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飽きることのない音楽 [音楽]


 昼ごはんを食べて、少し本を読んで、ちょっと眠気をもよおした頃に、今日は何を聴こうかと思いを巡らします。その日の気分によっていろいろですが、時に変わったものを選ぶことがあります。



 ショスタコーヴィッチ(1906-75)の音楽には余りなじめないのですが、彼の交響曲第5番はときおり聴きたくなります。40分程の曲ですが、演奏が始まったとたん、なんともいえない悲哀に満ちた雰囲気に包まれます。生命あるものとして、いつか滅ばねばならないという根源的な悲哀なのか、当時のソビエトのスターリン体制下での社会的な悲哀なのかは分かりませんが、それらのことが混然一体となっているのでしょう。



 第2楽章はピエロかロボットが踊っているような、少しシニカルな気分が感じられます。第3楽章は宇宙空間を一人で漂っているような孤独な感じです。そして第4楽章になると、突然、今までの悲哀や孤独を振り払うような、大地を疾走しているような音楽が始まります。なにか空元気のようにも感じられますが、また一転して回顧的で瞑想的な曲調となり、最後はピエロが舞台から退場するように曲が終わります。



 1937年、この交響曲は革命20周年記念祭典で初演され大成功をおさめます。翌年、ショスタコーヴィッチは、< フィナーレはそれまでの諸楽章の悲劇的に緊迫したものを解決し、明るい人生観、生きる喜びへと導く > と述べています。*



 ところが没後、1979年にアメリカで出版された彼の回想録では、< 強制された歓喜なのだ。・・・鞭打たれた者は立ち上がり、ふらつく足で行進をはじめ、さあ、喜ぶぞ、喜ぶぞ、それがおれたちの仕事だ > と書かれています。*



 ショスタコーヴィッチの苦悩と狷介さを表すような話です。このような音楽をときに聴きたくなるのは何故でしょう? 小説家の宮城谷昌光さんもこの曲について「飽きることのない名曲である。」**と書いていましたが、人を惹きつけるものがあるのでしょう。1975年に彼が他界して以降、クラシック音楽界には世界的といえる作曲家はいなくなった気がします。



*CD(KICC3589)における東条碩夫の解説による。

**宮城谷昌光『クラシック 私だけの名曲 1001曲』(新潮社)


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