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ファン・レターとして [読書]

 先日、中国文学者の高島俊男さんが他界されました。週刊文春に連載した『お言葉ですが・・・』のシリーズや新書版での「漢字」にまつわる話などいつも楽しみにしていました。深い学識がたくまぬユーモアに包まれて披露され、蒙を啓いてくれます。


 意外にも2000年7月、高島さんは『メルヘン誕生 向田邦子をさがして』(いそっぷ社)という本を出版されました。今まで水滸伝とか李白、杜甫、日本では夏目漱石といった人にまつわる本を著してきた人が、なぜ向田邦子? と不思議に思いました。


 向田邦子といえばテレビの連続ドラマ「七人の孫」、「寺内貫太郎一家」などのシナリオ・ライターとして思い浮かびますが、50歳頃になってエッセイや小説を書きはじめました。高島さんはこんな風に書いています。


 <向田邦子は、ことばの感覚のするどい人であった。また、文章のじょうずな人であった。つみかさねてゆく一つ一つのセンテンスに変化があり、その変化がこころよい諧調をなす。これは天性のものであろう。戦後の、新かなづかいで文章を書いた人のなかでは、一番うまいと言ってさしつかえないのではないか、と思う。>


 絶賛です。あとがきに、なぜ向田邦子について書いたのかを記しています。


 <いまの人から見れば、映画雑誌の編集者からテレビドラマの台本作家になった向田邦子の経歴は、かがやかしいものにうつるかもしれない。しかし当時においては、それはまともでない、あるいはほとんどやくざな道だった。(中略)/わたしはと言えば、ちゃんとしたレースに出ながら途中で走るのをやめてしまった人間である。そのわたしから見れば、向田邦子の道は、さびしい、孤独な道である。/ひとことでで言えば、向田邦子がわたしをひきよせたのは、そのひけめであった。>


 高島さんはめずらしく、率直に自己を語っています。わたしは読後、感想文のようなものを書き出版社付けで送りました。3週間ほどして高島さんから返事がありました。びっくりしました。大切に保管しています。


 嵐山光三郎は向田邦子を <五十歳からの奇跡的三年間に力作が集中しており、「五十代の樋口一葉」といった感がある。> と記し、最後にこんなエピソードを書いています(『文人暴食』マガジンハウス)。


 <向田は先見の明があった。ひと一倍勘が鋭利で、予知能力が強い。なんでもこなす才人にはこういうタイプがいる。/『霊長類ヒト科動物図鑑』に「ヒコーキ」というエッセイがある。ヒコーキがいざ離陸となり、プロペラが廻りだした。すると、一人の乗客が急にまっ青な顔になり「急用を思い出した。おろしてくれ」と騒ぎ出した。「今からおろすわけにはゆきません」と止めるスチュワーデスを殴り倒さんばかりにして客は大暴れをして、ついに力ずくで下りていった。そのあと飛行機は飛び立ったが、離陸後すぐにエンジンの故障で墜落した。下りた客は元戦闘機のパイロットであったという。このエッセイを書いた七ヵ月後に向田さんはヒコーキで墜落死された。>


#「新書でも買って」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2017-03-30


メルヘン誕生―向田邦子をさがして

メルヘン誕生―向田邦子をさがして

  • 作者: 高島 俊男
  • 出版社: いそっぷ社
  • 発売日: 2000/7/5
  • メディア: 単行本

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