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洪水の記憶 [雑感]

 6月2日の大雨は、よく降り続くなと思っていました。突然、携帯電話がけたたましく鳴って高齢者避難を勧告してきたり、外から救急車やパトカーの走り回る音が聞えてきたりしました。これはなにか被害が出ているのだろうかと不安に感じていましたが、翌日になって近隣の市町村で川の氾濫、浸水などが発生していたことが分かりました。



 被害が出る時の雨の降り方は異様で、強い雨が間断なく長時間続きます。2011年9月4日もそうで、当時、わたしは紀南に住んでいましたが、家内と降り続く雨に不安な気持ちになりました。結局、熊野川や十津川の氾濫、深層崩壊、土石流など、那智勝浦を中心に大きな災害となりました(紀伊半島大水害)。



 和歌山県は大洪水の記録が何回かあります。わたしがまだ幼児で淡路島に住んでいたころ、海に箪笥や家財道具がプカプカ浮いていたことがありました。周囲の大人たちが「紀州から流れてきたんや」と話していたのが、異様な光景とともに記憶に残っています。後から知ったのですが、昭和28年7月18日に有田川や日高川流域に大洪水がありました(紀州大水害)。



 もちろん洪水は和歌山県だけでなくあちこちでおこります。淡路島の家内の実家は海の近くにあり、家内は子供のころ、何回か浸水被害を経験しているそうです。30年程まえ、ニュースで兵庫県南部で大雨とのことだったので、家内の実家に様子伺いの電話をしましたが、「いま、畳をあげている最中です!」とのことでした。幸いその時は被害はなかったようです。



 谷崎潤一郎の小説『細雪』には昭和13年(1938)7月3−5日の阪神大水害のようすが詳しく書かれ、洪水にまきこまれた四女・妙子の人生の変転が描かれます。この洪水は妹尾河童『少年H』にも出てきます。あの時代の大きな出来事だったのでしょう。



 最近は梅雨や台風の季節に、毎年のように洪水や土石流が起こっています。今年はどうなることやら・・・冷静に危険性を判断し、身を処していかねばと思うばかりですが、今回も過去に記録のない、思いがけない場所で被害が出ているようなので途方にくれます。



#「小説を読み解く」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2021-07-12

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神戸のこと [雑感]

 先日、甥の結婚式があって、久しぶりに神戸に出かけてきました。淡路島生まれの人間にとって神戸は県庁所在地であり、買い物や進学、就職など繋がりの強い街です。わたしの母方の曽祖父も家内の父親も神戸で生まれています。わたしの兄たちも家内も阪神間の高校や大学へ進学しています。



 わたしがこどもの頃の昭和30年代は神戸の中心は元町で、連れていってもらう百貨店は元町の大丸でした。その後、ひと駅東の三宮が賑わうようになり、昭和40年に三宮に地下街(さんちか)ができました。高校生の時、三宮駅前のそごう百貨店に「太平洋ひとりぼっち」の堀江謙一さんのヨット「マーメイド号」が展示されていたのを憶えています。駅横の新聞会館では「ドクトル・ジバゴ」などの映画を見ました。映画を見終わって島へ帰ろうと港へ行くと、濃霧で船が出ず、翌日の定期試験にまにあわなかったこともありました。



 神戸からの来客のお土産は、小学生の頃は亀井堂「瓦せんべい」、高砂屋「きんつば」などが多く、その後は風月堂「ゴーフル」、ユーハイム「バウムクーヘン」、モロゾフのチョコレートなどに変わったように思います。子供のとき食べた「きんつば」が懐かしく、食べたいと思っているのですが、機会が訪れません。



 街を歩くと、いろんな思い出が蘇りますが、小学生低学年の頃、両親に連れられて神戸で昼食を食べていたとき、母親が突然、「あなたはいつも、今日はどこそこのレストランでなになにを食べて美味しかったと言ってるのに、なぜ今日はラーメンなの!」と怒りだした光景が記憶に残っています。当時、両親は40代だったのでしょうが、母親としては、久しぶりに神戸に来たのに! という憤慨の気持ちが爆発したのでしょう。どこの夫婦にでもありがちな一幕だろうと、今なら苦笑します。



 そんな神戸ですが、1995年の阪神淡路大震災で、ビルが倒壊し、火災が広がり、高速道路が倒れている姿には驚嘆しました。あれから28年がたち、街は表面上、復興していますが、なんとなく以前の活気がなくなっているように感じられます。わたしが高齢になり、街が発散する刺激を受け止める感受性が鈍ってきているせいかもしれませんが・・・。



