柳かげで [音楽]
柳は街路樹や川辺の木として人の暮らしになじみ深い樹木です。平安時代末期に西行は奥州へ旅したおりに詠っています・・・
道のべの清水流るゝ柳かげ
しばしとてこそ立ちどまりつれ
室町時代になって、その柳の精が登場する『遊行柳』という能が作られ、舞台は今の栃木県の那須・芦野ということになります。
西行から500年たって、松尾芭蕉は奥の細道の旅で蘆(芦)野に立ち寄り、詠んだ句が・・・
田一枚植ゑて立ち去る柳かな
芭蕉は西行が「しばし」休んだのが、早乙女が田を一枚植える程の間だったかと俳句的にユーモラスに推測しています。
芭蕉の72歳年下の与謝蕪村も若い頃、やはり奥州を巡って詠んだ句が・・・
柳散清水涸石処々
柳散り清水涸れ石ところどこ*・・・と読むようです。中国・宋の蘇東坡(蘇軾)の「後赤壁賦」にある ”水落石出” を掛けて、感慨を表現しているようです。蕪村が訪れたのは神無月で、柳は葉を落とし寂れていたのでしょう。
柳一本で600年近い歳月が繋がっているのに驚きます。歌枕という地霊の持つ引力なのでしょう。
ヤナギといえば枝垂れ柳が思い浮かびますが、種類が多くネコヤナギのように枝が上向きなのは「楊」と書くそうです。辞書をみると、枝垂れ柳は英語では weeping willow と言うようです。すすり泣く柳といえばやはり幽霊の出る場所に相応しい雰囲気です。
アメリカのスタンダードに「 Willow weep for me 柳よ泣いておくれ」という唄があります。ビリー・ホリデイやエラ・フィツジェラルドが唄い、ウイントン・ケリーやトミー・フラナガンなど多くの人が演奏しています。1932年にアン・ロンネルという女性が作詞・作曲してジョージ・ガーシュウインに捧げたそうです。歌いにくそうな曲で、なぜ多くの歌手や演奏者が取り上げるのか不思議です。
柳よ、私のために泣いておくれ。
海にそそぐ川のそばまで枝を曲げて、
私の打ちあけ話を聞いておくれ。
恋の夢は去った。**(後略)
柳の精に語りかけているような失恋の唄です。そういえば西行の出家は叶わぬ恋が原因だったという説もあります。「柳かげ しばしとてこそ」とたたずんだ西行は、遥かな来し方に想いを馳せたのでしょうか。
*清水孝之 校注『新潮日本古典集成 璵謝蕪村集』(新潮社)
**和田誠『いつか聴いた歌』(文藝春秋)
淡路島ドライブ [徘徊/旅行]
先日、4年ぶりに淡路島に帰郷してきました。和歌山から阪神高速湾岸線を経由し、明石海峡大橋のたもとのサービスエリアまで3時間です。天気も良く、大橋を眺めながら、昼食にタコのから揚げを食べましたが、思うより軟らかく美味しくいただきました。
私達は夫婦共に淡路島の生まれで、まず私の実家へ行き、跡を継いでいる兄夫婦に会いました。私は兄弟が多かったのですが、今はもうこの兄と2人だけになっています。お互いの最近の体調を報告しあい、90歳になる叔母の様子や、いとこ、甥、姪たちの近況を聞きました。
淡路島は橋で阪神間とつながり、その割に地価が安いとのことで、移住者が増え、遊興施設やレストラン、宿泊施設などが急増し、景観が変化しています。しかし元々の島民は減少し、私の出た小学校は廃校になり、村の八百屋も魚屋も無くなり、かといってコンビニもなく、生活の基盤が崩壊しています。そんな村に休日になると車が押し寄せ渋滞します。
蛸壺やはかなき夢を夏の月 (松尾芭蕉)
翌日は家内の実家を訪れました。義兄は4年会わなかった間に、足腰が弱り、介護保険で歩行訓練をしているそうです。一緒に近くに出来た食堂で、昼食に淡路牛を食べました。食後、近所に住む私の友人に15年ぶりに会いました。波瀾万丈の人生を送った人で、今年は年賀状の返事がなかったので心配していましたが、力のある声で相変わらず冗談を言っていたので安心しました。同級生たちの噂話を聞かせてもらいました。
同じ町に住む家内の叔母の家に伺うと、89歳の叔母は生きている内に会えたと大喜びしてくれました。耳が遠いので普段は電話にも出られないので、私たちの訪れを心待ちにしていたようです。4年の間に叔母はなにか表情が丸くなったように感じられました。髪染めを止めたのか髪が真っ白になっていたせいかも知れません。秋には法事にまた帰って来るよと言って別れました。
予定していた訪問を終えて、島を半周ほどドライブしました。洲本市は時期は違いますが、私達が中学・高校の6年間を過ごした場所です。道や橋のようすが違っているので、街の中で迷ってしまいました。書店などのあったアーケード街はほとんど全ての店がシャッターを降ろしていました。街中の道は、学生時代には普通の道と思っていましたが、車が対向できないような道ばかりでした。
ドライブから宿に帰り、夕食にはハモとアナゴを食べました。瀬戸内海の食べ物です。会いたいと思っていた人たちと話ができ、懐かしい街の雰囲気を眺め、食べたかった物が食べられた申し分のない小旅行だったと、また明石海峡大橋を渡って帰路に着きました。
