隣の人々 [雑感]
ロシアがウクライナに侵攻して1年になりますが、どんな国が隣にあるかによって、災厄を受ける度合いが異なってくるようです。歴史的にウクライナ、ポーランドなどはロシアの侵略を被りやすいようです。
ひるがえって日本を見れば、豊臣秀吉の朝鮮出兵など、日本は朝鮮半島に関心があるようです。朝鮮の人々は、何百年かごとに日本が攻めて来るという警戒心を無意識にでも持っているかも知れません。
ロシアといい日本といい何か国力膨張時の地政学的な行動パターンがあるようです。言うまでもなく、日本とロシアも隣国どうしで、日露戦争を戦った間柄でもあります。
日本国内に目を向ければ、たとえば東北地方は歴史上、常に征伐され続けている地域です。平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂による征服、源頼朝による奥州藤原氏の討伐、明治新政府軍による奥羽越列藩同盟軍の討伐などと征服が繰り返されています。東北の人々はいつも攻めて来る西方の人々に対して、何らかの心情を抱いているかも知れません。
こういった歴史的な行動様式は変更することができるのでしょうか? 迷惑な隣国への対処方法、また迷惑な国にならないための方策を考えるのは、千年単位の課題だと思われます。
ただ、人類学者のエマニュエル・トッド*は、こども達が結婚しても親と同居する「共同体家族」であるロシアや中国では、父親の権威の下で暮らしているので、政治的にも権威者に従う社会になるというようなことを書いていました。結果、「核家族」で自由主義である米・英とは齟齬をきたす。その国の伝統的な「家族のかたち」が、政治体制に影響を及ぼすとするなら、その国の政治的な行動様式を変更するには、多大な時間を要するのかも知れません。
*エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(文藝春秋)