若い頃からときに詩集を読むことがありましたが、詩集にはたいてい 20~30篇ほどの詩が載っていますが、気に入る詩篇は一冊に1〜2篇あればいいほうで、ほとんどはただ読むだけです。、120ページほどの詩集で、印象に残るのはほんの数ページです。



 これは誰の詩集でも大差なく、そんなもので、詩人が一生に何冊の詩集を出すかはそれぞれですが、詩人が一生に書く詩のなかで、人のこころに残るのは、ほんの数篇でしょう。そういう意味で詩集というのはコスト・パフォーマンスの悪い書物です。名篇とされるものを集めたアンソロジーが編まれるのにはそれなりの理由があります。



 しかし詩集には詩人が一定の時期に書いた詩を集めたという特色があります。気になる詩人の最新の詩が読めるという期待、また後では「あの詩人は 60代のころこんな詩を書いていたのか」という興味など、アンソロジーとは違った楽しみもあります。



 この間から田村隆一(1923-98)の手持ちの詩集を読んでいますが、買った時にも見たはずですが、全くと言っていいほど、記憶に残っている詩句には出会いません。彼の初期の研ぎすまされたような言葉は強く脳裏に刻まれているのですが・・・。



 『生きる歓び』(集英社)は 1988年刊行で、田村隆一は 65歳でした。



      沈黙の音

    北米中西部の秋は淋しい

    淋しいという言葉さえ浮んでこないくらい

    淋しい


    ある日

    ニレの木の

    カシの木の

    大きな葉がいちどきに落ちる

    人の足は枯葉色の枯葉のなかに埋もれ


    数百万の渡り鳥が南の空に消えると

    地平線の彼方に

    いつまでも夕陽は釘づけになったまま


    夜は古い酒場でバーボンを飲みながら

    日本の秋にぼくは手紙を書く

    「沈黙の音サウンド・オブ・サイレンス」が流れていた十五年まえ



 詩は多く青年の産物ですが、老詩人として詩作を続けた人もいます。もちろん青年時代の詩が代表作として記憶されますが、老人になってからの詩にも、また違った面白さに出会うことがあります。室生犀星などはその一人です。田村隆一も 70代まで詩集を出し続けましたが、そんなことを思いながら彼の詩集を繰っています。

 


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生きる歓び



  • 作者: 田村 隆一

  • 出版社: 集英社

  • メディア: 単行本