文学全集がたくさんあったころ [読書]
ふと思い出したのですが、大学生のころ、ある同級生がやってきて、「小説って、何が面白いんや?」と聞きます。怪訝な面持ちで顔を見ると、「世界文学全集を全巻読破したんやけど、よお分からんのや・・・」と、いかにも困ったような様子です。唖然としました。
1970年代にはいろんな出版社から「文学全集」が出ていました。何十冊にもなる全集を本箱に並べている家もありましたが、大抵はそのうちの何冊かを買い求めている人がほとんどでした。
わたしが憶えているのは、筑摩書房『世界文學大系』で読んだ、デフォー『ロビンソン・クルーソーの生涯と冒険』とかツルゲーネフ『ルーヂン』、ハーディ『ダーバァヴィル家のテス』などです。3段組で細かい活字がぎっしり詰まっており、今ではとても読めません。
『ロビンソン・クルーソー』は子供の頃に読んだ絵本とは違って、絶海の孤島でのクルーソーの延々とした宗教談義に明け暮れます。 <こういうふうにして私は非常に気持よく暮らせるようになった。それには、神の御意志に従いその摂理の導きに自らのすべてをなげうってひたすら委せることから生ずる心の静けさが大いにものをいった。・・・> デフォーは後日譚としてクルーソーに「人生というものは、要するに孤独にほかならないし、またそうあるべきものだと思う」と言わしめています。とても子供向きとは言えない内容でした。
『ルーヂン』では知識人としての主人公の無意味ともいえる最期がこころに残っています。『テス』では男にだまされ、翻弄されながら生き、男を殺し処刑される顛末が語られています。読後十年ほどして、ロマン・ポランスキー監督で映画化されたのも観たので、小説と映画の印象が混じりあっています。映画ではナスターシャ・キンスキーがテスを演じていました。
これらはわたしの二十歳ころの、日々の糧となった小説のいくつかです。文庫で読むか、どの文学全集を選ぶか・・・どんな基準で選択していたのかは定かではありませんが、当時は文学全集が現在よりずっと身近だったことは確かです。あるいは、わたしの困った同級生ほどではないにしても、古典小説の読者はたくさん周囲に居たように思います。