カツオの街 [食物]
この季節になると、夕方に町の食堂に入ると、カツオの刺身が食べられます。この辺りでは、タタキより刺身が好まれるようです。船が帰ってきて数時間だけの楽しみです。
カツオの中にモチガツオと呼ばれる、もちっとした食感のものがあります。外面からでは区別できず、切ってみないと判らないそうです。店先に「モチガツオあります」と書き出してある店もあります。
いまは黒潮にのって北上している途中で、脂が少なくあっさりとしています。生姜醤油が合います。
秋になると、脂がのって帰ってきます。モドリガツオと言われます。今年もカツオが食べられたと、なんとなく嬉しくなります。
港はや青むらさきの夏の魚
鰹ばかりを売る街となる(若山牧水)
アンパンとサイダー [食物]
猛暑のなか台風が日本列島に向かっています。大雨、日照り、台風と自然の猛威が続いています。このまま環境が激変すれば、将来的には住む場所を求めて、人々が流動しだすかもしれません。
昨日は手術の説明があり、こんなことがあるかもしれない、あんなこともあるかもしれないと、坦々とお決まりの話があり、同意書に署名しました。
先日の入院案内の時には、突然「今日は何日ですか?」、「ここはどこですか?」、「100ー7を順番に言ってください」などと認知機能テストをしてくれました。そばにいた家内は「これは練習しておこう」と半ば真剣につぶやいていました。
夜になって、家内が樋口一葉『たけくらべ』を読んでいるのを聞いていると、文章の中に「餡ぱん」が出てきて、驚きました。明治28年の作なので、その頃の子供はもうアンパンを食べていたらしい。
わたしの母方の祖母は明治24年生まれですが、神戸、大阪などに出かけたおりには、孫たちへのみやげに、菓子パンをたくさん買ってきてくれました。もしかしたら祖母も子供の頃の「餡ぱん」が忘れられなかったのかもしれません。
父は明治43年生まれですが、子供のころ「サイダー」が飲みたかったからと、いつの頃からか夏になると冷蔵庫にサイダーをきらしませんでした。
知らないあいだに、ひとは何かにとらわれて生きているのでしょう。
風に吹かれて [食物]
明石海峡に近い町から干しダコが届きました。スルメと違って、焼いても硬そうなので、どうして食べようか・・・ぶつぎりにしてタコ飯にでもしようかと迷っています。
こどものころから船乗場などに何匹も並べて、つるしてあるのはよく見かけましたが、食べたことはありません。タコは茹でて食べたら美味しいのに、なぜ、干物にしているのか不思議でした。普通に食べるタコとは、種類がちがうのかも知れません。
生タコをおいしく食べるには手間がかかります。すり鉢で塩もみをして、ヌメリを充分にとります。洗濯機にかけるひともあるようです。茹でかげんも難しく、堅すぎず、ふやけ過ぎず、経験が必要です。
ゆで上がると、足がきれいに丸まりますが、なぜが足先は切り落として食べません。ゆでダコを見て、怪物のようで気持ち悪いといって、食べなかったひとがいました。
干しダコをどうやって食べようか、料理法が決まるまで、もうしばらく風に吹かれていてもらおうと思います。
さかなの味 [食物]
週末は叔母や兄たちのご機嫌伺いにでかけてきました。天気が良かったので、帰り道に、十代のころに暮らしていた辺りを巡ってきました。新しい道路が通っていたり、埋め立て地に町ができていたり、街が上書きされてヴァージョンが更新されたような感じでした。
海辺の道の駅に寄ると、ベラのこけら寿司があったので、昼食にしました。タコを一匹姿焼きにして売っていましたが、すこし観光客的すぎるかなと横目で眺めるだけにしました。瀬戸内的な食べ物です。
自宅にかえって新聞をみると歌壇欄に
黙黙とかつお食みては酒を酌む赤身の酸味しょうがの辛さ (正博)
という歌が載っていました。やはり、かつおには外海の魚の風格があります。
