紀伊半島を奥がける [徘徊/旅行]
先日、昼食を食べに出て、久しぶりにちょっとドライブしようという気持ちになり、とりあえず京奈和自動車道で奈良県五條市まで走りました。さて、どうするかと思い、ふと五新線という奈良と新宮を結び、紀伊半島を縦断する山道の途中にある「谷瀬の吊り橋」まで行ってみようということになりました。途中には幕末の天誅組の本陣跡もあります。いつもの我が家の無計画な徘徊です。
谷瀬の吊り橋は十津川に架かり、長さ 297m、高さ 54mあり、歩くたびに少し揺れます。今までにも何回か来ていますが、真ん中あたりまで行き、はるか下を流れる川を眺め引き返します。川風に吹かれていい気分です。
これで帰ろうと思ったのですが、標識を見ると熊野本宮大社まで 44キロとあり、ここ数年、コロナ禍で初詣にも行っていないので、参拝することにしました。以前に比し、道は広くなっていましたが、一部、細い所もあり、五新線を走る定期バスに出会うと対向に不安になりましたが、夏山の緑、深い熊野川の谷を眺めながらのドライブは爽快でした。何十キロも信号がないので3時半ころには本宮に到着しました。
熊野本宮大社の石段は 158段あり、途中で息が上がります。今まで何回訪れたのか分かりませんが、年と共に段々と足が重く感じられます。大社のシンボルは三本足の八咫烏(やたがらす)ですが、千何百年か前、西から来た東征軍が新宮あたりで上陸し、八咫烏に導かれ川筋を北上し、大和に侵攻したのでしょう。
熊野川の東側には大峰修験の奥がけ道が縦走し、吉野には南朝の歴史があり、西には真言密教の高野山があります。紀伊半島の山中は政変と宗教の気配が息づいています。
4時半に本宮を出て、熊野古道・中辺路沿の道を田辺に下り、日のある内に和歌山市に帰り着きました。昼食後の半日で、紀伊半島を四分の一周(300キロ)出来るとは、以前では考えられないことでした。ここ20年で山の中の道はトンネルや拡幅で整備が進んだようです。
真夏は過ぎて [雑感]
関西ではお盆が過ぎれば、夏も終わりが近づいた気分になります。子供の頃、お盆の後は、初盆の精霊流しがあったり、クラゲが増えたりするので、もう泳ぎませんでした。泳いでいるのは何も知らない都会の人だけと言われていました。
残った夏休みの宿題をどうするか、子供なりに気が重くなります。過ぎた日の日記を書こうにも、その日の天気が分からない。母親に聞いてみると、毎日書かないからだと叱られる。工作はどういう訳か父親が熱心にやってくれ、とても子供が作ったとは思えない物ができる。
昭和30年代、海辺の小学校にはプールはなく、歩いて 10分ほどの海で泳ぎます。前もって当番の児童が海水温を計りにいき、25度以上あれば泳ぎます。海と砂浜は子供達の毎日の遊び場でしたが、水泳大会になると内陸部の小学校が優勝しました。「あいつらいつもプールで泳いでるからな」と悔しがりました。海辺の子供達はプールで泳いだことが無かったのです。
わたしには2歳年上の兄がいましたが、5歳のとき、海で亡くなりました。兄弟のなかで最もきかん気で、父親は将来を楽しみにしていたそうです。わたしは1枚だけ残っている写真で顔を知っているだけです。年がいってから、腰の曲がった母親は孫たちが海へ泳ぎに行くと、日傘をさし、浜辺で見守っていました。
甲子園の高校野球も大詰めとなり、暑かった今年の夏も過ぎようとしています。日没が少し早くなり、季節の移り変わりが実感され、また1年経ったと夏休みの終わりを感じる子供と同じような気持ちになります。
夕焼けも海の匂も消えしとき (久保田万太郎)
ある朝の浮べる秋の雲なりけり (安住 敦)
ラ・マンチャの男 [読書]
世界で最も有名な物語・小説の主人公は、ドン・キホーテかも知れません。ロビンソン・クルーソーとかガリバー、また古くは光源氏もいますが、世界的な知名度としてはドン・キホーテが上でしょう。
ほかに誰かいないだろうか?と頭を巡らしても、思い浮かびません。ウェルテル、アンナ・カレーニナ、トム・ソーヤ・・・とてもドン・キホーテには敵わないでしょう。劇ではハムレットがいますが、シェイクスピアと『ドン・キホーテ』の作者・セルバンテスは同時代人で、奇しくも同じ 1616年に亡くなっています。
当時、スペインで出版された『ドン・キホーテ』は広く読まれたそうで、英語にも翻訳されたのでシェイクスピアも読んだ可能性があるそうです。
わたしは大学生の頃に新潮社版(堀口大學訳)で読んだのですが、それは前篇だけの翻訳で、『ドン・キホーテ』には後篇もあるとのことで、いずれ読もうと思い、大学を卒業した頃に丁度出版された会田由訳『才智あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ 前篇・後篇』(筑摩世界文學大系15 セルバンテス)を買いました。
いつか読もうが 50年経って、わたしはとても読む気力も視力も無いのですが、家内はドン・キホーテを読んだことがないので、今回、家内が朗読しようということになりました。家内は以前に観た松本幸四郎が演じるミュージカル『ラ・マンチャの男』のイメージがあるようです。
三段組で 679ページある重い本なので、果たして読了出来るかどうか分かりませんが、3週間程前から一日5ページ程ずつ読み始めました。半年位の予定ですが、 17世紀の古い物語なので、いつ飽きるか、また前篇で止まらないか? 家内は「なんか幸四郎とは違うわね」と言っています。ドン・キホーテに比すべき無謀な試みですが、今のところ、昼寝前の読み聞かせとして続いています。
#「本棚で待っている本」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2022-06-20
辰ケ浜の魚 [食物]
昨日、有田の辰ケ浜漁港へ出かけました。午後3時頃に船が帰ってきます。エンジンの音、リアカーで漁獲物を運ぶ人、空には鳥たちも集まってきて、市場ではセリが始まり、港は活気付きます。
今回は太刀魚、ハゲ、サワラ、シラス、イイダコを買ってきました。新鮮で美味しく安価です。
辰ケ浜漁港は温州ミカンで有名な有田川の河口にあり、近隣では最大の漁港と思われ、何百艘という漁船が見られ、これだけの船で人が暮らせるだけの漁獲量があるのかと思うと頼もしくなります。
有田(ありだ)は高校野球の県立箕島高校でも有名です。ライオンズの東尾修投手、バファローズの吉井理人投手(現マリーンズ監督)などを輩出し、尾藤監督のもと、1979年8月16日の甲子園での石川の星稜高校との熱戦は伝説になっています。法政大学へ行って4番を打っていた島本啓次郎選手に東京から女学生が何人も花束を持って訪れたとか、江川卓投手が来たとか、地元では野球選手の話題にことかきませんでした。昭和50年代のことです。
有田市はJRの駅名も「箕島(みのしま)」です。<JR「紀伊有田(ありた)」駅は100キロ以上南の串本に別にあります。> もともとは箕島村であったのが、合併して箕島町となり、また合併して有田町、そして有田市になったようで、駅名は昔のままになっているようです。
最近は箕島高校が甲子園に出ることはなくなり、変わって「智辯和歌山高校」が今年も出場しています。オリンピックに高校野球と暑い夏に熱戦が続きます。猛暑に食欲が落ちているのですが、しばらくは美味しい魚で元気が回復します。