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ラジオと紀行の兄弟 [読書]


 車で通勤していたころ、ラジオで「日本全国8時です」という15分ほどの番組をよく聞いていました。森本毅郎が司会し、日替わりで佐瀬稔(スポーツ)、荒川洋治(読書案内)、森田正光(天気)などが話題を提供します。話題への興味もさることながら、森本毅郎が話題提供者の話に疑義をはさんだり、混ぜ返したり、司会と演者との絶妙なやり取りが魅力になっていました。



 以前から旅行記や評論のようなものを何冊か読んでいる森本哲郎は、ラジオの毅郎の兄です。彼の『旅の半空(なかぞら)』(新潮社 1997年刊)を見ていると・・・



 <・・・父・杉雄は明治二十八年十月三日、和歌山県海草郡巽(かいそうぐんたつみ)村大字阪井(おおあざさかい)に生れた。(中略)/ 父の父、すなわち、ぼくの祖父は森本直楠(なおぐす)といい神官だった。神主姿の写真が残っているから、これは確かである。父はその直楠の五男だったが、生来、真面目だったようで、そのためか直楠は大いに期して自分の跡を継がせようとしたらしい。そこで、大阪府立岸和田中学校を終えると、「祭式検定証」を取らせ、和歌山市和田にある竈山(かまやま)神社の主典(しゅてん)として出仕させた。そして、半年後、伊勢の神宮皇学館へ入学させ、父は大正十年に卒業している。/そのころ、直楠はは和歌山の東照宮、のちに天満宮の神官をつとめていた。>



 こんな記述がありました。巽村阪井も竈山神社も東照宮、天満宮も、我が家からは遠くない場所です。ラジオや本で親しんだ森本兄弟のルーツがこんな近くに有ったのかと驚きました。



 そもそも著者・森本哲郎は、明治44年に夏目漱石が和歌山へ講演に来て、翌年、和歌山を舞台とした小説『行人』を書いているので、漱石の足跡を追って和歌山に出かけたのでした。



 漱石は8月15日、県会議事堂で一千人の聴衆を前に、「現代日本の開化」と題して講演しています。講演後、宿舎の望海楼へ戻ろうとしますが、暴風雨で、望海楼は危険だとして富士屋に宿を変えますが、停電し、一晩中、吹き荒れたと日記に記しているそうです。この時の体験が和歌浦や東照宮などと共に『行人』の筋立てに生かされているとのことです。



 森本兄弟の父親は神宮皇学館を卒業したのですが、神職には就かず、中学・高校の国語教師として暮らしたそうです。哲郎が何故か、と問うと、父親に毎朝、東照宮の石段を一段一段掃き清めさせられて、いやになったと笑いながら言ったそうです。確かに、わたしも近所なのですが、東照宮へは石段を下から見上げるだけで、一度も登ったことがありません。


#「海岸民族って何?」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-11-10


旅の半空

旅の半空

  • 作者: 森本 哲郎
  • 出版社: 新潮社
  • メディア: 単行本

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