#「木枯らしの散歩」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2015-10-26

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散髪屋さんのこと [雑感]

 久しぶりに理髪店にでかけました。この間、髪が長くなると家内に切ってもらっていました。家内はYouTubeで散髪の仕方を研究していました。コロナが下火になり、来月には甥の結婚式もあるので、そろそろ出かけてもいいかなという気持ちになりました。



 この散髪屋さんはわたしが大学生の頃からの行きつけで、もう 50年以上になります。先年ご主人が亡くなり、息子さんに代替わりしています。



 わたしが若かった 1960-70年代は、長髪が流行ったので、少々髪が伸びても気にならないせいか、元々、散髪は年に数回しか行きませんでした。わたしの父親は、毎週理髪に通う習慣だったので、学生の頃は帰省のたびに「散髪に行け」と叱られていました。



 父親の行きつけの故郷の理髪店には、わたしの小学校の同級生がいて、よく一緒に遊びました。その子の母親はお好み焼き屋をしていて、時にご馳走してくれました。また祖父は興行師のような仕事をしていて、旅回りの劇団などを差配していました。床屋の離れには人形浄瑠璃の女師匠さんが暮らしており、友達の父親もわたしの父親もそのオショハンについて義太夫を習っていました。「日も早や西に傾きしに・・・」などと父親は「一谷嫩軍記」の一節を道を歩きながらよく唸っていました。郷里の島では人形浄瑠璃が盛んでした。



 散髪屋の友達は左官さんになったのですが、酒浸りとなり、帰省のおりによくない噂を聞くようになりました。50歳になった年に、故郷で小学校の同窓会が開かれたのですが、幹事をしてくれた同級生が、「あいつが亡くなったので、同窓会ができるようになった」と言っていました。飲んで暴れる状態だったようです。



 剛毛であったわたしの髪も年とともに細くなり、柔らかく白くなっています。共に遊び学んだ悪童たちの、その後の生い立ちが知りたいような気がします。




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4年ぶりの子どもたち [雑感]

 春休みで千葉に住む長男一家が、4年ぶりに帰省しました。成長期の子どもたちは身長が伸び、上の子どもはわたしを見おろすようになっていました。4月から高校生で、大人の冗談にも切り返すようになりました。自分の高校生時代を思い出し、まあ、大人への階段を登り始めているのだろうなと微笑ましく思えました。わたしの本箱にあった英語版のチャーリー・ブラウンの漫画を見つけて、「これ、もらうよ」と抜き出していました。下の子は得意げにトランプ手品を見せてくれました。



 長男は年度末で多忙とかで、帰省中も別室でテレビ会議をし、家族より先に帰って行きました。40代で働き盛りなのでしょう。わたしが子どもたちが成長期であった時代も、仕事に熱中していたなと振り返る思いでした。



 千葉へ帰る日になって、下の子どもが「のどが痛い」と言い出し、鼻水も出しています。「うむ、熱は?」と聞いても、しんどそうに横になっています。慌てて薬局へコロナ抗原検査キットを買いに走り、神妙に家内と嫁が検査したのですが、陰性で、一同安堵しました。帰るのを1日延期してようすを見ましたが、発熱もなく、痛みも改善して、今日は無事に帰りました。



 もう、そろそろ子どもたちだけでも、やって来れそうです。次は夏休みにでも来て、わたしの本箱や CDラックを荒らすようになればと、楽しみにします。4年ぶりの子どもたちの成長に驚いた5日間でした。



#「セミの鳴きかた」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2019-08-06

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隣の人々 [雑感]

 ロシアがウクライナに侵攻して1年になりますが、どんな国が隣にあるかによって、災厄を受ける度合いが異なってくるようです。歴史的にウクライナ、ポーランドなどはロシアの侵略を被りやすいようです。



 ひるがえって日本を見れば、豊臣秀吉の朝鮮出兵など、日本は朝鮮半島に関心があるようです。朝鮮の人々は、何百年かごとに日本が攻めて来るという警戒心を無意識にでも持っているかも知れません。



 ロシアといい日本といい何か国力膨張時の地政学的な行動パターンがあるようです。言うまでもなく、日本とロシアも隣国どうしで、日露戦争を戦った間柄でもあります。



 日本国内に目を向ければ、たとえば東北地方は歴史上、常に征伐され続けている地域です。平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂による征服、源頼朝による奥州藤原氏の討伐、明治新政府軍による奥羽越列藩同盟軍の討伐などと征服が繰り返されています。東北の人々はいつも攻めて来る西方の人々に対して、何らかの心情を抱いているかも知れません。 