ピアノ・トリオを聴きながら [読書]
今年の1月にマイク・モラスキー『ジャズピアノ上/下』(岩波書店)という本が、毎日新聞の書評欄で紹介されていたのですが、書店に行くと同著者の『ピアノトリオ』(岩波新書)というのが平積みされていました。前書は2巻本の大著ですが、こちらは新書なので、とりあえず読んでみることにしました。「モダンジャズへの入り口」という副題が付いていました。
著者は1956年セントルイス生まれで、ジャズ・ピアニストの経験があり、早稲田大学教授でもあり、『戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ』(青土社)でサントリー学芸賞を受賞しています。編集者の手助けがあったようですが、良く分かる日本語で書かれています。
読み出してまず驚いたのは、「パーツ別に聴く」ということでした。どうしてもメロディが耳につくのですが、ベースがリズムとハーモニーの基本になっているので、まずベースの音を聴く。ピアノは左手の音を聴き、また別に右手の音を聴く。ピアニストによって手の使い方に特徴があるそうです。
なんともマニアックな聴き方だなと思ったのですが、試してみると確かに、今まで聴いていなかった細部に耳がとどき、演奏が立体的なった気がします。左手は時々コードを鳴らすだけの人、常に左手が音を出しているピアニストなどいろいろなことに気が付きます。
ビッグ・バンドの演奏だと大きなホールが必要ですが、小さなバーやクラブ用に、また演奏中にも飲み食いできるようにピアノ・トリオが作られたとか、初期のピアノ・トリオはピアノ、ベース、ギターの組み合わせだったが、1950年代半ばからギターに代わってドラムになったとか、ジャズの歴史が所々で語られています。
そしてピアノ奏法・・・ユニゾン奏法、ブロックコード、ロックハンド奏法といった素人には理解しにくい話もありますが、その後、ジャズ・ピアノの名盤についての具体的な解説が続きます。
例えばレッド・ガーランドのアルバム『グルーヴィー』について、1曲目の <「Cジャム・ブルース」の 1:25-1:40 におけるガーランドの左手のリズムに注目したい。(中略)この一五秒間を繰り返し聴いてもらうことになる。目的は、読者自身が身体でガーランドの左手が刻むリズムを感じ取るようになることである。>
確かに漫然と聞き流していては、分からないことが聴こえてくるのかも知れません。今後はせめてピアニストの左手と右手を意識して聴いてみようかと反省させられた読書でした。
敦賀のあたり [雑感]
今年3月から北陸新幹線が敦賀まで延伸されたのですが、関西から北陸へは、今までは特急「サンダーバード」で直行できたのが、これからは敦賀で新幹線に乗り換えなければならなくなりました。不便になりました。お客さま本位というなら、直行便を復活して欲しいものです。
敦賀はほとんど通り過ぎるばかりで、車で出かけた時に一度立ち寄ったことがあるだけです。駅前の店でアマエビを食べたのですが、後で下痢になり困った思い出があります。また北陸からの帰りに高速を敦賀で降りて、若狭の小浜を通り、鯖街道で京都へ出たのは楽しい記憶になっています。
敦賀といえばレッドソックスへ行った吉田正尚選手やバファローズに来た西川龍馬選手の出身校の敦賀気比高校が思い浮かびます。良い指導者がいるのでしょう。敦賀には気比神宮というのがあって、「奥の細道」の帰路、松尾芭蕉も参拝しています。<【旧暦八月】十四日の夕暮、敦賀の津に宿を求む。/その夜、月殊に晴れたり。「明日の夜もかくあるべきにや」と言へば「越路の習ひ、なほ明夜の陰晴はかりがたし」と、あるじに酒すすめられて、気比の明神に夜参す。*>とあります。翌日はやっぱり雨だったそうです。
以前読んだ泉鏡花『高野聖』という小説には敦賀が出てきました。汽車の中で<・・・聞けばこれから越前へ行って、派は違うが永平寺に訪ねるものがある、但し敦賀に一泊とのこと。/若狭に帰省する私もおなじ処(ところ)で泊まらねばならないのであるから、そこで同行の約束が出来た。**>という訳で、二人は敦賀の宿に同宿する。眠るまでの時間を、高野聖に諸国行脚でのおもしろい話をしてくれるよう頼むと、僧が語り始めたのが、飛騨から信州へ越える道で遭遇した奇々怪々な出来事で、読者を別世界へ誘い出して行きます。
敦賀のあたりは魚の美味しい所で、20年ほど前に三国で、ノドグロという焼魚を食べ、こんなにうまい魚があるのかと驚いたことがあります。アカムツとも称ばれるそうですが、白身なのに全身に油が多く、しかもあっさりしています。そのとき連れていた息子は、味が忘れられないのか、数年前に三国へ行ったけれど、あの店が無くなっていたと残念がっていました。北陸から若狭にかけて、また出かけたいなと心が弾みます。
*冨山奏校注『新潮日本古典集成 芭蕉文集』(新潮社)
**泉鏡花『高野聖』(青空文庫)