5月になりましたが、少子化の影響か、近所には鯉のぼりが少なくなった気がします。わたしの父親は義太夫を習っていて、「鯉昇」という名前をもらっていました。そのせいか「のぼり」は「鯉の滝昇り」と思ってしまうのですが、「のぼり」は"幟"なのだそうです。確かにそのほうがふさわしいようです。



    「こいのぼり」

   やねよりたかい こいのぼり

   おおきいまごいは おとうさん

   ちいさいひごいは こどもたち

   おもしろそうに およいでる

          (作詞 近藤宮子 1931年頃)



 ここで、アレッと思ったのは、緋鯉が子供たちになっていることです。緋鯉はお母さんと思っていました。緋鯉がお母さんになり、青い小さな子供の鯉が付けられたのは戦後になってからだそうです。



 わたしは末っ子だったので、もう色のはげかかった鯉のぼりを、二度ほど庭のすみに揚げてもらった記憶があります。わたしのこどもたちには、鯉のぼりを泳がせるほどの庭もなく、何回かベランダに飾りました。孫たちの家ではそんな習慣も途絶えているようです。



    「鯉のぼり」

   甍(いらか)の波と雲の波

   重なる波の中空(なかぞら)を

   橘(たちばな)かおる朝風に

   高く泳ぐや鯉のぼり

      (作詞者 不詳 1913年) 



 「江戸っ子は皐月(さつき)の鯉の吹き流し 口先ばかりで 腹わたはなし」ということばがありますが、新学期が始まって一ヶ月がたち、前の道を下校する子供達の大きな話し声が聞こえてきます。子供たちには春風に泳ぐ鯉のぼりのように、元気に成長してほしいものです。  



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