過敏症と不耐症 [食物]
寒い日が続いていますが、スギ花粉が飛びはじめたようです。花粉症という言葉を知ったのは学生時代に読んだ上村一夫の漫画でだった記憶があります。 そんな病気があるのか~と不思議に思いました。'70年代にはわたしの周囲にそんな症状のひとはいませんでした。しかし、わたしとわたしでないものとの峻別には過敏な時代であったように思います。
アレルギーがふえたのは寄生虫の保有が減ったからだという藤田紘一郎の本が流行ったことがありました。その後の進展はどうなったんでしょう。 ここ数年、わたしも鼻炎に悩まされています。
最近、小麦(グルテン)に過敏なひとも増えているようです。わたしも小麦製品を食べると6時間ほどすると調子がわるくなります。しょうがないので米粉の麺や粉もんを食べています。パンやパスタやラーメンが楽しめないのは困ったことです。
年とともにいろんなものに過敏になったり、耐えられなくなっていくのでしょう。五感は衰え、なんとか第六感を研ぎすまして生きていく他ありません。
鮎の香り [食物]
八月もおわろうとしています。一昨日、釣り好きの同僚から鮎を頂きました。塩焼きにしましたが、香りが口腔にひろがり、堪能しました。
鮎くれてよらで過ぎ行く夜半の門 (蕪村)
今年は蕪村生誕三百年だそうです。蕪村の句はことばの工芸といった趣きがあります。正岡子規や萩原朔太郎がなぜそんな蕪村を賞揚したのか、不思議な気もします。
今日は、東北地方に台風が上陸したようですが、最上川や北上川があふれないでいてほしいものです。
マンボウの味 [食物]
きのう家内がマンボウを買ってきました。500g ほどの切り身で650円だったそうです。どんなふうにして食べようかというので、以前、紀伊長島の道の駅で焼き鳥のようにして売っていたので、とりあえず、2cm角ほどに切って、塩胡椒をして焼きました。不思議なほど水分が多く、焼き上がると三分の一ほどの大きさに縮みました。
まえに道の駅で一串だけ食べて、意外と美味しかったと、わたしは言っていたのですが、家内は、近所の産直センターでときどきマンボウをみかけたようですが、買う決心がつかなかったようです。どんな風に調理をすれば、どんな味がするのか、想像できなかったようです。
一口食べて、あれっ、イカのような噛みごこち、トリの胸肉のような風味と思いました。魚とは感触が違います。家内も想像できなかった味だったようです。意外性があって、おもしろいけれど、もういっぺん買おうとは思わないというのが感想のようでした。わたしは年に一回位は食べてもいいと思うのですが・・・。
舌の効用 [食物]
そもそも爛漫亭というのは、家のまわりに桜の木が多いので付けました。昨日は土曜日で、天気も良く、ちょうど満開で花見客がたくさん、周囲の道を歩いていました。わたしは二階の窓をあけて、山の桜を眺めました。花が咲いてはじめて、あんな所にも桜があったんだと気づきます。
もう長いこと、ひとをよんでの花見会をしていません。いずれまた気のおけない人たちと、わいわいがやがやと食べながら雑談ができる機会を持ちたいものです。たわいもない話しでも会話がはずめば、こころは活性化され、気分は晴れるでしょう。
舌は胃にも脳にも刺激を与えてくれます。
飯蛸の季節 [食物]
数日前、新聞をながめていると、イイダコが話題になっていました。イカナゴとともに瀬戸内海の春を感じさせる食べ物です。こどもの頃には、鍋一杯に煮て、飽きるほど食べました。
飯蛸に飯なき春の寒かな
飯蛸や浪の淡路の浅みどり
と紙面には高井几董(1741-1789)の句が紹介されていました。与謝蕪村の弟子筋のようです。
水に落し椿の氷る余寒哉
という句もあるようです。 1789年といえば、フランス革命の年として憶えていますが、そのころ本邦では飯蛸をシコシコ食べていたのかと思うと、微笑ましい限りです。