SSブログ

あのころの暮らし [読書]


 昔の写真を見ると、今では見かけなくなった物が写っています。そういえば風呂敷も最近は見なくなりました。どこかのお家へ菓子箱を包んで持参したり、書籍をくるんで持ち歩いたり、スイカを運んだり・・・用途によって絹と木綿を使い分けました。1970年代ごろに丈夫な手提げ紙袋が普及して、風呂敷は廃れたのでしょう。



 風呂敷は子供の暮らしにも必需品で、股旅ものの合羽になったり、月光仮面のマントになり、鞍馬天狗の頭巾にもなりました。



 山本夏彦・久世光彦『昭和恋々 あのころ、こんな暮らしがあった』(清流出版)は左ページに古い写真を載せ、そこに写った”物”についてのエッセイを付けていますが、前半は「戦前を見に行く」と題して、山本夏彦が担当し、後半は「過ぎ行く季節のなかで」として久世光彦が分担しています。最後に二人の対談が付いています。



 左ページの写真を眺めると、二人のエッセイとは別に、写っている物にまつわる個人的な思い出や感慨が浮かんできます。山本夏彦は大正4年東京生まれ、久世光彦は昭和10年東京生まれ、わたしは昭和23年兵庫県生まれなので、「あのころ」といっても、思い浮かべる時代も場所もそれぞれ違っています。



 二人の対談の始めに久世も、<(前略)先生が言う「あのころ」と私の「あのころ」では、かなり違うと思います。先生は昭和十年から遡って関東大震災(大正十二年)のころまで。私は(中略)昭和十五年ごろから、東京オリンピック(昭和三十九年)の前あたりが私の「あのころ」だと思っています。> と語っています。わたしにとって「あのころ」とはいつだろう? 昭和30年ごろから1970年代でしょうか。山本夏彦の「あのころ」の話はわたしには知らなかった事柄が多く、啓蒙的でした。



 駄菓子屋の写真に山本夏彦は、< 広い東京だから駄菓子屋の五軒や十軒はまだ残っているだろうが、雑司ヶ谷の鬼子母神(きしぼじん)境内の店を駄菓子屋の代表として写してもらった。創業は元禄のころの由、店も建ててから二百年はたっていると九十九まで生きていた先代のばあさんから伝え聞いたと、いま十三代目に当たる女房が言うから本当だろう。> と写真を説明し、続けて駄菓子屋に類した店が舞台になった樋口一葉の「たけくらべ」の世界を取り上げていました。



 一方、久世光彦は別のページで別の駄菓子屋の写真を載せ、< 東京・赤坂の一等地一ツ木通りから少し入ったところに、高そうなレストランやクラブの入ったビルに埋もれるように、間口二間ばかりの駄菓子屋が一軒、冗談か嘘みたいに、ポツンとある。(中略)/ 何度、中へ入って、いつからとか、どうしてとか、訊ねてみたいと思ったかしれない。しかし、その度に思い止まる。それを訊いてしまったら、あくる日から、忽然とこの店が消えてしまいそうで、怖いのである。> と久世光彦的に記しています。



 こんな調子で、この本には下宿屋、蕎麦屋、割烹着、足踏みミシン、蚊帳、物干し台、七輪、虚無僧・・・など60葉以上の写真がエッセイとともに掲載されています。出版されたのが 1998年なので、それからまた四半世紀が過ぎているので、写真はもう夢、幻の世界のようになっています。お盆の時期に、写真を見ながら、人それぞれの「あのころ」を思い出してみるのもいいかも知れません。




#「映画の中の風景」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2019-09-03

#「時代の変わり目」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-08-20


昭和恋々―あのころ、こんな暮らしがあった

昭和恋々―あのころ、こんな暮らしがあった

著者:山本夏彦・久世光彦

  • 出版社: 清流出版
  • メディア: 単行本

nice!(25)  コメント(8) 
共通テーマ:日記・雑感