元禄の秋 [読書]
『古句を観る』という文庫本があります。柴田宵曲という人が、江戸時代・元禄期(17世紀末頃)の有名でない人の、有名でない俳句を集め、歳時記風に並べて、一句ごとに思うところを書き付けたものです。
夕すゞみ星の名をとふ童かな (一徳)
元禄の子供も星の名前に興味があったのかと驚きます。平安時代の『枕草子』に・・星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。・・とあるくらいですから、いくつかの星に名前が付いていたのでしょう。
庭砂のかわき初(そめ)てやせみの声 (北人)
雨がやんで、土が乾きはじめると、一斉にセミがなき出す。近代俳句の観察を先取りしたような趣きがあります。
深爪に風のさはるや今朝の秋 (木因)
目にはさやかにみえねども、深爪の傷にさわる風に、秋を感じるという訳です。元禄の人はどんな道具で爪を切ったのでしょう?
木犀(もくせい)のしづかに匂ふ夜寒かな (賈路)
「しずかに匂ふ」という言葉は平凡そうで、なかなかしっくりとした表現です。秋の深まりが感じられます。ここに出てくる作者の名前は聞いたことも見たこともない名前ばかりです。
秋の日や釣する人の罔両 (雲水)
「罔両」は「かげぼうし」と読むのかと著者は記しています。魑魅魍魎(ちみもうりょう)の魍魎です。辞書には山川木石の精霊のこと、うっすらとした影などとあります。鮎釣りでもしているのか、秋の空気を際立たせています。
手のしはを撫(なで)居る秋の日なたかな (萬子)
<人生の秋に遭遇した者の経験しやすい心持なのかも知れぬ > と著者は書いています。この本は昭和18年に出ているので、柴田宵曲は45歳くらいだったはずです。わたしも最近、手や腕に細かいシワが増えたなぁと眺めることがあります。
こうして本を繰っていると、300年前の人々の感性が身近に感じられます。芭蕉、其角、去来といった有名な俳人とはまた違った親しみやすさがあります。柴田宵曲は正岡子規門に連なる人なので、彼の目にとまった句を集めているので、選択にはそれなりにバイアスがかかっているのでしょうが、元禄のころの人々の雰囲気が味わえる一冊です。
俳句の中にいろいろな想いを込めて詠んだのですね。
俳句ってすごいと思います。
季語を理解し少し勉強しないと詠めそうにないですが
昔の人の感性は今と通ずるものなのですね。
by yoko-minato (2024-09-18 16:42)
yoko-minatoさん、300年前の人の感性も、案外変わらない
のに驚きました。よく有名でない人の有名でない句を集めよう
と思ったものです。
by 爛漫亭 (2024-09-18 17:28)
名もなき人たちの句を集められたものが残っているんですね。
そしてその一つ一つの俳句に甲乙つけがたい
人の息遣いのようなものが聞こえてきます。
本来あるべきものを教えられている気がします。
by そらへい (2024-09-18 19:45)
そらへいさん、何ともない句ですが、それぞれ味わいが
ありますね。芭蕉や其角は作らない句かも知れません。
こんな本を企画した柴田宵曲の人柄なんでしょうか。
by 爛漫亭 (2024-09-18 20:35)
有名でない人の(市中では)有名な俳句もあったのかも。
川柳なんか、今でもそのまま使えるものもありますね。
by tai-yama (2024-09-18 22:49)
tai-yamaさん、封建時代といわれる世の中に生きていた
人たちの日常がしのばれます。そういえば啄木もじっと手を
見ていましたね。
by 爛漫亭 (2024-09-19 08:54)
こんばんは^^
そんな昔のハイクとは思えないですね。現在でも十分に想像できる場面です。
そう言えばわたくしの子供のころ爪切りはなく、普通のハサミで切っていました(戦後すぐのころですからね)
by mm (2024-09-20 21:02)
mmさん、300年経っても、感覚はそんなに変わらない
ですね。自分自身、若い頃とそんなに変わってないように
思っています。300年といっても生きてきた年のたった4倍
ですね。
by 爛漫亭 (2024-09-20 22:17)