 こういった歴史的な行動様式は変更することができるのでしょうか? 迷惑な隣国への対処方法、また迷惑な国にならないための方策を考えるのは、千年単位の課題だと思われます。



 ただ、人類学者のエマニュエル・トッド*は、こども達が結婚しても親と同居する「共同体家族」であるロシアや中国では、父親の権威の下で暮らしているので、政治的にも権威者に従う社会になるというようなことを書いていました。結果、「核家族」で自由主義である米・英とは齟齬をきたす。その国の伝統的な「家族のかたち」が、政治体制に影響を及ぼすとするなら、その国の政治的な行動様式を変更するには、多大な時間を要するのかも知れません。


 

*エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(文藝春秋)


#「ユーラシア漂泊」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2022-02-26


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早春の歌 [雑感]

 日差しが明るくなっていますが、風が冷たく散歩に出かけるのをためらいます。梅林の開花やプロ野球のキャンプの話題が伝えられ、春が近づいている気分にはなります。新型コロナの第8波も収まりかけているので、これでいつもの春がやって来るのかと、やや安堵した気持ちになります。


  しみじみとけふ降る雨はきさらぎの

     春のはじめの雨にあらずや (若山牧水)


 毎年、この季節になると、一雨ごとに暖かくなり、湿度も増し、インフルエンザが消退していく気になっていました。新型コロナも呼吸器感染なのに、季節性が無いのは不思議です。


  風さむき早春の街用のあるごとく

     無きごとくあゆめるあはれ (佐藤佐太郎)


 近頃は、特に用もなく出歩くことが増えました。行ってもいいし、行かなくてもよいといった自由さです。時間に縛られないという気楽さは、幼児のとき以来かも知れません。あまりの自由さにとまどい自嘲する気持ちも感じられます。


   わが心に光さしくるこの朝け

     一花(いつくわ)ひらきて春はいたらむ (安田章生)



 昨日は海岸に出かけましたが、海辺は思う以上に風が強く、帽子が飛ばされるほどで散歩はできませんでした。路傍に水仙が咲き始めていました。近くの漁港で太刀魚やアカイカ、ヒイカ、モンゴイカなどを買って帰りました。春の食卓の気分です。

 
 

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海馬と遊ぶ [雑感]

 ウクライナの戦況をテレビで見ていると、「正露丸」のことを思い出しました。特有な臭いのする丸薬を子どもの頃に呑まされました。大人になって知ったのですが、明治時代、日露戦争に出征する兵士に、食あたり水あたりの薬として携帯させたそうで、「征露丸」という名前だったそうです。


 戦後になって対外的に不穏当だろうと、「征」の行にんべんを取って「正露丸」と改名したのだそうです。


  実家が薬関係の仕事だったので、虚弱ぎみだったわたしは色んな薬を呑んだ記憶があります。なかでも熱が出て下がらなかった時に、サイの角の粉末である「犀角」というのを呑まされたのを覚えています。本当にサイのツノだったかは不明です。


 そういえば「龍角散」というのがありますが、名前からタツノオトシゴが入っているのだろうかと見てみると、杏仁、甘草などの植物性生薬で出来ているようです。


 タツノオトシゴ(hippocampus)は漢字では海馬と書かれ、薬として用いられた歴史があります。内臓を取り除き天日干ししたものだそうです。薬種商であった祖父の家の軒先にはマムシが何匹も干してありましたが、タツノオトシゴは見た記憶はありません。


 人間の脳の中にも海馬と呼ばれる部位があります。記憶に重要な働きをしており、アルツハイマー型認知症に関与していますが、部位の形がタツノオトシゴに似ているのだそうです。


 歳をとると何につけても色んな記憶が蘇ります。いわば自分の海馬で遊んでいるようなものかも知れません。



 

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島の夏祭り [雑感]

 夏になると村はずれの海岸にある神社の夏祭りを思い出します。夕暮れになると父親を「早く!」と誘って出かけました。夜店のアセチレンの明かりと臭いが小さな境内にあふれていました。ギョウセン飴をノミで割って売る店、氷と塩の中で筒を回しながら作るアイスクリン、お面を並べた店、金魚すくいなど心をときめかせました。郷里・淡路島でのことです。当時、父親は 40代だったはずです。


