空の名残 [雑感]
10月も中旬になって、急に季節が進んでいるようです。昨日は雨が降って肌寒く、つい暖房を入れました。冷房を止めてまだ 2週間ほどしか経っていません。なんとも変な気持ちです。
清少納言は「秋は夕暮」と書いていますが、清々しい秋晴れの陽光も気分の良いものです。楽しかった一日が終わって、ふと夕焼けの空を見るのは、あぁ一日が過ぎてゆくと、少し淋しい気持ちにもなります。
兼好法師は< なにがしとかやいひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、たゞ空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことにさも覚えぬべけれ。(徒然草第二十段*>と綴っています。「ほだし」とは心をひきつけ束縛するもの、「空の名残」はいろいろ解釈できるようですが、わたしには夕映えとも感じられます。「空の名残」という言葉に現代人は惑いますが、兼好には、普通に、さもありなんと深く共感できたのでしょう。
秋はスポーツに相応しいですが、先日は愛知県に住む 3歳の孫の運動会でした。天気も良かったようで、写真や動画が送られてきました。本人は運動会というものがまだよく分からないようで、とまどっているようでした。こうして集団の中での自分の位置や振舞い方を学習してゆくのでしょう。
そういえば今日は母の命日です。もう 40年になります。わたしは 34歳でした。やっぱり秋晴れの日だったと思い出します。今から思えば、いろいろもっと聞いておけばよかったと悔やまれますが、際限のないことでしょう。
今年は猛暑が続きましたが、どんな秋になるのでしょう。天高く、わたしも肥える秋であってほしいものです。
*『 新潮日本古典集成 徒然草 木藤才蔵 校注』(新潮社)