ワルシャワの少年 [読書]
ウクライナの情況を毎日のようにテレビで見せられていると、あの辺りの国々の過酷な歴史を思わずにはいられません。侵略されたり、分割されたり、隷属させられたりです。またウクライナのゼレンスキー大統領をはじめ、2000年程前に離散したユダヤの人々があの辺りに多く居住しているのを知ります。
ユダヤ系の人としてはマルクス、フロイト、アインシュタインといった 20世紀に深く影響を与えた人物をはじめ、音楽界では指揮者のワルター、バーンスタイン、ピアニストのホロヴィッツ、ルービンシュタイン、アシュケナージなど、またマーラー、ガーシュウィン、スタン・ゲッツ、ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクルなど綺羅星のごとくで、影響力の大きさは計り知れません。
先日、アイザック・バシュヴィス・シンガーの回想記『ワルシャワで大人になっていく少年の物語』(金敷力 訳 新潮社)を読んでみました。シンガーはイディシュ語という東欧ユダヤ人の言葉で書くアメリカの作家で、1978年にノーベル文学賞を受賞しています。
著者が3歳の 1908年、当時、ロシア帝国領であったポーランド・ワルシャワの近郊の村から一家でワルシャワへ転居するところから物語は始まります。父親はラビ(ユダヤ教の牧師)で、母親はラビの娘という宗教的な家族でした。
< 小さな汽車は動きはじめた。わたしは窓辺に坐って外を見ていた。人々の姿がうしろに歩くように見えた。二輪馬車は後ろ向きに走っていた。電信柱が走り去っていく。そばには母と姉が坐った。姉は赤ん坊、つまり弟のモシェをひざに抱いていた。>
一家がワルシャワで住み始めたアパートは、< 階段にもひどく悩まされた。子どものなかには屋外便所よりも階段で済ます方が好きなものもいたからだった。さらに困ったことにここを台所のゴミの捨場に使う女がいた。 > というような環境でした。ラビの父親は担当街区内でおこる訴訟や結婚、離婚などの相談を収入源としていました。
< ひとりの女が入ってきた。彼女は二羽のガチョウが入ったカゴを抱えていた。顔にはおびえたような様子うかがえた。既婚を示すカツラはずり落ちそうだった。彼女は神経質そうに笑みをうかべた。/ 父は見知らぬ女には目を向けなかった、ユダヤの律法で禁じられていたからだ。しかし、母やわたしたち子どもは、この予期せぬ訪問者がなにかひどく動転しているのをすぐに感じとった。/「なんじゃね」父は彼女を見ないように背を向けると同時にたずねた。/「ラビさま、わたし、とてもただごとでない問題をかかえてしまったのです」>
女はガチョウが料理用に処理したのに、きいきいと哀しげな声で鳴くというのです。この話を聞いたとたんに父の顔は真っ青になった。実際に女が二羽のガチョウを取り出して、互いにぶつけあうとガチョウが、きいきいと鳴きました。<父は女から目をそむけねばならないという掟を忘れてしまった。(中略)おそらくこれは邪神からの、サタン自身からの、合図ではなかろうか? > と父親はつぶやきます。
母は哀しそうな、また怒りのこもった目でなりゆきを見ていましたが、ガチョウの首に指を突っ込み喉笛を引っ張り出しました。「死んだガチョウが鳴いたりはしないんですから」と母は言った。
サライヴォでオーストリアの皇太子が暗殺され、第一次世界大戦が始まりました。兄はロシア軍に徴兵されることになりますが、身を隠しました。< わたしのうちにはとなり近所の人たちのように、食料を買いだめするおカネはなかった。>< 父は、戦争は二週間でけりがつくっていう話をきいたといった。「あいつら一発で一千人のコサック兵を殺せる大砲をもってるんだ」/「まあ、怖い話・・・」母は叫んだ。「世界はどうなるんでしょうねえ?」/ 父は、「いいかい、もう家賃を払わなくていいんだ。政府が支払い猶予令を布告したからな・・・」といって母をなぐさめた。/ 母は続けた、「それじゃ、訴訟を頼みにくる人がなくなるじゃない。どこで、食べるおカネを稼ぐの?」>
ユダヤの人々の日常の暮らしが少年の目で綴られています。宗教教育の様子、独特な習俗など未知の世界が窺い知れます。
読み進むにつれ、東欧の歴史とユダヤ人社会の関わり、その後のワルシャワの人々の運命などいろいろに想いが広がります。
作家となったシンガーは 1935年、兄の勧めもあり、アメリカへ移住することになります。ヒットラーとソ連軍がポーランドに侵攻する4年前のことでした。