麦わら帽子の夏 [雑感]
猛暑が続いています。朝から室温が28℃もあり、雨戸を開けると蝉の大合唱です。熱中症が身近に感じられ、脱水がないか、つい皮膚をつまんでみます。子供のころ、夏には麦わら帽子を被り、虫取網を持って蝉取りをしたり、午後には家から海水パンツひとつで海水浴に出かけたりしましたが、今ほど暑くはなかったように思います。
先日、作家の森村誠一さんが亡くなられましたが、わたしは読んだことがないのですが、昔、「人間の証明」という小説の映画化のテレビ宣伝に、西條八十の「ぼくの帽子」*という詩が使われていたのを思い出しました。
ー 母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谿底へ落としたあの麦稈帽子ですよ。
(後略)
「麦稈」というのは麦わらを真田紐のように編んだもので、麦わら帽子の材料なのだそうです。喪失したものへの愛惜、それには母への追慕がひそんでいるとも感じられ、いっとき感傷にとらわれます。
1976年から始まった角川映画の第2作でしたが、「読んでから見るか、見てから読むか」など宣伝がキャッチーでした。この西條八十の詩句も多くの人の耳底に残っていることでしょう。
今年は暑くて長い夏になりそうです。このままでは甲子園球児も消耗することでしょう。観客も麦わら帽子をかぶる程度で観戦できる天候であってほしいものです。
*題および詩句は初出雑誌、詩集、全集によって異同があるようです。(追記)