新聞の書評欄を見ていると、梶井基次郎『城のある町にて』のことが取り上げられていたのですが、そういえば『檸檬』とか『櫻の樹の下には』は記憶にあるのですが、これは読んだ覚えがないので・・・本箱のどこかに文庫本か何かが有るかもしれないとしても、目の具合もあり、Kindleで「青空文庫」のを読んでみました。



 小説は寝転がって読むことが多いのですが、ノートPCではそうもいかず、首や肩が凝ってきます。短篇なのでなんとか読了できましたが、長篇はとても無理です。タブレットなら少しはましかもしれませんが、画面が小さく目が疲れそうです。



 『城のある町にて』は三重県の松阪が舞台になっています。わたしは松阪へは一度行ったことがあるのですが、夜だったので、城跡も町のたたずまいも記憶にありません。梶井基次郎は明治 34年(1901)に大阪市で生まれていますが、松阪は姉の嫁ぎ先でした。1924年、可愛がっていた異母妹が結核で急逝し、自らも結核に罹り、姉の勧めで養生がてら松阪に行ったようです。



< 今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍(いらか)を並べていた。>



 少し硬質な文章で、姉夫婦一家との日々がスケッチされます。穏やかな暮らしのなかで喪失感が薄らいでいくようです。



 戦前の青年たちには結核という病気が身近でした。時代を象徴する病気とも言えます。わたしは戦後生まれですが、小学校の帰り道で、近所の人から「おまえの家は結核筋や」と言われたのを憶えています。



 抗生物質の発見やワクチンの開発によって、感染症が表舞台から去り、寿命が伸び、表面に出てきたのがガンで、そんな時代をわたしたちは生きてきました。



 今回の新型コロナのパンデミックは、克服されたと思っていた感染症の逆襲でした。感染症はコントロールされているわけではなく、最近でもサル痘とか小児肝炎などが次々に出現しています。新しい時代にさしかかっているのかも知れません。



 話がそれましたが、20世紀初頭を生きた梶井基次郎は、昭和 17年( 1932)に結核で他界しました。31歳でした。時代の条件のなかで、生きた青年の感慨が綴られていました。



< 今日も入江はいつものように謎をかくして静まっていた。/ 見ていると、獣のようにこの城のはなから悲しい唸(うなり)声を出してみたいような気になるのも同じであった。息苦しいほど妙なものに思えた。(後略)/ 「ああかかる日のかかるひととき」(後略)>




 それにしても、昭和生まれの人間としては、小説は紙媒体で、寝転がって読みたいものですが、もうそんな時は来ないのかと思うと、呆然とします。



#「いい湯だな」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2021-05-07





城のある町にて



  • 作者: 梶井 基次郎

  • メディア: Kindle版