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言葉の錬金術師たち [読書]


 文字数の多い本は暑くるしいので、本箱の奥から田村隆一『ワインレッドの夏至』(集英社)という詩集を取り出しました。余白が多くて涼しげです。


   「おれ」を表現するためには

   沈黙を創り出す以外にない

   樹木の枝からたわわに垂れさがる果実 

   のごとき沈黙* 


 こんな詩句が目に止まります。いかにも手なれた、老詩人の手品のような表現です。この詩集は 1985年に出版され、田村隆一は 62歳でした。



 「アンライセツとは どういう祝日ですか」

 八十八歳でこの世を去った

 詩人の西脇順三郎が

 ある夏の日

 教え子の英文学者に真面目な顔をしてたずねたそうだ

 「アンライセツ? 紀元節、天長節、明治節なら、ぼくにだって分

 りますけど どういう字をかくのでしょう」

 四十男の英文学者は、キョトンとした顔でききかえす

 「平安の安に、未来の来です やすらかな世が到来するのを祈願す

る祝日 じつにひ'び'き'がよろしい」


 このエピソードを聞いて

 ぼくが小学生時代に父につれられて

 浅草の花屋敷で観た「どじょうすくい」を思い出す

 昭和五年あたり

               (中略)

   父は農家の次男坊だったから

   休日に「安来節」を聞くのが超現実主義の詩を読むよりも

   詩的歓びだったにちがいない**

      (後略)



 西脇順三郎はこの詩集の出る3年前の6月に亡くなっていますので、これは田村隆一の西脇への追悼詩集とも感じられます。そもそも、この詩集の「ワインレッド」という言葉は、西脇の詩集『Ambarvalia』の表紙の色に由来しています。




 西脇は戦時中、イギリス人の夫人とともに鎌倉に疎開し、詩の題材にもしていますが、鎌倉をカマキューラと発音したそうです。



 鎌倉でいちばん高い山

 標高一四〇・八メートルの天台山にのぼって

 明るくておだやかな冬がゆっくりとしのびよってくる

 カマキューラの山波と町を眺める

   七口(ななくち)

   七つの切通しにかこまれた中世の町の

   光と影の小道

   その表皮の

   けばけばしい変化にもかかわらず

   生きとし生けるものの哀歓と夢が

   四季の移り変り

   星座の運行とともに

   生れかわり

   語りつがれ

   深い沈黙のなかで呼吸しているくせに


 バード・ウオッチングの双眼鏡でいくら探してみても

 J・Nの背中は見えない***



 見えないのは西脇順三郎ばかりではなく、1998年には田村隆一も消え、詩人たちの姿は見えにくくなっています。今はチョット規格外れの言葉の錬金術師たちは何処にいるのでしょう。



*  「寒気(さむけ)」

** 「安来節」

***「夏至から冬至まで」




ワインレッドの夏至―田村隆一詩集

ワインレッドの夏至―田村隆一詩集

  • 作者: 田村 隆一
  • 出版社: 集英社
  • メディア: 単行本

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