました。一種の歌枕巡りだったのでしょう。



 そういえば松尾芭蕉は「奥の細道」の旅で松島を訪れ、< 松島は扶桑第一の好風にして、およそ洞庭・西湖を恥ぢず。> と書いていますが、俳句は載せていません。あまりの風光明媚に絶句したのでしょうか。



 いずれまた東北地方へ行くことがあれば、今度はわたしも松島を訪れてみようと思います。


#「日本人の来た道」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2020-11-07



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そらへい

私も若いころ、東北を旅しました。
十和田湖、奥入瀬渓流、斜陽館、竜飛岬
平泉、渋民村、松島も巡りましたが
そのころの私には、松島の良さがわからなかった気がします。
静かな湾にいくつもの穏やかな島が浮かんでいました。
by そらへい (2023-11-23 15:01) 

爛漫亭

 そらへいさん、1970年代、リュックを背負って東北や
北海道、離島などをよく旅行するのが流行りましたね。
名所巡りとはまた違ったスタイルでしたね。
by 爛漫亭 (2023-11-23 16:07) 

mm

おはようございます^^
東北の旅はしていますが恐山に行ったことが無いです。行きたいところの一つです。
海岸民族、言い得て妙ですね^^
by mm (2023-11-24 06:16) 

爛漫亭

 mmさん、1970年代には放浪とでもいうような旅行が
ありましたね。辺境へ、恐山や離島なども人気でした。
by 爛漫亭 (2023-11-24 08:30) 

middrinn

「予は口を閉ぢて」を新潮日本古典集成の富山奏は「絶景に魂を奪われ
句作ができなかった。」云々と注するのみですが、講談社学術、角川、
岩波の各文庫も指摘してるように、芭蕉は「島々や千々に砕きて夏の海」
という句を松島で詠んでおり、ただ、「会心の発句を得ることが出来ず」
(三木紀人)、『おくのほそ道』では「造化の天工、いづれの人が筆を
ふるひ、ことばを尽くさむ」などと言い訳めいた叙述をしたかと(^_^;)
by middrinn (2023-11-24 16:32) 

爛漫亭

 middrinnさん、さぞ芭蕉も口惜しかったことでしょう。
また、そのことによって松島は、より名を高めることに
なったのでしょう。
by 爛漫亭 (2023-11-24 19:53) 

tai-yama

「大海に乗り出す」と言うと、どうしても「補陀洛渡海船」
なイメージが・・・
by tai-yama (2023-11-25 19:18) 

爛漫亭

 tai-yamaさん、那智の浜から、むりやり大海に流された
ようですね。
by 爛漫亭 (2023-11-25 19:50) 

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