家に籠っているので、毎日一時間ほど音楽を聴きます。今日は VSOPクインテットと、G.セル指揮 クリーヴランド管弦楽団でシューマン交響曲第1番「春」をかけました。どちらもよい演奏だとすぐ感じました。演奏にかけた熱量が音にこもっています。手持ちの CDなので、以前にも聴いているはずですが、今日は特に印象が強かったようです。


 CDも買った時に1回聴いて、そのままになっているのがたくさんあります。こんな時間のたっぷりある時節がやってきて、そんな CDを取り出して聴き直していると、記憶にあったイメージが変化します。先日、故障で CDプレーヤーを換えたのも影響しているのかもしれませんが。


 VSOPが1回限りのパフォーマンスとして集まったのが 1976年のニューポート・ジャズ・フェスティバルだったという記述を読んで、アッと思い出したことがあります。その年の6月、仕事が一段落するので、同僚と旅行に行くことになり、あるツアーに応募したのですが、一定数の応募者がなく中止になってしまい、わたしはヨーロッパに行き、同僚はたしかアメリカへ、そのニューポート・ジャズ・フェスティバルを聴きに行ったはずです!  同僚とはもう、35年も年賀状のやり取りだけになっています。


 吉田秀和『世界の指揮者』(ちくま文庫)を見ると、こんなことが書いてありました。<シューマンの指揮者は、いわば、どこかに故障があって、ほっておけばバランスが失われてしまう自転車にのって街を行くような、そういう危険をたえず意識し、コントロールしなければならない。あるいは傾斜している船を操縦して、海を渡る航海士のようなものだといってもよいかもしれない。/それを、セルは、見事にさばいてみせた。>


 愉快な比喩です。1950-70年代のアメリカには、セル・クリーヴランド、ライナー・シカゴ、オーマンディ・フィラデルフィア、ミュンシュ・ボストン、バーンスタイン・ニューヨークといった指揮者・楽団の組み合わせが、ジャズ奏者とともに綺羅、星の如くだったと回想されます。


  #「春の歌」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2016-04-07