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ありしながらの [雑感]

  台風 14号はやっと遠のいたようです。降り続いた雨も止んで、空が明るくなってきました。やれやれです。


 今日は母の命日です。37年前に 70歳で他界しました。体育の日で、ちょうどいま住んでいる家の棟上げの日で、前日、「明日は棟上げなんで来れないかもしれない」と病室で話したのが最後の会話となりました。わたしは 34歳でした。


 母は大正2年(1913)に淡路島で生まれ、6人兄弟の長女でした。11歳のとき母親が他界し、以後は継母に育てられています。下3人の弟は腹違いです。


 女学校時代の母親の日記を読んだことがありますが、「鉦鳴らし信濃の国を行き行かば ありしながらの母見るらむか(窪田空穂)」という歌が書き写されていました。教科書にでも載っていたのでしょう。


 父親との結婚について、「エライひとと結婚せんならんようになったと思ったが、この人でないと家業がやっていかれへんとついていった」と言っていました。長女としての気持ちだったのでしょう。


 長兄が神戸の高校に通っていたとき、5歳くらいだったわたしは母親に連れられて兄の体育祭を見学しました。あの時、母親は 40歳くらいだったのでしょう。


 そういえば今日は、1964年の東京オリンピックの開会式のあった日です。当時 51歳だった母親は東京で勤めていた長男に呼ばれて、何の競技だったかは忘れましたが、見物に出かけました。なんとなく母親と長男というのは、また違った親密さがあるのでしょう。


 いつだったか母が婦人会かなにかで、ろうけつ染めを習ってきて、鏡台掛けを作っていました。蝋で「白鳥はかなしからずや海の青 空のあをにも染まずただよふ」と書いて染めていました。長兄が帰郷したおり、ふとそれを見て、「空と海が反対だよ」と指摘しました。母は「そうだったかな」とトボケタように笑っていました。


 母が 60歳のとき、父が 63歳で脳梗塞で倒れ、7年間看病して夫を見送りました。そして約3年後、母も他界しました。今から思えば、両親にはもう少し生きていて欲しかった気もします。



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