久しぶりに理髪店にでかけました。この間、髪が長くなると家内に切ってもらっていました。家内はYouTubeで散髪の仕方を研究していました。コロナが下火になり、来月には甥の結婚式もあるので、そろそろ出かけてもいいかなという気持ちになりました。



 この散髪屋さんはわたしが大学生の頃からの行きつけで、もう 50年以上になります。先年ご主人が亡くなり、息子さんに代替わりしています。



 わたしが若かった 1960-70年代は、長髪が流行ったので、少々髪が伸びても気にならないせいか、元々、散髪は年に数回しか行きませんでした。わたしの父親は、毎週理髪に通う習慣だったので、学生の頃は帰省のたびに「散髪に行け」と叱られていました。



 父親の行きつけの故郷の理髪店には、わたしの小学校の同級生がいて、よく一緒に遊びました。その子の母親はお好み焼き屋をしていて、時にご馳走してくれました。また祖父は興行師のような仕事をしていて、旅回りの劇団などを差配していました。床屋の離れには人形浄瑠璃の女師匠さんが暮らしており、友達の父親もわたしの父親もそのオショハンについて義太夫を習っていました。「日も早や西に傾きしに・・・」などと父親は「一谷嫩軍記」の一節を道を歩きながらよく唸っていました。郷里の島では人形浄瑠璃が盛んでした。



 散髪屋の友達は左官さんになったのですが、酒浸りとなり、帰省のおりによくない噂を聞くようになりました。50歳になった年に、故郷で小学校の同窓会が開かれたのですが、幹事をしてくれた同級生が、「あいつが亡くなったので、同窓会ができるようになった」と言っていました。飲んで暴れる状態だったようです。



 剛毛であったわたしの髪も年とともに細くなり、柔らかく白くなっています。共に遊び学んだ悪童たちの、その後の生い立ちが知りたいような気がします。



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