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セピア色の画像 [雑感]

 デジタル・カメラを使い始めた2004年より前は、旅行の記録はカラー・スライドで撮っていました。プロジェクターで見ると大きく鮮明な画像が多人数で楽しめました。ただ現像ができて初めて見る時はいいのですが、後でちょっと見るには用意が億劫で、あまり見なくなります。


 息子たちが独立し、それぞれ子供を持つ身になっているので、昔の家族旅行のスライドをデジタル化して渡そうと思って、スライド・スキャナーを買ってみました。


 手始めに 1973年にわたしが大学生の夏休みに友人と出かけた南九州・奄美大島旅行のスライドをスキャンして SDカードに取り込みました。出来具合を見て唖然としました。画像は劣化し、セピア色になっていました。


 なんとなく印画紙のカラー写真は経年変色しても、スライドは大丈夫と思い込んでいたので、画面に映る画像にはショックを受けました。49年経つとこんなになるのか・・・と、生きてきた記録が失われた気がして気分が落ち込みました。


 毎日何十枚かずつスキャンするとして、30年分でいつまでかかるのか? 何年前のものから劣化が少なくなるのだろうか? 不安になってきます。


 それでも画像を見ると忘れていたことが思い出されます。南九州に一緒に行った友人は一人息子で、今まで旅行したことがないので、連れていってくれということで同行することになったのでした。


 西鹿児島まで夜行列車で行き、桜島、佐多岬、枕崎、指宿、霧島、青島と巡りました。この間、友人は毎日、家に電話しているので意外に感じました。わたしには旅先から親に連絡する習慣はありませんでした。日常のしがらみから解放されるのが旅の楽しさと思っていました。今から思えば、友人にとって毎日電話するのが、息子の旅行を心配した親の旅行許可の条件だったのかも知れません。


 愉快な毎日だったのですが、友人はどういう訳か宮崎で、もう帰ると言い出し、あっさり宮崎空港から飛行機で帰宅してしまいました。その後、わたしは鹿児島港から船で奄美大島へ渡り、加計呂麻島などへ行きました。お金を使い果たし、帰りは 13時間飲まず食わずの汽車旅でした。


 翌年、わたしたちは共に就職しました。社会人として希望に満ちていた二年目の夏、友人は職場の懇親旅行で海水浴に行き、水難事故で他界しました。47年も前のことですが、セピア色に変色したスライドの中で、友人がにこやかに笑っているのを見ると、当時のことが鮮明に思い出されます。


 褪色はしょうが無いかと諦めながらスライドのスキャンを続けていましたが、ちょうど長男から電話があったおりに、スライドの劣化のことを話題にすると、長男は事もなげに「画像修復ソフト」があるから大丈夫と言います。


 調べてみると確かにフリーの画像ソフト(GIMP)で、ある程度の修復は可能なようです。何事もひとに話したり、ネット検索することで思わぬ情報がみつかるようです。それにしても記録と記憶の整理とでもいえる厄介な作業を始めてしまったものです。



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