新聞の書評欄などで面白そうな本はないかと探しているのですが、思うようなものに出会えません。しかたなく最近は以前に読んで心に残った本を再読することが増えました。ところが読み出してみると、全く内容を憶えておらず、断片すら既読感がありません。こんなにもみごとに忘れるものかと唖然とさせられます。



 ただ再読してもやはり面白いことは確かです。好印象だけが記憶に残って、内容はきれいさっぱり抜けてしまっている訳です。まあ、ディテイルまで憶えている本は、そもそも再読しようとは思わないのかもしれませんが、こんなに書物って記憶に残らないのかと驚かされます。



 今は、足立巻一『虹滅記』(朝日新聞社・1982年刊)を再読しています。もう 40年以上も前に読んだ本です。今年は、この本が面白かったという記憶から、同著者の『やちまた』(河出書房新社)を読み、やはりいい本だと思いました。『やちまた』は盲目の国学者・本居春庭の評伝ですが、『虹滅記』は著者の祖父・敬亭、父・菰川という漢学者を中心として著者の暮らした世界を掘り起こした物語です。著者は父が早逝し、母が再婚し祖父母に育てられますが、祖父・敬亭は生活能力がなく、幼い著者を連れ放浪し、長崎の銭湯で著者を残し急死します。



 成人した著者の元に思わぬことから、敬亭、菰川の著作物が届きます。それを契機として著者のファミリー・ヒストリーの探求が始まります。小児期に家族を失っているだけに、自らの出自を知りたいという欲求が、年齢とともに増していったのでしょう。祖父の出身地である長崎の図書館で祖父や父の資料に出会ったり、親類、縁者の話と記憶を突き合わせたり、先祖の出身地である瀬戸内海の大津島を訪れたり、著者の知りたいという熱量が人間観察の陰影とともに伝わり、人が生死の変転の内に暮らしていることが浮かび上がって来ます。



 年をとって、親も居なくなると、家族の来歴が知りたくなることが多いようです。わたしの場合は十年程前、長兄が定年後に両親の戸籍をたどるなどして調べ、系図とともにまとめたものを作ってくれました。子供の頃に会ったことのある古い親戚の人の顔が思い出されました。また、そこに載っているほとんどの人を、わたしのこども達は知らないのだと思うと、親戚付き合いの薄くなった現代に不安のようなものを感じました。



 『虹滅記』は著者のファミリー・ヒストリーを巡る記録であり、それがまた変転する人の世のドラマとして提示されています。40年前に面白いと思った本が、再読でも感銘を与えるのはやはりそれが人が生きる諸相を捉え得ているからなのでしょう。



#「人のやちまた」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2023-09-24






虹滅記 (朝日文芸文庫)



  • 作者: 足立 巻一

  • 出版社: 朝日新聞社

  • メディア: 文庫