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本箱の隅で [読書]

 長年、本箱の隅に立っていた小林秀雄『本居宣長』(新潮社)を読んでみようと取り出して眺めてみると、昭和52年10月に出版されており、買ったのは翌年3月で既に12刷でした。607頁の大部で4000円もする本がよくもたくさん売れたものです。


 YouTubeで小林秀雄の講演を聴いてみると、まくらで鎌倉の行きつけの鰻屋のおかみさんが『本居宣長』を買ったので署名してくれと出してきたと言ってましたが、それほどよく売れたのでしょう。


 講演では内容を簡単にしゃべってくれと言われますが、そんなことはできゃしません、読んでもらわなきゃ、と語っています。それはそうでしょう。彼は「本居宣長」を昭和40年から12年間にわたり「新潮」に連載してきたのです。簡単にしゃべられる訳がありません。


 とりあえず1日20頁ほどずつ、家内に朗読してもらって聴くことにしました。目をつむっていると、家内がすぐ「この字は何と読むの」と訊いてきます。古文や漢文の引用が多く、見たこともない漢字や旧字体の連続です。そのつど家内はiPhoneで検索するようになり、そのうち予習しておいてくれるようになりました。


 どうにか1ヶ月で読みきりました。読み終わって最初に戻ってみると、今度は案外とすらすらと読めるようになっていました。何事にも馴れがあるのでしょう。ただ小林秀雄のうねるような文体に馴染むには時間がかかりました。現代にはこんな文章を書く人は稀でしょう。要旨はやはり簡単には書けないようです。


 <未だ文字がなく、たゞ發音に頼つてゐた世の言語の機能が、今日考へられぬほど優性だつた傾向を、こゝで、彼は言つてゐるのである。宣長は、言靈といふ言葉を持ち出した時、それは人々の肉聲に乗つて幸はつたといふ事を、誰よりも深く見てゐた。言語には、言語に固有な靈があつて、それが、言語に不思議な働きをさせる、といふ發想は、言傳へを事とした、上古の人々の間に生れた、といふ事、言葉の意味が、これを發音する人の、肉聲のニュアンスと合體して働いてゐる、といふ事、そのあるがまヽの姿を、そのまヽ素直に受け納れて、何ら支障もなく暮してゐたといふ、全く簡明な事實に、改めて、注意を促したのだ。>


 43年間、本箱で眠っていた小林秀雄の言霊が蘇ります。1978年といえば、わたしは20代最後の年で、7月には子供が生まれるという年でした。忘れていましたが、この本には1983年3月の小林秀雄の新聞訃報記事の切り抜きが挟んでありました。



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