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落語家の世界 [読書]

 落語の実演といえば、20年以上前に新宿末廣亭に入ったことがあるのと、桂米朝・小米朝の落語会に行った憶えがあるだけです。こどもの頃はラジオやテレビで、落語や浪曲、講談をよく聴きました。金馬、円生、小さんなどのほか名前も忘れた多くの芸人が出演していました。



 こどもにとって「いかけ屋」とか「饅頭こわい」などは分かりやすく、人間の生態が生々と捉えられていて愉快でした。八っつあん、熊さんの世界は破天荒で、それでいて楽園のようで、枕元のラジオから聞こえてくる話芸の楽しさに浸りました。



 立川談春『赤めだか』(扶桑社)は、”いかにして落語家になったか”という落語のようなお話です。立川談春は昭和41年、東京生まれで、子供のころから父親について戸田競艇場に通っていたそうです。競艇選手になりたかったのですが、養成所へは身長170センチ以下でなければ入れず断念したそうです。


 

 中学生のとき図書室で落語全集を読み興味を持ち、卒業間近のころ、上野鈴本へ行き、立川談志を聴き魅せられます。高校では落研を作り、人前で話す楽しさを覚えます。そして、国立演芸場で談志の「芝浜」を聴きショックを受けたそうです。



「芝浜」というのは、裏長屋住まいの魚屋が、芝の河岸で革の財布を見つけるというところから始まる人情噺です。談志の「芝浜」の評判を聞き、わたしも CDを買って聴いた覚えがあります。まだYouTubeなどなかった昔です。



 佐々木少年(談春)は談志の家を訪れ、弟子入りを乞う。



 < 君の今持っている情熱は尊いものなんだ。大人はよく考えろと云うだろうが自分の人生を決断する、それも十七才でだ。これは立派だ。断ることは簡単だが、俺もその想いを持って小さんに入門した。小さんは引き受けてくれた。感謝している。経験者だからよくわかるが、君に落語家をあきらめなさいと俺には云えんのだ。(後略)」/「(前略)弟子になる覚悟ができたら親を連れ、もう一度来なさい。」>



 生きていくうえで、誰でもが何らかの判断をしたり、また、できなかったりしながら、日々を暮らしていくものですが、佐々木少年と立川談志の出会いには、その後の生き方を決めるような輝きがあります。



 新聞配達をしながらの前座生活、築地場外の焼売屋での修行などが面白おかしく語られます。無茶苦茶を耐え、受け入れる暮らしから落語家が生まれるようすがおぼろげに垣間見られます。そういえば、わたしの大学時代の先生が「教育とは無茶苦茶であります」と口癖のように言っていたのを思い出しました。





赤めだか

赤めだか

  • 作者: 立川 談春
  • 出版社: 扶桑社
  • メディア: ハードカバー

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