 神社は「枯木さん」とよんでいましたが、正式には枯木神社でした。御神体は「枯木」だと聞かされていました。その枯木につかまって静御前が流れ着いたのだと教えられたように思うのですが、どうも怪しいようです。


 「日本書紀」巻第二十二(推古天皇)には < 三年、夏四月、沈香(じんこう)が、淡路島に漂着した。その大きさは一囲(ひとかかえ)。島人は、沈香とは知らずに、薪といっしょに竈(かまど)でもやした。その煙が遠くまで薫(かお)った。そこでふしぎにおもい、献じてきた。*> と記載されています。


 枯木神社の枯木は香木の沈香だったようです。推古三年といえば 595年です。香木は朝廷に献上したとあるので、今の御神体との関係は不明です。


 何年か前の同窓会で聞いたところでは、夏祭りはもうやっていないようでした。地区の同級生は何とか孫たちに夏祭りを見せてやりたいと復活を模索しているようでした。帰郷のおり車で神社のそばを通りますが、子どもの頃、夜店がいっぱい並んでいた境内が、今見るとあまりにも狭いのに驚きます。


*『原本現代訳 日本書紀(中)』(山田宗睦 訳 ニュートンプレス)


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ささいな事で [雑感]

 1年ほど前から長く歩くと足の母趾が痛くなって、見ると爪の横が炎症を起こしていました。巻き爪になっているようです。数日すると治ってしまうので、放置していましたが、だんだん痛みの頻度が増し、化膿してきたので先日、整形外科を受診しました。


 早速、巻き爪矯正の処置をしてくれました。爪の左右の角に細い針金を引っ掛け、引っ張って、針金を接着剤で爪に固定したようです。痛みもなく10分ほどで終わりました。翌日には巻いていた爪が平坦になっていました。爪が生え変わるまで、数ヶ月は経過観察する必要があるようです。


 巻き爪の原因はいろいろあるようですが、私の場合、引きこもり生活で歩行量が少なくなり、足底への圧負荷が減ったのが主原因ではないかと思われます。ちょうどコロナ禍や病気やらで、ここ数年はすっかり外出が少なくなっていました。


 巻き爪矯正処置を行ったので、これからは時々出かけようと思っていますが、コロナは第7波の兆しが見られます。毎日、薬を服用している身なので、弱毒化しているとはいえコロナに感染した場合の病状の予測がつきません。


 3年前、長兄、三兄が相次いで人工呼吸器に繋がっているのを見舞いに行ったので、肺炎はかなわんなと思います。


 爪の湾曲が少しきつくなっただけで、トゲが刺さるように痛んで歩けなくなってしまう。ささいな事が原因で簡単に日常生活はさし障りを受けます。


 普段、何気なく暮らしていて、いつのまにかのちょっとした変化が、ある日、困り事として現れるというのは、誰でもよく経験することです。蛇口から水が漏れ出したり、車の窓が動かなくなったり、水管橋が崩落したり、日頃のメンテナンスは大切ですが、際限がなく、いき届かないのが日常というもののようです。


「からだで生きている」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2018-10-15

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子供という種族 [雑感]

 昔のスライド写真をスキャナーで取り込んでいると、子供たちが生き生きと休みなく動きまわっている姿が現れます。どこで撮ったのか記憶にない写真がたくさん出てきます。ふざけたり、木に登ったり、道に転がったり画面からはみだすような活動ぶりです。長男が10歳、次男が6歳の頃です。


IMG00035.jpg


 大人たちは憮然と立っていたり、すましていたり、微笑していたり、あまりエネルギーの発散は感じられません。


 先ごろ読んでいた作家のサロイヤンが、< 子供という人種は元気で熱心で、物を知りたがり、無邪気で空想力に富み、健康で信念に充ちている。これに反して大人という種族はだいたいにおいて萎びて無気力で空想力がなく、不健康で信念を持っていない。 >* と書いているのを読んで、苦笑しながらも同意せざるを得ませんでした。


 いま取り込んでいる色褪せたスライドは 34年前のものなので、ちょうど一世代が経過して、画面の子供たちは父親の年になり、新しい子供たちが活躍するようになっています。萎びて無気力で不健康な世代は過ぎ去った時間の中に想いを馳せます。


*『ウィリアム・サローヤン戯曲集』(加藤道夫/倉橋健 訳 早川書房)

#「セピア色の画像」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2022-06-04

#「読み比べも楽し」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2022-04-08

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